
実はその・・・今まで・・・お笑いのブームとか、お笑いファンの人に対して、少し冷たい目線でいました。ごめんなさい。
金曜夜のルミネでの初よしもとは、笑ったし、感動した。(目当てだったはんにゃは案外あっさり終わってしまって、いつものへたれキャラ炸裂でした。)
舞台に立ったことのある人ならわかると思うが、あそこに立つことの緊張感はハンパじゃないと思う。けれどそれを全く感じさせずに、観客の心を(水面下で必死に)くすぐりに来てくれた。「がんばらなきゃ」って元気も、心の中が溶けていくような優しい気持ちにもさせてもらった。
ここにまとめて書くのも気が引けるようなメンバーもいらっしゃいますが、単にまとめです。
横尾さんはよく「科学では解明できないもの」が見えてしまう方で、その“天然”ぶりは周知のことですが、やっぱり目に見えないものを絵にしているんでしょうね。それは、昔からなんだと思います。ただ、今日、あらためて思ったのは、彼は生まれる前の記憶も記録しているということ。
エロ・グロ・ナンセンスって言葉を思い出させた。非日常的な絵図に彼なりのリアルを記録している。夢を記録している。夢こそが現実、現実こそが夢。そう思えてくるような錯乱を起こす。それは、多くは色とコラージュやデッサンの「狂い」「外し」というトリックによるものではないだろうか。さすがに冒険王(ほぼ日)!《こちらも素敵な→横尾アニメ》
以前、服飾の勉強をした頃「色彩学」なるものを学んだことがある。
色彩を扱うためには、学ぶということはもちろん大切だと思うが、ある意味先天的、あるいは刷り込みのような磨きをかけるものが一番で、色を学ぶことは、そこに2割増しするくらいのものだと疑った。
学ぶことって、種類によってはほとんど役に立たないことがある。(基本は大事なことが多いけど)
一方、学ばなければそこから先には進めないことも事実である。
横尾の世界は、ほとんどが先天的なものに突き動かされていると感じた。
画家にいつも感服してしまうのは、学んだことの「エキス」だけを自分のものにできるということだ。
とりわけ、色に関して、その才能だか、センスだか、エキスだか。。。ふつーの人から見たら「この人は色音痴か」と思うくらい強烈に圧倒的な自信を見せつけられた。
帰り道、そんなことを考えながら今日開通となった副都心線の渋谷駅を通って半蔵門線に乗った。
渋谷改札を入って行く向こう側には宮崎駿のラピュタに登場するオームの中に潜り込むような造りに「さすがザ・トウキョウ!」と外国人感覚で思ったりした。近未来でもないし、いかにも「トウキョウ的」だった。(通称「地宙船」というらしいけど、なにか生きているものか、架空の船か得体の知れない感じが、特に)
清掃が大変そうだけど、白くて、その曲線が美しかった。安藤忠雄作。
今日は、「忠」の付く人の作品をたくさん見た。
今朝は、水戸から大量の納豆が送られて、そのなかの「しょぼろ納豆」は、大手デパ地下の特産品展とかでないと手に入らないくらいなので、シュゥエット! 白い炊きたてのご飯のときに。感謝して頂こうと思います。(乾燥納豆もすてき)
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