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jeudi, août 01, 2013

すなねこ企画vol.3 「猫と海月と、ゆれながら、」(序章:Prologue)

大好きな夏が通り過ぎていく・・・
7月は一年のあいだで一番好きな月、文月から葉月へ。

約一ヶ月前になったのでお知らせします。

今年に入って、「ヒポクラテスの純情」(2月)、「ZOZO-ism」(3月)と同時に2本の企画を立てたのち、場所と時間だけを押さえ温めていた企画を来月あたまに催します。

今回の企画は詩的タイトルをつけておりますが、またまた音とともに波のきわにいる人にお声がけしております。
それぞれの経歴は後に発表していきますが、一人ひとりが自分の舞台を切り拓いている人ばかりです。

「服飾」「演劇」「脚本」「詩」「編集」・・・とわたし自身がそうであるように、様々な場面ではみ出ながら自分の「世界」をつくっている人たち。。。

ヒップホップが土着や決闘の場面にあるようなものであるなら、そこから都会的(ゲゼルシャフト)な方向に向かうというように、切り拓くというのは自然な社会現象であると思います。

詩を書くにあたっても、結局は「新しいもの」という答えがでなくても、今の社会の流れを読んで、これからどうなっていくべきなのかを切り拓いていくのが文学ともいえます。

きっとこれは音楽も、それぞれの分野の仕事も、同じようなところを目指しているのかもしれません。

前置きはこれくらいにして・・・
とにかく、「新しくなくていい」と思っています。
ただ、通り過ぎていく風景を見て、そこに何を持って来るのか、試行することは必要。

猫も、海月(くらげ)も、ゆれながら地面を彷徨い、海を漂っています。
わたしたちがこの不安な社会や政治を生きるのに必要なのは「疑問」や「提示」から拡がる「真理」なのではないかと思いながら、このタイトルをつけました。

こんなことをかきつつも、そこに深い意味を感じてくれと思っているわけではありません(笑)。
9月7日(土)渋谷の大好きなラストワルツという場所で、「ゆれている」わたしたちと同じ時間のなかで数時間を「いっしょにゆれてみませんか?」という提案です。

強くなくていい。泣いていい。。。
ほんとうのことに近づくには「扉をあける」ことも、ときには必要なのではないかなと思っています。

当日はぜひラストワルツの大きな扉をひらいてみてください。
きっと次の日からあなたの世界が変わります。


























〈フライヤーデザイン:TABASA 岡本優〉

jeudi, mars 28, 2013

【闇】にかがやく ―― ワタリガラス(その1)


ワタリガラス/Corvus corax :(c)Wikipedia



 ワタリガラス・・・・
 闇のように黒く
 月のように妖しい
 魔術の話をしておくれ
 おまえの後を飛んで行く・・・ 
 (著)デイビッド カーソン「ジェイミー サムズ メディスンカード」の言葉より






ワタリガラスという単語を聞くと
建築家の友人が連れて行ってくれた映画のことを思い出す。
アラスカの神話を語るインディアンの男性。
そして、同時に星野道夫のことを思い出す。

自然を信じる。

どんなことがあろうとそれを貫くというのは、
簡単なようで難しい。
たとえ、暗闇に放り出されたとしても、
恐怖を乗り越えられるだろうか。
道夫はそれを信じていたに違いない。
しかし実際に襲われてきたのは
「自然のなかで育った熊」ではなかったようだ。

自然なら、信じられる。

・・・星野道夫と、ワタリガラスがだぶる・・・


(一旦話は旅します・・・)
3月9日に渋谷リエゾンでイベントを催したとき、俳優でありダンサーでもある福原冠氏に(低い跳び箱なら跳べる名義で)DJをお願いした。
彼は「悪い芝居」という演劇集団の『キャッチャーインザ闇』公演の真っ最中だった。
大阪から戻ってすぐ、これから新潟、そして東京という忙しい最中に引受けてくれたのだった。

そしてその後、東京での公演を見た・・・
イベントが終わってひと段落下したわたしは、桜を一望できるホームに立ってゆるやかに王子小劇場に向かった。ダンス、歌、同時進行する3つのストーリー。
(懐かしい・・・わたしが役者としてデビューした木野花演出の「物語」を思い出した。
あれもかなり役者は体力を使っていたように思うww)
それぞれの役者が放つ、台詞の鮮やかさ。言葉の持つ不明確さ。。。
ポップに見えるけれど全くポップとは言えないテーマだった。
むしろ、わたしには重く思えて、何かわからない暗さを持ち帰った。
それだからこそ、ダンスや歌や役者の持つ「愛らしさ」が必要だったのだと思う。
(脚本・演出、そして座長の山崎彬氏は悪い芝居の挿入歌の詞も手がけている)
懐かしい80年代風の掛け合いが、時代にちょっとだけミスマッチしていて、わたしはその微妙なさじ加減に好感を持った。すんなりお芝居に入っていけた。
反面、自分のなかで後半になればなるほどやっかいさ、処理しきれないものが澱となっていった。
「この世に生まれる」とき“闇”からやって来たわたしたち。
盲目から見えるようになったときのこと。
純真さとそこに漬け込む“闇”との合間で悩み苦しむこと。。。

われわれは、いつでもどこでも闇と背中合わせである。
そして一度そこに入ったらなかなか抜け出せないというのもまた“闇”の特性であるといえる。
暗闇が怖いのは、そのせいなのだろう。

「キャッチャー・イン・ザ・ダーク
 闇のなかで、わたしを掴まえて・・・」(注;導入歌より) ※うろ覚えなのであとで書き直します!



少し前に「闇」について考えていた。
それは「光」のことを考えていると必然なのだけれど・・・。
影ではなく、「闇」のなかでしか得られないもの。

ずっと掴もうとしている。
ずっと探し続けている。

それは孤独でしか得られない歓びでもあり、苦さなのかもしれない。
その苦味を知って、甘さをもっと甘く感じられますように。
けれど本当は怖くて、寒い。。

(話は戻って・・・)
星野道夫が、雪のなかで一人熊と対峙したときのことを思い出す。
死ぬということを怖いと思うまえに「自然」とその厳しさと闘う動物を信じぬいた人。
その孤独に価値があったかどうか、それを知っているのは本人か、あるいは神のような存在しかないのかもしれない。それでも彼は、孤独を怖れない心と躯を持っていたのだろう。
自然は時に“闇”を連れてくるのだ。それを受け入れる強さ・・・彼は強かった。


「闇」でなければ掴まえられない「何か」がある。
感覚の鋭敏さ。
温かいところでは育たない作物があるように、
厳しくなければ甘くならない果実があるように。

ワタリガラスは、闇のなかで光り、七色に輝く。
人知れず、けれども、美しく気高い。
誰にも出来ないことを、その翼と知恵とで実現してしまうというお話。
永遠にインディアンの言葉によって語り伝えられている。

最初のひと羽ばたきを暗闇でするとしたら?
群れから外れて飛び立つとき、その翼に不思議な力を宿しているよう。
自分らしさを風化させないワタリガラス。
伝説として語り継がれるのにふさわしい「生きもの(身近なもの)」なのかもしれない。


ワタリガラスのことは、また書きます。(からす全般も含めて)好きな鳥だから。




ところで・・・
リエゾンで福原冠が居て、お家みたいに音楽をかけてもらってよかった。
リエゾンで「悪い芝居」の音楽監督、岡田太郎さんにも出会った。
その流れで『キャッチャーインザ闇』を見に行けたこと。
やっぱり繋がる場所がどこかに、突然に、現れるんだって、あらためて思った。


ありがとうございました。。。


そして繋がりから、次のライブを故郷の足利でできることになりました。
てあしくちびるのお二人からネムネムさんへ・・・ありがとうございます。
(気合はいります!)よろしくお願いしまっす!!



☆☆☆

3月30日(土)
「M-FIELD vol.76」
@足利 NEMUNEMU
500円+Drink
open 19:00/start 19:30
出演:
てあしくちびる
田中雅紀
サワダヒロアキ
後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉