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lundi, janvier 19, 2015

左手の「可能性」



2014年は父が他界した。
のち、ちょうど半年で、
2015年がやってきてしまった。
時間だけが急ぎ足で通り過ぎてしまった。
…ように思われた。

この半年、
時折気にかけてくれる人たちの温かい声に
どんなに支えられたかわかりません。

2015年が明けて、
もう20日になろうとしている。

2014年は冒頭から、
徐々にゆっくりしていこう…と思ってから
半ばで、大切な家族を失って、
身体よりも心が
なんというか、慌しかった。

自分を見つめ、大切な時間を味わおうと
今年は始まっています。

最初から飛ばさないし、
(ずっと飛ばしてはいないけれど)
慌しくしても
目覚ましい発展はないし、
それは何も変わっていないようにも
見えるだろう。

自分のなかで
すっかり、
はっきり、
変わってしまったことがある。

時間がもったいない。

限られているのだから、
時間を大切に使いたい。

じつは、
焦っていろいろなことを同時に進めたら
右手首に支障が・・・ということで
動かさないように
今は包帯でぐるぐる巻きにしているんだよね。。
「おやすみ」だと視覚的に
自分に覚えさせているのもあって。。

そうしないと、
わたしの身体も脳も利き腕を使ってしまって
左手の可能性を見出せない(笑)

簡単なことなのに
身体は癖を優先する。
脳も同じなのだろうね。

呼吸すること。
整えること。


右が上手く使えないのは
左を意識させることなんだなと
考えてみる。

何かをしたいという衝動を押さえ

静かに考えてみること。

足りなかった「何か」を
明日へのスパイスにして
今年はこれから伸びやかに
ゆっくりと進めていこうと思っています。




☆ライブ情報
1月25日(日)START17:30(開場17:00)
@高円寺ウーハ ¥1500 + ドリンク(¥500) 出演:ゲタゲタ、片山さゆ里、sleepingbeauty、なの小夕子、シャンプーハッツ、後藤理絵

2月21日(土)START19:00(開場は1時間前)
【砂猫森歌 vol.3】
@高円寺 大陸バー彦六
¥1000+それぞれのオーダー(ご飯もドリンクも)
企画・出演:こもりうた、後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉


samedi, décembre 14, 2013

砂漠の猫は絶滅しそうだったよ(感謝)




人が生きていくことの大変さを考えると、
生まれたことの奇跡も含めて、膨大なエネルギーだと思う。

さらに人と人が出会うなんて、もっともっともっと・・・

成長する過程は、一つ階段を上ることに始まる。
それを上らなければ見えない景色も、さらに無限大で。。

一歩しか進めなくても、それを止めない限りは
新しい風景が見えてくるに違いない。
それを信じている。

スナネコという種類は随分と稀有な山猫の一種で、山ではなく砂漠に住むという。
生きるのに必死。

絶滅をいわれても仕方がない。

そんな存在を愛しいと思った。

あやかって、死にそうになりながらも強く生きたいと、
この名前をいただいた。
サンドキャット。砂猫。。。そこで生き抜く名もない猫の女王として。

去年、それを付けて始まったのはマサキオンザマイクのビートを受けて
「自分は誰か?」など、主題はいくつか仏教学などのちょっと
自問自答というようなことを書いたりしていた。

詩といえば詩。音楽といえば音楽。
なんだかそんなのどっちでもいいな、いまやれることだけをやろう。
もし気に入ってもらえたら、呼んでもらえるなら喜んで受けよう。
そのような感じだった。
けれど、与えられた場所や機会を活かすためには、やっぱり自らも
誰かを必要として刺激をもたらす場が欲しいと思うようになった。
それが今年の初旬の話だ。
二月から「砂猫(すなねこ)企画」を始めた。

1、【ヒポクラテスの純情 】 in 高田馬場 JET ROBOT
  DJ:春井環二
  出演:イシダユーリ、kaja、Fizz、てあしくちびる

2、【ZOZO-ism】in 渋谷リエゾン
  DJ:低い跳び箱ならとべる(a.k.a 福原冠)
  出演:ぬくみりゑ、尾林星、青木研治

3、【猫と海月と、ゆれながら、】 in 渋谷ラストワルツ
  DJ:Chiei
  出演:すナマき、田中光、
  KUU〈岡田太郎(悪い芝居)+津田りつ子〉、青木研治
  フライヤーデザイン:岡本優(TABASA)
  カメラマン:池上賢太郎

4、【B.D.X】  in 渋谷リエゾン
  DJ:Chiei
  出演:てあしくちびる、GOMMES+DJ 矢車、ギギ
  フライヤーデザイン:公一(ギギ)

ここに書いた人とご一緒させていただいた。

ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました!!!!!

何度お礼を申し上げたところで、おそらく足りはしないのだけれど、
振り返って思うことは、すべての出演者ならびDJ、関わってくれた人々すべて、
凝縮された個性をその場で発火させてくださったことに感謝を、
そしてこのステージ以外の場でも一人ひとり、尊敬をしています。。

毎回、企画では「尊敬している人」をお呼びしている。
まずエンターテインメント性の優れた、お客さんが刺激を持ってかえってくれること、
そして自分自身がこの方々に恥じないように追い込まれるということもあった。

特に「詩人」にお声がけしたとき、
心からの「声」と「魂」で語っていると思われる方をお招きした。
これは本心で、わたしは自分が同じステージに立てるかどうかギリギリの気持ちで挑んでいた。なぜならそこには「ゼロ」というものが立ちはだかっていたから。

わたしには何もない。
いつも、何もない。
そういうとなんだか信憑性がないけれど、今までいろいろやってきたにもかかわらず
どうも成長がみられない。自分で自分の不器用さには呪うものさえある。
そして人としても未熟すぎてとても恥ずかしいといつも思っている。

なぜこんなに自信が持てないのかな。
そういうことと闘っている話なんてとても恥ずかしいし、ここに書くことさえほとんど信じては貰えない話だけど(いつも自信ありそうだし、自分中心だよね、などと嫌みや罵りを受けたこともあるから)
本心です。。

しかしそんななかでも自主企画以外の場面で、
各方面のオーガナイザーの方に呼んでいただけたこと。。。
感謝しております。。。
ほんとうにありがとうございました。。

来年はすぐそばにあって、さまざまな世の中の動きにほとんどノイローゼになりながら言葉と闘わねばならないなんて気が狂いそうだけれど、丁度、先日の「B.D.X」というタイトルもつけたので、また「0」から始めたいという気持ちだ。
いつも無い。
このブログのタイトルも「RIEN」。それは「無」を意味する。

ばかみたいに、いつも無いところからのスタートなのだ。
ほんとうに何も無い。
なにも無くなった。
さびしさに身体が縒れそうになる。
気持ちが荒みそうになる。

けれど、やっぱり「無」と自分の心根の正直なところで闘うことしか残されていない。
温かい友人に囲まれつつも、お腹の底の闇とは闘わなければならないと括っていて、
その「言語」が誰かのアンテナにひっかかったとき、光を感じるのだ。
それは欲張りからの断捨離だったりするのだけれど、来年はもっと明確に人と接していけたらいいなと思う。

誰かが引っ張るとしたら、それは自分。
自分しか自分は引っ張れない。

======
あらためて
一人ひとりの世界が立っているアーティスト、詩人、ビートボクサー、ラッパー、バンドマン、いっしょの場所に立って、そしていっしょの空間をともにしてくれたお店の方々、それからそれからわたしの企画に忙しいなかに時間をくださった席を温めてくれた方々。。。お礼の言葉が、見つかりません。。。ほんとうに感謝しています。

来年は、もう少しうまく何かができるように土台をもう少し堅く出来たらと思います。
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!




後藤理絵

mardi, novembre 05, 2013

“今”をかっ飛ばすバッターには見える「NEXT DOOR」

きのうは【独り埼玉フェス2】にてご来場いただいた方々、
共演者のみなさま、ハーツのみなさま、そして呼んでくださった
主催のマサキさん、ほんとうにありがとうございました。

ほぼ一日がかりのフェスティバルが終わり、
帰路についたときには足が棒になっていた。
気づくのはあとからなんだよね。

西川口ハーツは大きなライブハウスです。
会場と楽屋を禁煙。
気管支炎になりやすい身としてはとても助かったのだけれど
それでも家に帰ったらラウンジに居た時間もあったので
身体や髪からいろいろなにおいがしていた。

きのう、リハーサルは落ち着かない感じで・・・
なぜなら、
最初のDJの突然のキャンセルによって主催のマサキさんは
自宅に戻りその時間を埋めるべくレコードを選びに行ってしまったため、
わたしのリハ時間も、その短い時間で選ばれたレコードたちと
スクラッチや機材チェックなどで気もそぞろになってしまった。

PA卓にお願いすれば本番も同じように出来たかもしれなかった。
ビート制作者を目の前にしてそれは出来なかった。
これはわたしの判断ミスだった。
のちにこれが悔しい気持ちになったのなら、判断するべきで
そして本人にも承諾を得れば良かった。
自分の責任だ。

わたしとしてはどこかで、ビートを作った本人の気持ちを
最終的には汲んでした選択でもあったから、
わたしから彼に対する「敬意」でもあったのだ。
後の祭り、というやつがやってきてしまった。。。

信頼しなければ・・・という気持ちがありつつも、
本心は「不安」でいっぱいだった。
リハーサルが何の為にあるものか、
それは自分の声をマイクに通してのチェックだけではなく、
音響、設備、人とのコミュニケーションで現場を作るための
「すり合わせの時間」と認識している。
出演者は多く、時間は限られている。

この点、今回のライブは、今までで一番悔しかった。
セトリの一発目の「カドウスルミライ」のファンファーレ的な
トランペット音を聴いて、はじめたかった。
実際の尺どおりに出来ず、この環境で自分の今の最高のものを
載せられなかった、それらが・・・ほんとうに口惜しかった。

わたしは「テキスト用紙」をみる。
「詩」を「朗読する」スタイルでやっている。
朗読は文字としての役割も持って現場に存在していて、
そこがラッパーのリリックとは違うところだ。

・・・家に戻って、いつものように髪を洗う。
適温の水に流されていく今日の汗や空気の匂い。
リハ風景(2013.11.4 GOMESS撮影)
「髪を洗うと忘れる」。
この言葉は素敵なわたしの友人が言った。
・・・思い出す。

シャワーがアタマを濡らしている数分、不安などない。
消したり、流したり、
・・・こんな日もある。
わたしは出来る限りのことをやった、
けれどそれが結果につながらない判断をしてしまった。自分の責任だ。
経験・・・ということだ。
(しかしながら、二度と無いように!)

家は、寒くなかった。
ほんの数秒、
あったらいいな、と思ってしまったのは
「手の温もり」だった。

未来が怖い、というのとはちょっと違う。
未来には、今よりもっと勇気や覚悟が必要になるだろうから、
そんなことは言ってられない。
また、そうでなきゃ目的の場所にはたどり着けない気がするのだ。

わたしはライブ出演させてもらった場面で、
(iPhoneだけど)他のパフォーマンスをしている人の姿を撮影する。
自分のことは撮れないのは当たり前だけど、
時折撮ってくれる人がいると“全く予期しない姿”が映っていてびっくりするから、
面白い。そして、わたしも他の人にしたいと思うから。。。

いつも安定して「いい」と思える人も居れば、
この人の今日「すごくいい」などと思ったりしながら
こんなお手軽なカメラではあるけれど瞬間を切り取る。

カメラというものが好きだ。
写真を撮ってくれる人の目線が好きだ。
(ほんとうはもっとカメラらしいカメラを持ち歩きたいけど荷物が重くなると
 頚椎が危険ということもあって持てなくなってしまった・・・そして文明によって
 軽量化している分だけ性能が上がって結局この手元にあるもので充分というのもある)

その瞬間は「扉」だと思う。

人は必ず老いていく。
「死に向かう」ことから逃れられないのは生まれたときから決まっている。

けれど写真を見ると「今」なんだな、と思う。
瞬間が切り取られて、その次の瞬間、場面、表情などを想像するのが好きだ。

写真が好きなのは、幼い頃に父が向けてくれたカメラのせいだと思う。
8㎜や35㎜のフィルムが雑然と閉まらなくなるくらいに
ぎゅーぎゅーに入っていた華奢な箱のことを思い出す。

わたしを撮ってくれた父は、今はもうカメラをほとんど持っていない。
けれどその父は教師という職を持ちながらテニスや写真、油絵、映画や音楽鑑賞・・・
様々な趣味を経て書家になって、今だに生徒を持ち続けている。

次の扉を、開けてくぐって「今」を生きている人。

昨日から今日への扉は簡単に開いてしまったけれど、
少しばかり重さがある。それは大事な重さだ。
次なる扉を準備している。

そしてその扉とやらは
「バッターボックスに立たないと見えない」。
今、しみじみと感じていることだ。



ライブ情報==========

11月17日(日)
斜陽フェスティバル10

雲雀主催
@渋谷RUBY ROOM  
open/18:30 start/18:45
チケット/1000円+1D500円 
出演:
 雲雀   
 BOBBY'S BAR    
 4SPiKES    
 黄金狂時代   
 NAUGHTY DEVILZ TRIO    
 後藤理絵=Regina<砂猫女王>



★すなねこ企画★


12月7日(土)
B.D.X
@渋谷リエゾンカフェ
open 18:30/start 18:30
予約:2000円(1D込)
    ※予約=rie.goto(あ)gmail.com
当日:2500円(1D込)
D J : Chiei
出演:
てあしくちびる
    ギギ
    GOMESS
    後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉

vendredi, novembre 01, 2013

新鮮さ

11月1日。
今年はあと二ヶ月。

大まかには「目標」に近づいていて、
けれどそのあいだに訪れた出会いや出来事に
笑顔で振り回されつつ過ごした。

スタートダッシュしないときのほうが、
自分の調子は良いことが多い。

自分の体力や思考、そして若干の「無理」がバランス良くある。
それが望ましい。

無理は必要。
この無理がなければ伸びる機会を失う。
何か「してないといられない」というのは病に似ている。
けれど何かを「しなくてはならない」という大きな山に向かうとき、
ある程度の速度と躯の様子を伺わなければ頂上にはたどり着けない。
そして多少の「無理」がなければ上には向かえない。

スタートダッシュなんて気にしていない。
コントロールしながらわずかでも今より先にすすむ事・・・
幸先いい、その言葉も信じてない。


新しいことをはじめるとき、いつも思い出すことがある。
予てからやりたかったフランス語を、(サボり屋さんなので)考えた挙句
春、よしやろう!と教室に通おうと決心して通いはじめたときのことだ。

クラスではフランス語以外話さない教室で、予習復習を整え、
クラスで一番はきはきと先生の質問に答えてい目立つ女子学生が居た。
すごいなぁ、と思っていた。
しかし、二ヶ月目の半ば頃から彼女の姿を見なくなった。
何故だろう、レベルを飛ばしてもっと上のクラスに変更したのかな?
などと思っていたが、実際は通っていなかった。
「もったいない」と思った。
以来、細々とでも続けられていくことの大切さを感じて、
時折、それを思い出している。

要は、自分がサボってしまったりするので、
「言い聞かせている」のもある。
こつこつ、ってやっぱりとても難しい。
とかく派手な動きに躯が持っていかれやすいものだ。

今日も、それを思い出している。
なにかにつけて「新鮮」な風を自らつくるのは難しいものだし、
バランスをとって歩くことは容易ではない。

上手くなることが「新鮮」さを失うなら、その間を綱渡りするように
バランスをとって歩ききるしかない。
しっかりした地盤の上の疾走をしたくても
それをできる人は限られている。
しかしその人は畦の花を見つける暇はないのだ。
よろけながらでも花を見つけることができる。
それはそれで特権である。
もしその特権が得られるとすれば、
ちゃんと「花」を見つけられるような、
「新鮮」さを取り込めるバランス感覚を
持ち続けなければならない。

一昨日の晩、その「花」が
自分の枕元に咲いているのを、
わたしはみつけた。






★ライブ情報★

【独り埼玉フェス2】
11月4日(月・祝)






ZGR/マサキオンザマイク主催
@西川口Hearts
http://hearts-web.net/hearts/
open 14:30 / start 15:00
door 1300円 / adv 1000円

 

【斜陽フェスティバル10】
11月17日(日)
雲雀主催
@渋谷RUBY ROOM
open 18:30/start 18:45
door 1000円+1D500円
 
   
出演:BOBBY'S BAR
    4SPiKES
    黄金狂時代
    NAUGHTY DEVILZ TRIO
    後藤理絵=Regina<砂猫女王>
    雲雀 
 
★すなねこ企画★


12月7日(土)

@渋谷リエゾンカフェ
open 18:30/start 18:30
予約:2000円(1D込)
    ※予約=rie.goto(あ)gmail.com
当日:2500円(1D込)
D J : Chiei
出演:
てあしくちびる
    ギギ
    GOMESS
    後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉


mardi, juillet 16, 2013

ちょっと怖いけど笑えること

パリのコンコルド広場で、
大好きな人と観覧車に乗ったことがある。

古くて回転の速い、小さい観覧車・・・
速すぎて、怖くって、
ゲラゲラ笑って、お腹が痛かった。

ワクワクとちょっと怖かったことが交じって笑ってしまった。
好きな人と一緒だったから余計にとまらなかった。
無防備に笑っていた顔を今でも思い出せる。

横隔膜を震わせたのかもしれない。
何が?
恐怖が?
ワクワクが?

いま、は、どうかな。
怖いかな?

じつは、自分のなかで何が起こっているのかわからないけど
ワクワクしている・・・

心の底ではちょっと怖いのとワクワクする気持ちが
あやとりをしているみたいだ。

メモをする。
やりたいこと、
やらねばならないこと、
必要なこと、不要なもの、
整理する・・・

マッキントッシュのデータも動画を取り込みすぎて
外付けハードディスクに移動することが上手くできていない。

整理が下手なのだが、
整理し始めるととまらなくなって
じっくり取り組んでしまう・・・

今まで時間がないことを言い訳にしていたけれど、
ほんとうは面倒で溜まってしまったデスクトップ。

あの観覧車の夏の夜。
わたしたちの周りの風景はぐるぐると
エッフェル塔だとか広場の空気をかき混ぜて
世界のどこにいるのかを忘れた。

今居る場所だけを感じていることが出来た。

あの、風を味方にできる瞬間を、
いつまでも憶えていて、
そして、ワクワクと一緒に笑っていたい。



========================

★ライブ情報


lundi, juillet 01, 2013

回帰(ゼロ)から未来へ

夏。

自分が自分に還る時期。

数を数える。

一つ、また一つ。


流れていくのは何だろう。
しかしそれは一つとして同じ細波も渦もなく、
どれもが目を凝らしながらけれど広い視野で、
見ていなければ、本質が見えてこない。


わたしはうっかりしている。
夏にいつも追いつかない。

追いつかないふりをする。
夏がすきだから。

熱い。
胸やら躯やら、一体どこが熱いのかわからないけど、
熱い。

そんなとき、
数を数える。

笑顔を思い出す。
あの声が好きだ。
本当は一番聴きたい音楽だ。

流れていく。
夏と雨の滴が川になって流れていく。

あの音楽を聴きたい。
笑顔がみたい。

祈りが似合うのも、
夏だった。

平和の影で何千、何万もの命が丸焦げになった。
あの日が近づく。

生まれかわる。
そして海に流れつくまで、たくさんの雨つぶが川に飲み込まれて、
海にたどり着くのだ。

わたしは、
わたしは、

祈ろう。
じっと、祈ろう。

祈ると、叶うだろう。
マイナーな音は鳴らさない。
笑顔に似合う音楽が聴こえるだろう。




mercredi, mai 15, 2013

「視野」のはなし

遅ればせながら4.25(木)から26(金)にまたがったイベント【視野】に参加できたこと、
いろいろな人たちと出会えたことに感謝します!!
INDIGOの素敵な空間で読ませてくれて(呼んでくれて)冠ちゃんありがとう!
聴いてくださったみなさまありがとう!(ほんとうに聴いてくださっているのを体感した夜でした)

空間は、その場限りであって、二度と再現することは不可能であるけれども、
そこで得た感動や出会いは続いていく。余韻は続くもの。

全く違う目的を持った人が一つの空間に存在している。
ほどよい大きさと抜けた天井のINDIGOを主催の冠ちゃんが気に入っていることも入ってすぐにわかった。そしてそこに集まってきた精鋭のDJたち、ダンサーたちもその場にしっくり来た。

ここに居られてしあわせだな・・・そんなことを思った一夜だった。

わたしは過去の俳優業とほぼ同時くらいに、あるDJとコンピュレーションアルバムのお仕事をしたことがある。
その人は当時からDJ界隈ではかなり名を馳せた人で、今もGODと言っている若い人もいるくらい伝説の人で、気がついたときはいろんなジャンルの音楽を聴くようになっていた。

「気がついたとき」と書いたけど、音楽好きのクリエイター、バンドマン、現代アーティスト、画家。。。
などなどとプライベートで遊んでいたからなおさらだった。

ある画家の家で、みんなでリタ・ミツコのPVを見たり、彼らに服を作ってもらったり、
楽器をならし歌ったり、様々な好きなアーティストや映画や、新譜の話や・・・
その人自身の人間性や名言について論じ合ったり・・・そういうことが、
今のわたしを形成しているのだろうな、と思う。

(福原冠が自主企画を「視野」と名づけていることに感銘を受けたのだが)
「視野」は確かにライブ毎に広くなっていくのが健康的だ。
 しかし、何年も同じ場所に居れば、そこに新鮮さを失っていくこともあるだろう。
わたしはたまたまそれについては恵まれていて、つねに新しい風をもってきてくれる?あるいは一緒になって風になる人と出会えている。

「視野」という言葉はあまりにも掴みどころのない発音と文字の簡素なものであるが、
これはとても重要なことだ、と、あらためて自分に問う機会を与えてもらって、
心の底から福原冠(DJ:低い跳び箱なら跳べる)という人に感謝している。
ありがとう。ほんとうに。

どんなときも、自分の視野の拡がりに制限をかけてはならない。
小さな気づきこそ、目を見開いて、そしてよく見張るべきだ。

自然を壊してしまわないように(他の人に迷惑をかけることのないように)。
大きな媒体、メディアに、流されてしまわないように(団体性もときには疑うように)。

そして、先日はまたZIGOKU-RECORDというレーベルの会議(ライブ)があって、
会議資料のほか、いろんなものを持ち帰ってきた。

つぎは「独り」という言葉について語りたいな、と、思った夜。



近日のライブ予定★

2013年5月23日(木)
ローカル・ミーティング vol.8  
渋谷 ラストワルツ
開場18:30 開演19:00
全席自由 ご予約 ¥2,000 当日¥2,500(税込み ドリンク別)

出演:島田篤+岩下達朗、梅原典之、
    後藤理絵、Leafy Satori Risk(from Los Angeles)


6月2日(日)
「独り埼玉フェス」
主催:マサキオンザマイク(ZIGOKU-RECORD)

西川口ハーツ
出演:Z.I.O-RAMA、FIZZ、eBi、SAG.MIC、
       ナカザワニンジャ、ゆうま、popo、Regina(砂猫女王)a.k.a後藤理絵



vendredi, mars 29, 2013

【光】の使者 ――― ワタリガラス(その2)

ワタリガラス

太陽の欠片を咥え
暖かな日を人類にもたらしたという神話

北欧でもイヌイット(北カナダ)でも、
「この地球(陸と海)をつくり人類を救った」
重要な役柄で登場するワタリガラス。
 

自然の摂理をつかさどる“神”の使者とも
言われているようだ。




ネット上だけでも沢山出てくるが、一部を下に記しておく。


【イヌイット】
 この世にまだ何もなかった昔、一組のワタリガラスの夫婦が存在していた。
あるとき、ワタリガラスの妻の腹が大きくなり、そこから人間の男女が生まれた。
ワタリガラスの夫はそれを見て「誰の子だ」などと妻をなじることもせず、
生まれた彼らが暮らしていけるようにと、海の上にフンを放った。
夫の放ったフンは海を漂い、陸地となった。

 人間はその陸上で生活し、ワタリガラスの夫婦はそれを見守り続けたが、
地上は凍てつき、人間の暮らしは厳しかった。
それを不憫に思ったワタリガラスの夫は、舞い上がって天の一角をくちばしで破り、
そこから太陽を引きずり出して地上を照らした。
そして、太陽の一片を咥え取って、人間に与えたのだった。
 
このときより、人間は火を使うことができるようになったという。

ここまで書いて思ったが先日の「森にみならう(3.22記)」のときに登場したフィンランドの
神話とよく似ている。
そして、きのうの「ワタリガラス(その1)」の話も「森にみならう」の熊(神聖な生きもの)と星野道夫のそのときの態度が繋がってしまった。


【北欧神話】
 オーディンの斥候として、フギンとムニンの2羽のワタリガラスが登場する。
9世紀からのアイスランドへの入植の歴史を記した植民の書で、まずアイスランド島に上陸したフローキ・ビリガルズソンは、目指す島の位置を知るために洋上からワタリガラスを放ち、その飛ぶ方角を見て進路を決めたことから、カラスのフローキと呼ばれた、としている。


それから・・・
【旧約聖書】
聖書では大洪水の際、ノアの方舟にてノアがワタリガラスを放ったという記述がある。
(鳩と一緒に放たれたらしい)


ワタリガラスは・・・
人間の子を宿し、人間を救う為に陸をその糞で造った。
天をその嘴で破って太陽を連れてきた。
ノアの箱舟から最初に放たれた動物である。
などから、(ひとまとめにして)神の使者だと言われたりする。
また、太陽から火を持ってきて人間に渡したというのもワタリガラスが通りがかりの鷲にお願いしたという話もあった。紹介はしきれないが、この黒い鳥はこの世の中に神話とともに生きていることは間違いない。そして日本にも北海道に渡って来る時期がある。これからの季節が鴉の季節だ。




ライブ情報【明日!!足利で・・・】☆☆☆
3月30日(土)
「M-FIELD vol.76」
@足利NEMUNEMU
500円+Drink
open 19:00/start 19:30
出演:
てあしくちびる
田中雅紀
サワダヒロアキ
後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉

jeudi, mars 28, 2013

【闇】にかがやく ―― ワタリガラス(その1)


ワタリガラス/Corvus corax :(c)Wikipedia



 ワタリガラス・・・・
 闇のように黒く
 月のように妖しい
 魔術の話をしておくれ
 おまえの後を飛んで行く・・・ 
 (著)デイビッド カーソン「ジェイミー サムズ メディスンカード」の言葉より






ワタリガラスという単語を聞くと
建築家の友人が連れて行ってくれた映画のことを思い出す。
アラスカの神話を語るインディアンの男性。
そして、同時に星野道夫のことを思い出す。

自然を信じる。

どんなことがあろうとそれを貫くというのは、
簡単なようで難しい。
たとえ、暗闇に放り出されたとしても、
恐怖を乗り越えられるだろうか。
道夫はそれを信じていたに違いない。
しかし実際に襲われてきたのは
「自然のなかで育った熊」ではなかったようだ。

自然なら、信じられる。

・・・星野道夫と、ワタリガラスがだぶる・・・


(一旦話は旅します・・・)
3月9日に渋谷リエゾンでイベントを催したとき、俳優でありダンサーでもある福原冠氏に(低い跳び箱なら跳べる名義で)DJをお願いした。
彼は「悪い芝居」という演劇集団の『キャッチャーインザ闇』公演の真っ最中だった。
大阪から戻ってすぐ、これから新潟、そして東京という忙しい最中に引受けてくれたのだった。

そしてその後、東京での公演を見た・・・
イベントが終わってひと段落下したわたしは、桜を一望できるホームに立ってゆるやかに王子小劇場に向かった。ダンス、歌、同時進行する3つのストーリー。
(懐かしい・・・わたしが役者としてデビューした木野花演出の「物語」を思い出した。
あれもかなり役者は体力を使っていたように思うww)
それぞれの役者が放つ、台詞の鮮やかさ。言葉の持つ不明確さ。。。
ポップに見えるけれど全くポップとは言えないテーマだった。
むしろ、わたしには重く思えて、何かわからない暗さを持ち帰った。
それだからこそ、ダンスや歌や役者の持つ「愛らしさ」が必要だったのだと思う。
(脚本・演出、そして座長の山崎彬氏は悪い芝居の挿入歌の詞も手がけている)
懐かしい80年代風の掛け合いが、時代にちょっとだけミスマッチしていて、わたしはその微妙なさじ加減に好感を持った。すんなりお芝居に入っていけた。
反面、自分のなかで後半になればなるほどやっかいさ、処理しきれないものが澱となっていった。
「この世に生まれる」とき“闇”からやって来たわたしたち。
盲目から見えるようになったときのこと。
純真さとそこに漬け込む“闇”との合間で悩み苦しむこと。。。

われわれは、いつでもどこでも闇と背中合わせである。
そして一度そこに入ったらなかなか抜け出せないというのもまた“闇”の特性であるといえる。
暗闇が怖いのは、そのせいなのだろう。

「キャッチャー・イン・ザ・ダーク
 闇のなかで、わたしを掴まえて・・・」(注;導入歌より) ※うろ覚えなのであとで書き直します!



少し前に「闇」について考えていた。
それは「光」のことを考えていると必然なのだけれど・・・。
影ではなく、「闇」のなかでしか得られないもの。

ずっと掴もうとしている。
ずっと探し続けている。

それは孤独でしか得られない歓びでもあり、苦さなのかもしれない。
その苦味を知って、甘さをもっと甘く感じられますように。
けれど本当は怖くて、寒い。。

(話は戻って・・・)
星野道夫が、雪のなかで一人熊と対峙したときのことを思い出す。
死ぬということを怖いと思うまえに「自然」とその厳しさと闘う動物を信じぬいた人。
その孤独に価値があったかどうか、それを知っているのは本人か、あるいは神のような存在しかないのかもしれない。それでも彼は、孤独を怖れない心と躯を持っていたのだろう。
自然は時に“闇”を連れてくるのだ。それを受け入れる強さ・・・彼は強かった。


「闇」でなければ掴まえられない「何か」がある。
感覚の鋭敏さ。
温かいところでは育たない作物があるように、
厳しくなければ甘くならない果実があるように。

ワタリガラスは、闇のなかで光り、七色に輝く。
人知れず、けれども、美しく気高い。
誰にも出来ないことを、その翼と知恵とで実現してしまうというお話。
永遠にインディアンの言葉によって語り伝えられている。

最初のひと羽ばたきを暗闇でするとしたら?
群れから外れて飛び立つとき、その翼に不思議な力を宿しているよう。
自分らしさを風化させないワタリガラス。
伝説として語り継がれるのにふさわしい「生きもの(身近なもの)」なのかもしれない。


ワタリガラスのことは、また書きます。(からす全般も含めて)好きな鳥だから。




ところで・・・
リエゾンで福原冠が居て、お家みたいに音楽をかけてもらってよかった。
リエゾンで「悪い芝居」の音楽監督、岡田太郎さんにも出会った。
その流れで『キャッチャーインザ闇』を見に行けたこと。
やっぱり繋がる場所がどこかに、突然に、現れるんだって、あらためて思った。


ありがとうございました。。。


そして繋がりから、次のライブを故郷の足利でできることになりました。
てあしくちびるのお二人からネムネムさんへ・・・ありがとうございます。
(気合はいります!)よろしくお願いしまっす!!



☆☆☆

3月30日(土)
「M-FIELD vol.76」
@足利 NEMUNEMU
500円+Drink
open 19:00/start 19:30
出演:
てあしくちびる
田中雅紀
サワダヒロアキ
後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉


vendredi, mars 22, 2013

「森」にみならう

ファイル:Jonny Greenwood, May 11, 2008.jpg
May 11, 2008/Johnny Greenwood


森の神話を知っていますか?


フィン族の森のなかでもっとも神聖と思われた「熊」の存在は“人々の祖先”とされ、
その名称を声に出して呼ぶことはなかった。
よって熊の呼び方はじつに様々で婉曲に表現されていた。

こういうことは、呼び始めた人のもつ言葉の感覚によるものだと思うのだけれど、
おそらくとても詩的なものであったのではないかな。。。

18世紀まで口で伝えられていたフィンランド神話のなかで、
「この世界は鳥の卵が破裂してできあがった」とされているらしい。


そうなると・・・ムーミン谷は、とても自然なお話のような気がしてならないのね。


北極星が天井の中心で、そこからテントを張る。
それがこの世界であると・・・。


それはまさにサンタクロースとセットである、もみの木に飾りつけるツリーの天辺!
輝く星のリース。。。 (繋がるではありませんか。。)



津波が日本列島の東を飲み込んで、多くの海産物の被害があるなか
牡蠣の養殖の復旧に務めたある一人の海の男が
「森を育てる!そうすれば牡蠣はかえってくる」そういったことを思い出します。



一つのことに集中することはとても大事。
けれど、そこにばかり捕らわれるということは、多くのものを見失うかもしれない。


政治も、経済も、世界情勢も、とても不安定で、不安になるニュースばかり。
(アジアの小国は大国を背に二人羽織みたいに翻弄されている)
しかし、その多くは「他者」のせいにする「誰か」の無責任さによるものだと思う。

その「誰か」は実は一部「自分」である。
たとえば総理大臣を選んだのは「誰か」であって、
その「誰か」を選んだのは「(自分を含む)誰か」であると言える。



ひとつの小さなこと。
ひとつの小さな思い。
それがたどり着くのは「海」である。
そしてそれを最初につくるのは「森」である。

森の一つひとつの「木」は、一人ひとりの「わたし」たちであって、
いつか「わたし」たちの小さな思いは海に流れ着く。

だから、諦めない。
だから、自棄(やけ)にはならない。
だから、考え続ける。
だから、川の流れがきつくてももがいてたどり着く・・・しか、ないのかもしれません。



技術がなくても、積み重ねられれば、それがその手に備わっていくことを願い、
わたしはいま、机に向かいながら予習、復習をしてノートを手に何度も何度も、
繰り返し同じスペルを練習をしています。



冒頭の写真はギタリスト“ジョニー・グリーンウッド”。
この人は身近な「神話」的な存在なのでは?と、勝手に思い貼らせてもらいました。
名前も「緑の木」だしねw

自分の「木」がいつでも生い茂る「緑」の葉をつけるとは限らないけど、
木なら季節によって葉の色も変わって、落ちてまた新芽を出すだろうと思う。

だから、それを諦めず、芽吹くまでの自己管理をしっかりすればいい・・・
よねって、独り言つ。 

一滴はやがて「川」になり、「海」へと辿り着く。
積み重ねれば「橋」になる、という呪文。




ライブ情報☆☆☆
3月30日(土)
「M-FIELD vol.76」
@足利NEMUNEMU
500円+Drink
open 19:00/start 19:30
出演:
てあしくちびる
田中雅紀
サワダヒロアキ
後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉

lundi, mars 18, 2013

雑記

あまり器用でないというのを実感する日々。

彷徨いながら折に触れて小さく「よしっ!」と決断を重ねてきたように思う。

なんだかなぁという判断もあったかもしれないが、自分なりにはそのときそのときがいっしょうけんめいであったことには違いない。



節目ってどこにでもあるんだよね。
木の節目だったら、そこから枝が生えてくるってところ・・・



いろいろなことを書きたくなるけど、ここにはあまり書かない。
袋が破けてしまいそうだから、だ。



大好きな友だちが小さな赤ちゃんを生んだ。
それを聞いてとても、とってもうれしい。

わたしにはとてもとても神聖で遠いものに思えるけれど、
こんなにいろんなことで窮屈になっていく世の中であっても
「新しい人」が世に生まれ出てくることに感動する。



一昨年の伊藤比呂美さんのとあるイベントの終った後の会のこと。

ある男性が、わたしが誰かに話していたことを受けて、割って会話に入ってきた。
自分の奥さんは病気で薬を大量に服用しているから子どもが持てないのだと言った。

だから、わたしに「書き続けてくださいね。僕たちのためにも」と言ってくれた。

子どもが持てない辛さって、持っている辛さより理解されにくい。
「わたしは子どもが欲しかったのに、持てなかっただけなのよ」などと言って回ったりしないからだ。
子どもを持っている人の大変さを理解できないのだろうと、他人は簡単に言う。

「持たない」のと「持てない」のは違うわけだから、それを理解しろ、というには無理があるのだと思う。そこは、諦めるしかないのだろうな、と、わたしは思う。
理解されなくても、それはとても苦しいことだって、わたしは知っている。
※「持つ」という表現はしっくりこないが、ここではそのように敢えて書かせていただいた。
 誤解を招くかもしれないが、わかりやすさを優先した。


そんなわけで、わたしはその男性の「奥さん想いの言葉」に勇気づけられた。
神様と約束しなかった自分の魂と躯を呪いそうだったところに、
やっと、やっと、心と躯が開放された風穴が空いたようだった・・・
ありがとう、と同時に、踏ん張らねばならないときがくるのだろうと思った。


それまでも、それからも、
言葉をつづっていくなかで思うことがあった。

いつも「命の息吹」を感じられる、または、そんな存在が見え隠れするといいな・・・
と、思っていた。

人が死ぬ。
人が生まれる。


父や母に感謝する。


昨日はアムステルダムにいる弟みたいなかわいい友人のお誕生日だった。
今日は以前コンピュレーションアルバムでお世話になったDJのお誕生日だ。

ふたりに、いつ会えるかわからない。
遠くであっても、
近くであっても、
いつも、いつでも会えるかどうかなんてわからない。



きのうはいろんなイベントがあったにもかかわらず、
出て行かねばならない部屋から引越しすることや
今日のライブのことで向かえなかった。


しかたなく通り過ぎてしまうことや、
自分の選択しなければならないこと。

心のなかでの決断。
対外的なリスク。


人と人が出会う。
人と人が別れる。



程よい温度になる頃にやっと受け入れられる。


彷徨いながらもみんなが生きているんだということを、
そんなことを・・・今朝の春の暖かさにただ「感じて」いた。



今日はライブ。

わたしの声は近くに届くかどうかわからない。
近くなくても、遠くなくても、
今夜、
あの場所で、
こんな息遣いで、
「挑戦」していくしかないのだろう、と、思う。


このあとの予定は故郷足利にて、3月30日(土)です。

東京では4月に1回で夜中のイベントです。

少しだけおやすみしながら、今はじめたばかりの新しいことや引越しや、
今までのことを整理したり、ときには新しい作品を書いたり、
(まぁ、仕事が立て込んでくる時期ではありますが・・・)
行けなかったイベントやオープンマイクに行ったりしたいと思います。




会える場所で、
また会いましょう。





=================
今夜、渋谷で読むという告知です。

駅が様変わりしているようで、迷ってしまいそう・・・
SLIDER SLIDER vol.1

「SLIDER SLIDER vol.1」
2013年3月18日(月)
渋谷 ラストワルツ
開場18:30 開演19:00
全席自由 ご予約 ¥2,000 当日¥2,500(税込み ドリンク別)

【出演】
後藤理絵
analog set
スズキリウイチ
南場朝海
半バナナ(ミックスナッツハウス)
Last Waltz by shiosai

vendredi, mars 15, 2013

あたらしいおんなのこ

はじめまして
あたらしいおんなのこ

なまえはまだないのね
だれにもふれられていない

異次元の透明なミルクと
異世界の乳白色のベールと
柔らかな握りこぶし

こんにちは
あたらしいおんなのこ

あいたいよ
いとしいよ

ふれられるのはいつなの
だれかとおなじりぼんをつけて

この世で一番きれいな羽と
この世の虹をひとりで掴む
柔らかなてのひら

こんにちは

よかった
みつけたよ

あたらしい匂いのする
あたらしい春をまとって




==================
le mardi 12/3/13
pour mon amie avec mon amor

mardi, mars 12, 2013

「またね。」(2013/3/13加筆)

この言葉はとても切ない。


ある時期に少し遠くに旅をしていたときのことを思い出した。

その旅先であった人たちと「またね」と言い合った。
しかし、いまだにあっていない人が何人も・・・いる。

2006年に出版した「ア・ビアント じゃ、またね。」という詩集から7年の月日が経とうとしている。
そもそも、そんな思いを7年前の詩集を制作しているときに収めたいとこんな書名にしたのだった。

詩集に対しての恥ずかしさより、今はもう、随分と違う場所にいるような気がしてくる。
それよりも「またね」という言葉は月日を経、大きな出来事が起きてしまってからというもの、さらに意味の深さや重さをともなうものとなった。

あの朝、いつもと変わらない顔で声をかけあって・・・家族や友人たちは互いに「おはよう」「いってきまーす」などと交して・・・大体の人が、“すぐにまたあえる”だろう、と、他愛の無い会話をしていたのではないかと想像する。

・・・3月が来るのが恐ろしくてならなかった。
12月は新しい年が目のまえだというのに、忙しさと寒さと、恐怖に震えていた。
もっと震えている人がいることを想像すると、自分を責めて、消えてしまいたくもなった(もちろんそんなことはしない)。

2012年夏の終わりに、山口県宇部市の“草の実少年少女合唱団”が、(わたしが8年前に作詞した)「光の花束」という曲を天使のような声で初めて公開された合唱を聴かせてもらった。
心が洗われたと同時に、まるでわたしがずっと以前に書いたものとは思えない、今こそみんなに歌ってほしい歌詞だったんだなあと、自分でも驚いてしまった。客観的に聴けたことがうれしかった。
誰かに届いたらいいのに・・・透明な声の美しさにハッとに気づかされたような感覚だった。

だからそのとき、わたしは自分に対して(心のなかで)いくつかの“小さな約束”をした。
“つぎという機会がいつでも訪れるわけではない”のだということも・・・。
なんだか目に見えない啓示みたいなものが漠然と目の前に現れたようだった。

その後、2012年の後半は新しい挑戦をさせていただいたように思う。
Regina〈砂猫女王〉としてラップビートにのっての曲作りもそのうちの一つだった。
「詩人の聲」での肉声1時間の舞台もその一つだった。
そして前々から好きだったライブハウスに立ったり、他ジャンルの人やヒップホップの方々と交じってパフォーマンスしたりという機会に恵まれた。

そうやって髪がなびくような緩やかな風がやってきて、わたしはそれを髪の乱れないように風の拭いてくる方に顔をまっすぐに向けながら立って、柔らかな向かい風に向かって歩いくようにしていた。
けれど風は一定には吹かない。ときにどんな風がやってくるのかわからない。
日常では辛酸と苦味を交互に味わうことも多かった。
2012年の後半、外からのギャップと内側に巻き起こることの差に悩まされた(苦笑)。

そうしながらも、わたしは自分で風を起こしたいとうずうずしていたのかもしれない。
2013年の鐘の鳴るまえに、話は一つやってきて、その流れでもう一つを自ら好きな場所にコンタクトをとって日程を決めた。
それが「ヒポクラテスの純情」「ZOZO-ism」。
ロックな魂が叫ぼうとしているその寸前の空気が好きだ。
叫んでしまったあとではなかなかその気持悪さを思い出せないものだ。

二つの場所は、「わたし」が生まれた場所と中継地であった。
まずはここから・・・そんな気持ちだ。

すぐに声をかけたいと思った人がいた。
今回はイシダユーリ、ぬくみりゑ、青木研治だった。 ※敬称略

特に女流詩人を意識した。
わたしからはこう見えていた二人。女性であって自分のなかの「女性性」と激しくそして時間をかけて闘っている美しい人。好みの「発声」で、好みの「言葉の繋ぎ」を展開している人。
イシダユーリの小さな爆発を重ね、交差させて行く、その爆発のテンポに心地よさを覚えていく。しっかりした発語と音程の良さ。最初のイベントのトップバッターをお願いした。
ぬくみりゑの透明感と微妙なイントネーションの違和感でもたらす世界は彼女にしか出せない。書いているテキストの重さと声が同じ温度で“ゆらぎ”を発生している。このゆらぎもまた、夜の帳が降りる頃に読んでもらいたいとお願いした。

青木研治は、以前ある人と出会ったときに一番最初に聞いた名前だった。
わたしにとっては“得たいの知れない”怪人のようでありながら、不思議と親しみを覚える人。
それでもまだ得たいの知れなさをずっと感じさせてくれて、どのパフォーマンスを観ても身近なテーマなのになぜか遠くに見えてしまうのだった。その不思議な浮世離れした人をお家呼んだら何をしてくれるのだろう。電話で話したとき、やっぱりこの人にお願いして良かったと後から思うことになったのだが・・・(笑)。

サプライズだったのは今村知晃。
(声を掛けたかった人のうちのひとりだったのだけれど、まさかご夫婦で?ということでわたしが野暮になるのでやめていたところ・・・数日前に連絡が入ったのだった。
とってもとっても驚いたし、すごく嬉しかった。)
それと、ちょこっとレポすると二人の掛け合いは最高だった。揮発性の毒物みたいだった(笑)!

わたしは自分のブログでは身近なところで「詩」を書いている方への感想をあまり書かない。
それを書くことによって、誤解を招くことを恐れているのかもしれない。
本人に“直接”伝えたほうがいいと思っているからかもしれない。
そしてなによりも、本人に届く言葉のほうが“リスペクト”になるとも思っている。
(リポートはYoutubeとともに多少記載すると思いますがw)

二つのイベントでは詩以外の要素が必要不可欠だった。
言葉は音楽である。
そこも、わたしが思い続けているところだ。

胎動というジャンルレスのイベントでkajaを見た。魅せられた。
言葉と音を同時に奏でる楽器(Human Beat Box)そのものだった。彼に一目惚れした。
こんな人を言葉の人のあいだに突っ込んでみたい!そう思った。

マサキオンザマイクと曲作りをしてのライブで再会したFizzは、二年前とは全く違う顔を魅せた。
制作したばかりのアルバム“血ノ出ナイボクシング”で圧倒的なポエトリーラップを炸裂させている。

栃木県足利市という町はわたしの家族が出会った場所だ。
(なぜなら家族全員別の土地からやってきて“足利”にたどりついたから)
レペゼン足利。
足利出身であることを誇らしい気持ちにさせてくれるかっこいい弾き語りユニットを呼んだ。
ライブの回数が尋常じゃないから成長も目覚ましい。追いつけないほどに。。
てあしくちびる。ギター&ボーカルの河内伴理とヴァイオリン&ボーカルの土谷多佳子。

追記だが、故郷栃木県も甚大でなかったとはいえ、いまだに震災・震災後の被害のある場所であって、それを少しでも支援していきたい気持ちがある。大きなことは何も出来ないが、僅かなことを永く、し続けていけたらと思っている。

ファンタスタスとホセ&トンチャイというユニット、またソロでも活躍する尾林星。
飄々としたキャラクターと色香漂う唄い方。それらをミックスして弾き語りをする人。
全く知らなかったのだが、たまたまこのイベントの前の週が“ファンタスタス活動休止”のラストライブだった。

それから何よりもこの空間の個性あるパフォーマーの間に、さりげない粘着力でもって繋ぎとめてくれた二人。DJ春井(環二)と低い跳び箱ならとべる(福原冠)だ。

春井環二はすでに活躍している脚本家であり、彼はポエトリーに深く関っている人物。
言葉と音の間を行ったり来たりしている旅人だ。この人にまず最初のイベントをお願いした。
「ヒポクラテスの純情」ではダイナミックな音楽を原宿から高田馬場に移動したライブカフェ・JETROBOTに響かせてもらった。

福原冠は、今活躍する若手の人気劇団(ロロ、範宙遊泳など)で客演する俳優であり、ビルヂングなどでダンサーとしても活躍している人物。リエゾンという部屋のような場所をさらに居心地の良い空間へと誘ってくれた。彼にオファーする少し前、じつは4月の彼の主催での出演依頼を受けていた。公演中の“悪い芝居”大阪、新潟、東京の丁度境目の貴重な時間をZOZOにくれた。


今回のこの二ヶ月に渡る旅に、ご協力(ご出演、ご来場、宿を提供して)くださった方々に
深く、深く感謝しております。

すてきな時間をいっしょにつくってくれたこと、
ほんとにほんとに、ほんとーうに、うれしかった!!


また、ふいに(思いついたとき)
どなたかにお声がけすると思います。



またね。






=====つぎは渋谷です============
またすてきな人たちと一緒に立ちます!遊びに来てねっ
SLIDER SLIDER vol.1

「SLIDER SLIDER vol.1」
2013年3月18日(月)
渋谷 ラストワルツ
開場18:30 開演19:00
全席自由 ご予約 ¥2,000 当日¥2,500(税込み ドリンク別)

【出演】
後藤理絵
analog set
スズキリウイチ
南場朝海
半バナナ(ミックスナッツハウス)

lundi, mars 04, 2013

3月9日(土)@リエゾン★「目覚めたとき、が、眠るとき」


「目覚めたとき、が、眠るとき」 wordsR.G. 


"Mont Saint-Michel" en France

----------(part1)
La musique
Dansez
  Allons-y
 (ラ・ミュジック  ドンセ アロンズィ!)

La musique
Dansez
Allons-y
Allonzo
 (ラ・ミュジック  ドンセ アロンズィ アロンゾ!)

「ターミナル、巡る、ターミナル、巡る・・・」
スタートすると同時に鳴り響く
音。音。音。音。音。・・・

踊る
 踊れ!

脳、のなか、メリー/ゴー/ラウンド
ゴー/アラウンド
逝く、往く、行く、巡る・・・永遠に、永遠に

「ささやきながら、やってくる天使」
耳元に羽音のノイズ
耳をかすことは、ない
たとえ、糸切りばさみで舌を貫かれても
甘い密には、舌を延ばす

体液のなかの愛
染色体のなかの核

破裂する
破壊する
堕落する
絶頂へのダイブ

蜜は致死量寸前まで
その「クチ」に含ませる

遺書を枕元に置いて
眠れない日々を克服する
「早期発見、よかったですね。
蝕まれるところでした」

どうして「悪」だといえる?
あたかもそれは悪いものであるかのように
躯のなかの潮は、凪となり
やがて「悪」が消え失せる


----------(part2)
La musique
Dansez
Allons-y

La musique
Dansez
Allons-y
Allonzo

「白昼夢、舐める、白昼夢、舐める・・・」
夢想家たちの小節は果てしない
夢。夢。夢。夢。夢。・・・

信じる
  信ぜよ!

脳、のなか、デイ/ドリーム/ビリーバー
デイ/ドリーム
駈ける、架ける、賭ける、巡る・・・リピート、リピート

「果てた、と思うと、はじまる愛撫」
心躍らない夜には
醒めない躯を
乾くシーツの間に挟んだり擦ったりして
氷になったyou-me(ユメ)のことをおもう

体液のなかの愛
染色体のなかの核

破裂する
破壊する
堕落する
絶頂へのダイブ

おもちゃの兵隊が大勢
わたしの躯の上を横切る

けど、わたしは逝かない
わたしの躯は、熱すぎる
きみの躯は、冷たすぎる
擦り合せれば丁度いい

室温、湿度、潮の匂い
吹き出すと同時にオタマジャクシになって
譜面に張り付いた
立体のまま乾いていく

La musique
Dansez
Allons-y
La musique
Dansez
Allons-y
Allonzo

「果てた、と思うと、はじまる愛撫」
きみの躯の冷たさ
を思い出す
びしょ濡れシーツの真ん中でバタフライする
クチビルの間で氷を溶かしてあげよう

都会のなかの熱帯の
ウナゾコ(海底)
そこで
あそこで
あの場所を
弄りあって、
探りアテタイ

絶頂へのダイブ
絶頂へのダイブ
絶頂へのダイブ
絶頂へのダイブ

行こう!
絶頂に

絶頂・・・絶頂・・・
を、超える
ダイブ!


----------wordsR.G. / for the Masaki's beat-vol.1
 2012.08.14 -------

満ち潮になると孤島になるモン・サン=ミシェル「聖ミカエルの山」(冒頭の写真)。
その山頂付近にある教会の“大天使ミカエル”像。
大天使ミシェル(ミカエル)は悪魔(サタン)に剣を振り上げている。
詳細不明だが、このミシェルが闘っている相手は
「自分自身」なのではないかと思ってしまう。

マサキオンザマイクが最初にわたしに届けてくれたビートに並べた言葉を
ここに初めて公開してみた。

誰もが生まれかわれるための呪文と思ってくれたらうれしい。

何度も、何度も、懲りずに立ち向かうこと。

自分が信じたものに向き合っていれば、いつ何時壊れかかっても、
「自分」を呼び戻すことが出来る。それをこの詩にのせたかった。

紛れも無く、自分に向けたエールでもある。

そして新しいものを目の前にしての「感謝」の気持ちでもある。

 


ここでいう「眠り」は不眠症のときに書いたせいだが、単純に「夢」を連想して書いた。

それは未来に描く「夢」と、夜見る「夢」とのセット。
要するに、新しい世界へ向かうための応援歌とも言える。

新しいことへ向かう勇気は、いつでもだれにでも必要だから、
その一歩を深呼吸したり、ふわりとした気持ちで、
そして良い意味で裏切りながら進んでいけたらいいのではないか
・・・というような。

そんなことを本気で、思う。
きっとチカラの加減がわからなくて、
不眠症に陥ったり過呼吸になったりしたのだと思う。

いま思うことは「できるだけバランスをとって、いろいろな栄養を摂る」
ということだ。

一概に「個性」というが、実際にそれを履き違えてしまうことが多い。
面白い、人目につく、奇異なだけでは個性とは言えない。
【ZOZO-ism】は、「自己」と向き合ってきた人にこそ体験して欲しいという単なる主張に過ぎない。
難しいことはいらない。
体験するだけで明日からすることがわかる事も人にはある。

飾った言葉だけでは、何も届かない。
等身大で突き刺さる言葉を、待ち望んでいる。
わたし自身がそうであるから、体験して欲しいだけだ。
その言葉たちと、凛々しくもほろ苦く、そして深い味わいを。。。



==========〈ライブ情報〉============


砂猫企画3月9日(土)
【ZOZO-ism】

渋谷カフェ・リエゾン

時間:18:30(open18:00)
料金:2000円(1500+1D)

D J :低い跳び箱ならとべる
出演: ぬくみりゑ(詩人)
    尾林星(ギター弾き語り)
from「ファンタスタス」「ホセ&トンチャイ」
    青木研治(詩人)
    後藤理絵(詩人/主催)