苦みの唾液の
おちる字間
誰
何
制御
不能
ぽたり
吸い込まれる
オレンジTシャツ
mardi, août 22, 2006
dimanche, août 20, 2006
DES HERBS (de mon jardin)

この夏、3回目の収穫のバジル。2回目のミント。
洗って、ただいま乾燥するための第一段階。
次はネットに入れて本格的な乾燥です。
まだ、ベランダではコモンタイム(スッキリした甘みを含んだ香り)が増えて来ていて、ローズマリイ(ツンと目が覚めるような香り)も花を咲かせています。けれど、ミントがあまりにつよいせいで、グリークオレガノ(歯の表面に起毛)が消えた・・。(いっしょの長いプランターに寄せ植えしたのがまずかったのなかな。。)ルッコラもすぐに花を咲かせたので、今度は種から育てるとします。
今日は、ジャスミンの植え替え(これから)、ハーブの収穫。
猫の毛繕いの手伝い。浴衣の洗濯・・・ほか。
家は窓を全開にするとエアコンがいらないほど風が通ります。
ベランダもこの辺にしては少し大きめで良かった。
花が沢山というのもいいけれど、
いまはどちらかというと”プチハーブ園”を目標にしています。
今日は、ミントの葉たちと岩塩を入れてバスタイムを楽しみました。
(明日の分もあるなぁ。)
jeudi, août 17, 2006
8月17日 リーディング【報告】


原宿JETROBOTでのリーディング。
ことば パーカッション トランペット ピアノ ウッドベース・・
グラスに入れる氷の音、電車の過ぎる音、雨音と遠雷。
改札口からすぐの人の足音。そして笑い声と拍手。
あらゆる音(声)がとけこんだ空気。
ほんのちょっとの時間の共有。
ゆっくりと通り過ぎる時間。
全ての、とおりすぎる、立ち止まらないもの
を噛み締めた時間。
再び会えた人、出会えた人・・
みなさん、ありがとうございました。
読んだ詩
「夏のおわりに」
「秋のプール」
「きみと、宇宙から落とされたぼくと、そして星条旗」
「焼き菓子の致死量(同時仏語翻訳:Ludovic Xasdera=ルド・グザスデラ)」
「雪情」
Mixi Community "A bientot Rie goto"
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆2006年08月17日(◆◆「 JET POET Vol.4」 〜即興の音楽と詩の朗読の宴〜)
@原宿JETROBOT
※原宿駅/竹下口出て、横断歩道渡って左に、数件先です。 駅から30秒くらいです!
朗読/ lobby ZULU Luca 後藤理絵 ジェフ&エズラ
演奏/ ひら(Per) 小西 徹郎 (tp) TOMO(psychedeliste)
samedi, août 12, 2006
遅咲きハイビスカス
mardi, août 08, 2006
6/9
いますぐに、涙は出ない
遠いその日
痛みと渇きの中で
見た事もない
夏の陽を呑み込むような
強烈な光の中で
何万個の影をつくったのか
わたしは知らない
いまも毎年、涙を流し
遠くをみつめて
苦しみ喘ぐ光景を
伝えようとする
思いの火は熱く燃えさかっている
魂の炎は以来の空をさまよい
わたしたちに語りかける
あの、暑すぎる日に
帰らなければならないとき
それが訪れてしまったとき
きみたちは いったい
どうするのかと
問いつめてくる
のうのうとした天日
ビキニの試着
ひからびた孤独
ビールの空き缶
近隣から投じられている
この夏の陽をはるかに超える
得体の知れない戦士が送り込まれる速報にも
わたしたちは少々、麻痺してきている
目の前で痛みを、渇きを、
満たしてあげられないまま
名前だけを何度も
叫び続けるだけ、の光景を
わたしたちは、想像ができないでいる
アスファルトのこの黒い道が
陽にフニャリと溶ける時間帯
爛れた影で敷き詰められた
巨大な川に見えてくる目玉を
わたしたちは、持っていない
どんなに
世界が近くなろうとも
地に撒かれた課題は
これっぽっちも、変わってはいないというのに
いま、わたしになにができるのだろう
あす、わたしになにができるのだろう
ありきたりの、自分への問いに
顎が痒い、と掻いたら
すぐに、痛みに変わった
遠いその日
痛みと渇きの中で
見た事もない
夏の陽を呑み込むような
強烈な光の中で
何万個の影をつくったのか
わたしは知らない
いまも毎年、涙を流し
遠くをみつめて
苦しみ喘ぐ光景を
伝えようとする
思いの火は熱く燃えさかっている
魂の炎は以来の空をさまよい
わたしたちに語りかける
あの、暑すぎる日に
帰らなければならないとき
それが訪れてしまったとき
きみたちは いったい
どうするのかと
問いつめてくる
のうのうとした天日
ビキニの試着
ひからびた孤独
ビールの空き缶
近隣から投じられている
この夏の陽をはるかに超える
得体の知れない戦士が送り込まれる速報にも
わたしたちは少々、麻痺してきている
目の前で痛みを、渇きを、
満たしてあげられないまま
名前だけを何度も
叫び続けるだけ、の光景を
わたしたちは、想像ができないでいる
アスファルトのこの黒い道が
陽にフニャリと溶ける時間帯
爛れた影で敷き詰められた
巨大な川に見えてくる目玉を
わたしたちは、持っていない
どんなに
世界が近くなろうとも
地に撒かれた課題は
これっぽっちも、変わってはいないというのに
いま、わたしになにができるのだろう
あす、わたしになにができるのだろう
ありきたりの、自分への問いに
顎が痒い、と掻いたら
すぐに、痛みに変わった
lundi, août 07, 2006
波のマニマニ
それはきっと、3つ数えるとうまくいく
ほっぺたの真ん中
えくぼに中指をあてて
空に向かって、数えてみよう
夕暮れに浴衣姿
左肩の金魚のもようが目印
水の波紋は
赤い尾ひれにからまっている
消えないうちに、飛び上がってみよう
いちにの、さんで漕ぐように
「あっ、サーフボードには鼻緒を!」
地平線をせり上げて
大波はもうすぐ
追い風と一緒にやってくる
ーーーー
昼過ぎ、ひさしぶりにMと少しだけ話をしていた。先日の出版記念パーティーのことを「とてもいい雰囲気で素敵だった」といってくれた。参加してくれていた友人たちを褒められ、とてもうれしく思っていた。
19時頃。同僚の(いつもは別のビルなのでなかなか会わない)Sが久しぶりに顔を出した、と思ったら「マチューさんにたった今そこで会いました!」との報告。メールを入れてみた。「来週、もしかしてリーディングをする」話を直接しようかと「一緒にかえりましょっ」とメール。なんと、JOUも一緒♪ しばし、お茶と歓談。
JOUとは、同年代。ちょっと"いいもの"を、つくれたらいいと思う。2人には出版記念パーティーでご協力賜ったので、昼過ぎのMとの話をしたばかりで会えるなんて、なんだかまたしても「ア・ビアント効果」か?と、吹聴してしまいそうだった。JOUからの提案。
9月が楽しみだ。ちょっとした面白い事をやってみたい。久しぶりに企画魂が揺さぶられる。
今日は、そういった波と、昨日見た映画ビックウェンズデーと夏にかけて一つ。
あらためて、以前のシナリオを書いていた頃の引き出しを整理してみようと心に誓う夜。
ほっぺたの真ん中
えくぼに中指をあてて
空に向かって、数えてみよう
夕暮れに浴衣姿
左肩の金魚のもようが目印
水の波紋は
赤い尾ひれにからまっている
消えないうちに、飛び上がってみよう
いちにの、さんで漕ぐように
「あっ、サーフボードには鼻緒を!」
地平線をせり上げて
大波はもうすぐ
追い風と一緒にやってくる
ーーーー
昼過ぎ、ひさしぶりにMと少しだけ話をしていた。先日の出版記念パーティーのことを「とてもいい雰囲気で素敵だった」といってくれた。参加してくれていた友人たちを褒められ、とてもうれしく思っていた。
19時頃。同僚の(いつもは別のビルなのでなかなか会わない)Sが久しぶりに顔を出した、と思ったら「マチューさんにたった今そこで会いました!」との報告。メールを入れてみた。「来週、もしかしてリーディングをする」話を直接しようかと「一緒にかえりましょっ」とメール。なんと、JOUも一緒♪ しばし、お茶と歓談。
JOUとは、同年代。ちょっと"いいもの"を、つくれたらいいと思う。2人には出版記念パーティーでご協力賜ったので、昼過ぎのMとの話をしたばかりで会えるなんて、なんだかまたしても「ア・ビアント効果」か?と、吹聴してしまいそうだった。JOUからの提案。
9月が楽しみだ。ちょっとした面白い事をやってみたい。久しぶりに企画魂が揺さぶられる。
今日は、そういった波と、昨日見た映画ビックウェンズデーと夏にかけて一つ。
あらためて、以前のシナリオを書いていた頃の引き出しを整理してみようと心に誓う夜。
dimanche, août 06, 2006
小説家の妻を持った俳優/ある詩人の話

昨夜、シネフィルイマジカ(スカパー)で”赤いアモーレ”を鑑賞。ペネロペと共に、主役でありながら脚本、監督をこなすセルジオ・カステリット。なかなか興味深い表情で、余分な事はしない俳優としての良い仕事をしている。セルジオの妻で作家であるマルガレート・マッツァンティーニの作品、イタリアのベストセラー小説『動かないで』が原作であることを、見た後に知った。
衝撃的であり、正直こんな物語には嫌悪感さえある。けれど、役者のエネルギーと監督のセンスによって見事にストーリーを描いている。
カステリットも、マッツァンティーニも恵まれた環境でこれを発表する事が出来たのだと思う。
実際にスペイン人のペネロペを起用したことは、イタリア語をマスターしたという話題性もあっただろう。そうでなくとも彼女を起用するということは困難だったろうと思う。様々な良い出会いが作用して生まれた作品らしく、賞賛も多かった。邦題こそ滑稽で、今ひとつ見る気を失っていたが、久しぶりのイタリア映画のヒット。満喫した。
今日は、ドイツ文化センターにて谷川俊太郎氏の話を聞きに行った。詩人の、それ以前に人としての興味もあり、参加。(http://www.pub.co.jp/school/coza/poem6.html)彼も恵まれた境遇の人物だ。なにより三好達治の推薦があって詩壇の世界に導かれたということ。彼に浴びせられる沢山の質問。それは、本当の質問ではなかったように思う。意地悪な質問には、意地悪になってみることも大事。彼の詩を彼が読んでみたとき、その温度は詩の温度を保って発せられた。それが何よりも衝撃であった。
私の父(元国語の教師)は、谷川さんに興味がない。けれど私はそうでもない。熱狂的なファンにはなり得ないと思うが、詩の持っている温度がわかるとき、その詩の向こう側にある谷川さんが好きになる。ときどきだ。それでいいと思っている。
幼いとき、中原中也の詩に大きな衝撃を受けた。萩原朔太郎の言葉に、人生にはとてつもない深い悲しみがあるのだと気づかされた。
孤独であることを共感する言葉たち。今日、谷川さんは「一人っ子で、孤独になれている」と言っている。
話は飛ぶが、彼は今日昼が良いと言っていた。私も太陽が好きだ。きれいに出ている月には祈りたい気持ちになるが、いつまでも陽の下で解放されていたいと願うし、夏にはスイカが食べられてなおうれしい。音楽も芸術もラテンの力には時々グイッと引っ張られる。
たとえ、世界の何処かで争いがあったとしても、太陽の下、みんな同じように陽の光を浴びて、みんなが笑顔一杯で、
そうしていつまでも平和が続くようにと願っていたい。願い続けたい。
samedi, août 05, 2006
本から飛びだすタマシイ

ある絵本作家の訃報に同僚たちの胸一杯になる行動。25歳の若き作家がその生涯を閉じたという事実。彼女の残してくれたものの大きさをどうして今まで理解できなかったのかと会社の告知が流れる。大きさに、誰もが最初から気づく事なんて出来ない。絵も文も、作家である彼女が知っている大きさよりも、はるかに大きく育っているに違いないからだ。20冊以上を生みだした彼女のエネルギーは、病床の中から筆先に力を降り注いで送り込まれた「生きた」キャラクターだ。生きている。彼らは生きているのだ。
どうして今まで気づかなかったか、ということも、なんだか切ない告知ではあったし、その社員代表の言葉はとても誠実で、一つ一つ読んでかみしめた。けれど、私は彼女が生かしている今ここに残ったものには魂が吹き込まれているとちょっと引いた位置から感じている。本から抜け出て、子供たちの笑顔を呼び起こすためのハッピーな絵本は、彼女そのものなんだろう。彼女は、全てをわかっていて一生懸命に描いた夢だった、と考える。作者は、そんな本から魂をもって飛びたつ新しい出会いを期待しているに違いない。だから、わたしもがんばらなくては。。そう、心の中で誓う。この、わたしが作った本もきっと、いつかそんなふうに新しい人とであって、その人の中で生きる魂になって欲しい、と祈ってみる。
jeudi, août 03, 2006
Je mal a la tete...=J'en ai marre...
「頭イタい事があったら、ほんとに頭イタくなったよー」と、後ろの席の I さん。
こめかみに手を当ててぐりぐり。
実は、私もこのところとても頭が痛いのよ。
ま、病気と言ってしまえばそれまでかな。
頭に集まっている三官の神経の集まる周辺を流れの悪くなっている血管が圧迫しているらしい。もう、何年くらいこんな痛みを抱えているのだろう。確か5年か6年。病気だとわからずに日夜眠れずに過ごした日々とは違って、マッサージすれば多少楽になる事がわかったので「癲癇用の薬(テグレトール)」なんていう副作用のある憂鬱になる薬とは、当時以来さっさとおさらばした。
医者の薬は、もともと信じてはいないし、精神的に参ったとか、鬱だとか言われても、それを疑うだろうと思う。(実際にそんなゴミ箱診断をされなくて良かった。)
それでも、友人の言葉は信じる。
私はもともとカウンセラーであったという信頼できる友人がいて、とてもラッキーだった。
彼女の言葉をずっと信じたまま、自分を信じる事ができた。
「言葉の力はすごいんだ」と実感した4年前。それからの私は、言葉を満喫していた。ついに本まで作るに至った。
頭イタいことが、本当の頭痛を呼ぶ事があるなら、言葉を信じて自分を信じてなおる、なんて事も起こるのだというのが、私の自分に対する「診断」だった。
それを本当に実行する私は、最後の底力がとっても馬鹿力だったのだと今にして思う。
本当に精神的にひどかったとき何をしたか・・・私は、それまで働いたお金を「フランス語学留学」に費やした。
今日、会社の友人と昼ご飯にて「自分に絡まりついてくる嫌なツタを払うためにどうするか」(実際にこんな事は言ってないがそんな感じのこと)を何となく話していた。嫌な事は嫌なモノを呼んできて、一気に悪い事が起こったりする。
では「良い事」を考えれば、良いモノが集まってくるのではないだろうか?
心理的なコントロールが出来るようになった人は、他人まで操作しようとする。けれど、それに巻き込まれないように気をつけるんだKちゃん。そしてあなたも”センターコア”な存在である事を忘れちゃダメよ。
ツタは、呼吸できる酸素を運んでくれるもの以外は、絡ませてはだめ。
ましてや、頭に巻き付こうとしているツタなんて、自分の意志で巻かないとイタくなっちゃうよねー・・でしょ?
こめかみに手を当ててぐりぐり。
実は、私もこのところとても頭が痛いのよ。
ま、病気と言ってしまえばそれまでかな。
頭に集まっている三官の神経の集まる周辺を流れの悪くなっている血管が圧迫しているらしい。もう、何年くらいこんな痛みを抱えているのだろう。確か5年か6年。病気だとわからずに日夜眠れずに過ごした日々とは違って、マッサージすれば多少楽になる事がわかったので「癲癇用の薬(テグレトール)」なんていう副作用のある憂鬱になる薬とは、当時以来さっさとおさらばした。
医者の薬は、もともと信じてはいないし、精神的に参ったとか、鬱だとか言われても、それを疑うだろうと思う。(実際にそんなゴミ箱診断をされなくて良かった。)
それでも、友人の言葉は信じる。
私はもともとカウンセラーであったという信頼できる友人がいて、とてもラッキーだった。
彼女の言葉をずっと信じたまま、自分を信じる事ができた。
「言葉の力はすごいんだ」と実感した4年前。それからの私は、言葉を満喫していた。ついに本まで作るに至った。
頭イタいことが、本当の頭痛を呼ぶ事があるなら、言葉を信じて自分を信じてなおる、なんて事も起こるのだというのが、私の自分に対する「診断」だった。
それを本当に実行する私は、最後の底力がとっても馬鹿力だったのだと今にして思う。
本当に精神的にひどかったとき何をしたか・・・私は、それまで働いたお金を「フランス語学留学」に費やした。
今日、会社の友人と昼ご飯にて「自分に絡まりついてくる嫌なツタを払うためにどうするか」(実際にこんな事は言ってないがそんな感じのこと)を何となく話していた。嫌な事は嫌なモノを呼んできて、一気に悪い事が起こったりする。
では「良い事」を考えれば、良いモノが集まってくるのではないだろうか?
心理的なコントロールが出来るようになった人は、他人まで操作しようとする。けれど、それに巻き込まれないように気をつけるんだKちゃん。そしてあなたも”センターコア”な存在である事を忘れちゃダメよ。
ツタは、呼吸できる酸素を運んでくれるもの以外は、絡ませてはだめ。
ましてや、頭に巻き付こうとしているツタなんて、自分の意志で巻かないとイタくなっちゃうよねー・・でしょ?
mardi, août 01, 2006
神楽坂祭りと焼き肉とベランダ
先週末は、神楽坂でお祭りがありました。
今年、新調したゆかたは着られず、ダッシュで神楽坂に向かうと、友人たちがすでに毘沙門の近くまで。
急いで夕飯に向かう。もちろん、我が家へ。メニューは焼き肉です。
あこがれの「ベランダでのバーベキュー」にはならず、キッチンでいつものダイニングテーブルをちょっと大きめにスタンバイ。ま、これでもいいです。大勢で食べる焼き肉はうまかったっす!
相変わらず才能ある手さばきにて8ちゃんが〜大活躍です。(助かります・・しかし、ウチにきていきなり包丁研ぐという姿は見たくなかったぞ)確かにウチには包丁が豊富。でも、切れるのは普段使う一本きり。
と、いうわけで、アイスまで食べ尽くして満足。こんどはベランダでスイカを・・
ひとときを過ごすと、なぜか真夜中にガーデニングが始まってしまった。と、いうのは、バジルがごっそり生えまくっていたので、株分けをしようと・・いうワケ?!
みんなの団らんの図を横目に、土いじりとかしているわたし。変な家庭です。よそから丸見えの位置のベランダで。。
それでも、とっても楽しかったですー♪ みんな来てくれてありがとう! 真菜が置いていった五十番の純正肉まんは、日曜に美味しく頂きました。(こんどお宅におみやげは、これできまりね)
今年、新調したゆかたは着られず、ダッシュで神楽坂に向かうと、友人たちがすでに毘沙門の近くまで。
急いで夕飯に向かう。もちろん、我が家へ。メニューは焼き肉です。
あこがれの「ベランダでのバーベキュー」にはならず、キッチンでいつものダイニングテーブルをちょっと大きめにスタンバイ。ま、これでもいいです。大勢で食べる焼き肉はうまかったっす!
相変わらず才能ある手さばきにて8ちゃんが〜大活躍です。(助かります・・しかし、ウチにきていきなり包丁研ぐという姿は見たくなかったぞ)確かにウチには包丁が豊富。でも、切れるのは普段使う一本きり。
と、いうわけで、アイスまで食べ尽くして満足。こんどはベランダでスイカを・・
ひとときを過ごすと、なぜか真夜中にガーデニングが始まってしまった。と、いうのは、バジルがごっそり生えまくっていたので、株分けをしようと・・いうワケ?!
みんなの団らんの図を横目に、土いじりとかしているわたし。変な家庭です。よそから丸見えの位置のベランダで。。
それでも、とっても楽しかったですー♪ みんな来てくれてありがとう! 真菜が置いていった五十番の純正肉まんは、日曜に美味しく頂きました。(こんどお宅におみやげは、これできまりね)
dimanche, juillet 30, 2006
うれしいよ=Mes amies
お芝居を見に行きました。古くから、互いの甘えに本気で叱って、本当の悲しみを分かち合うことの出来る人。
彼女の名前は滝沢涼子。最近はヨリモのCMなどでタレントマネージャー遍に出演していて、顔を見ればすぐにわかる人もいるだろう。
私たちは姉妹のようで、戦友のようでもあった。言いたい事を言い合い、映画や俳優としての討論をし、悔し涙さえ分かち合った。
某養成所では、講師が私たちをライバル視させようと、別々に呼び出し競争させた。その意味も今では良くわかる。以来、講師の策略とは裏腹に仲良くなってしまったのだった。強く、優しい女優になって、いつも応援している人だ。
遠くから、声がする。
間違えたことをしそうになると、あの、悔しくて、苦い涙を思い出す。悔しいのは、自分ではどうにも出来ない大きなものと闘えるほどの力が無いからだった。つい最近まで、目の前にあった気がするその大きな、もの。しかし、今はどうでも良くなった。大きなものと闘わなくても良くなった。彼女も、同じだろうか。もしかしたら、今もそのような事があるのだろうか。彼女の顔にうっすらと感じる影にこっそりと、心配をする。
明日、大学時代の友人に会う。彼女は大阪にいる。今回は帰省で横浜に。彼女はモデルだった。とても背が高く、内面とともに美しい。会えることが、なかなか出来ないけれど、それでもいつも心配をしてくれている姉のような存在。彼女は、強くさらに優しい二児の母親になっている。
今月中に、小さな会食を約束をしている古くからの友人。彼女は、去年のクリスマスに結婚式をカナダで挙げた。カナダに実家のある旦那さん。要するに、いつか、近くにいなくなってしまう可能性が高い、彼女。フランス語を、さらに好きになれたきっかけをくれた人。
素敵な笑顔の可愛い異星人。
出会いは、出会いを呼んで、私は沢山の友人に囲まれていて、それを幸せに感じ、たくさんの素敵な人たちを自慢したい気持ちになっている。
今年は、自分の今までと向き合うという大きなきっかけをくれた人にも出会えた。そして今までに無い経験が出来た(本のことだけど)。
出会った時のことを忘れずに、いつも大切にできるように。
そして だからこそ、自分も大切にできるように。
彼女の名前は滝沢涼子。最近はヨリモのCMなどでタレントマネージャー遍に出演していて、顔を見ればすぐにわかる人もいるだろう。
私たちは姉妹のようで、戦友のようでもあった。言いたい事を言い合い、映画や俳優としての討論をし、悔し涙さえ分かち合った。
某養成所では、講師が私たちをライバル視させようと、別々に呼び出し競争させた。その意味も今では良くわかる。以来、講師の策略とは裏腹に仲良くなってしまったのだった。強く、優しい女優になって、いつも応援している人だ。
遠くから、声がする。
間違えたことをしそうになると、あの、悔しくて、苦い涙を思い出す。悔しいのは、自分ではどうにも出来ない大きなものと闘えるほどの力が無いからだった。つい最近まで、目の前にあった気がするその大きな、もの。しかし、今はどうでも良くなった。大きなものと闘わなくても良くなった。彼女も、同じだろうか。もしかしたら、今もそのような事があるのだろうか。彼女の顔にうっすらと感じる影にこっそりと、心配をする。
明日、大学時代の友人に会う。彼女は大阪にいる。今回は帰省で横浜に。彼女はモデルだった。とても背が高く、内面とともに美しい。会えることが、なかなか出来ないけれど、それでもいつも心配をしてくれている姉のような存在。彼女は、強くさらに優しい二児の母親になっている。
今月中に、小さな会食を約束をしている古くからの友人。彼女は、去年のクリスマスに結婚式をカナダで挙げた。カナダに実家のある旦那さん。要するに、いつか、近くにいなくなってしまう可能性が高い、彼女。フランス語を、さらに好きになれたきっかけをくれた人。
素敵な笑顔の可愛い異星人。
出会いは、出会いを呼んで、私は沢山の友人に囲まれていて、それを幸せに感じ、たくさんの素敵な人たちを自慢したい気持ちになっている。
今年は、自分の今までと向き合うという大きなきっかけをくれた人にも出会えた。そして今までに無い経験が出来た(本のことだけど)。
出会った時のことを忘れずに、いつも大切にできるように。
そして だからこそ、自分も大切にできるように。
mercredi, juillet 26, 2006
Vivre sa vie それが、人生
ジャン・リュック・ゴダールの映画は、高校生の頃に出会った。
私にとって彼は監督のなかでも別格で、お洒落だとかそういった事とは無縁の、どちらかというと無茶苦茶な衝撃を残した。
小学生の頃から映画には慣らされて(父の影響で)いたこともあり、アンジェイ・ワイダにハマった事もある。「灰とダイヤモンド」ポーランドの歴史の、戦争の影にこんな友情と愛、そして人の生き様、死に方があったのかと。しかし、成長とともに戦争を描いた物語には一種の苦手意識が混在してきて、以降は好んで見ようとしなかった。一方、ゴダールは、いつでも見られた。いまでも、あきもせず何回も見ている。その度ごとに、その愉しみが変わる。興味は、少ない男女の会話だったり、そのとんでもない長回しの空間と間。逆にテンポの良い会話で相手に言葉のシャワーを。。会話の無意味さも味わえる。

自分の将来のことを夢見続ける日々は続く。
一時は、映画に関わる「仕事」しか考えていなかった。
同じ頃、もちろん読書にも夢中になった。そんななかでの衝撃は、中原中也の詩集(古い母の書棚から)と、学校の図書館で次々に借りたのが向田邦子の脚本シリーズ。(向田邦子に一種の憧れを抱きつつ脚本家になることを真剣に考えていた矢先に彼女は飛行機事故で亡くなってしまって、新作が読めない事を日本中のファンの人はなんと嘆いた事だろう。。その、一人が中学生の私だった。作家は飛行機事故なんかで死ぬはずが無いと思い込んでいた。)
詩の、簡潔な言葉の描く情景は、さまざまな想像、頭の中だけの情景。
すごいスピードで駆け抜けていくくせに、後から断片的にモザイクを残す。
好きな世界だった。その世界に浸っているのが好きだった。絵にも、唄にも変わるのだから。
シナリオは、人の人生を想像するための言葉を探していく作業。大学時代にこっそりシナリオセンターに通っていた。苦労しながら愉しい日々を過ごしていた。のちの、演技をすることにとても役立っていたように思う。単に「想像する」、「創造する」を楽しく感じていただけなのかもしれない。そして、興味を寄せていたほとんどが映像とそこに飛び交う言葉だったように思う。


ゴダールの最も好きな映画は「女は女である」、「アルファヴィル」。(この2本はゴダール食わず嫌いの人にもぜひおすすめしたい。)それから、「女と男のいる舗道(原題:Vivre sa vie )」。それぞれに、アンナ・カリーナが登場する。
今回の詩集「ア・ビアント じゃ、またね。」の第一番目の詩は、彼女に捧げたオマージュです。(一度、夕張映画祭で彼女に出会ったことがあるがそのときは一生に一度しか無いだろうと、片言のフランス語を懸命に話した。)彼女は、映画から想像もできないほど歳を重ねていたが、その姿は凛とクールに輝いていた。詩の最後の一節「・・落ちていくAnna」というのは、Annaが落ちていくのではない。むしろ、Annaに、落ちていく。か、または最後はつい放った彼女への呼びかけ。そして、それを知ってか、知らずか、担当の編集者はリリースの一言を【「女と男のいる舗道」を見ているような・・・】などと記載していた。彼の子は、なんと私と同じ誕生日のほぼ同じ時間に、この世に誕生してしまったし、この映画のタイトルを出してくるということも、また妙だった。
話はそれるが、一方の担当のプロデューサーは、(アンナ・カリーナのように)前髪を切った夢を見たという話。彼女は長い黒髪。「そんなことしたらもったいないのに」と思うほど、良く似合っている。過去に前髪を切った髪型だったらしいことを今日知って、また不思議な感覚を得た。前髪の夢の理由はわからない。(・・にしても、「前髪」という言葉は「顔に髪がかかる程度」までしか使わない気がする。顎くらいまでの長さ、かな?・・これもまた不思議だなどと考えながら聞いていた。)
そうやって人生は、不可思議だらけ。
いま、目の前で、バラバラになったジグソーパズルが一つ、一つと見えてきた景色の一部。
けれども、夜見る夢も解明できるわけもないし、自分の詩集を推定不可能な幻想に縁取られていることもあるだろうし。。
本を作ってくれた人の娘が、予定日から早まってお父さんの作った本の作者と同じ日に誕生してしまうことや、辛いものが苦手なのにインドに行くことになってみたり、ね。
そう、やっぱり人生は、不可思議だらけ。
詩人、谷川俊太郎も「詩ってなんだろう」(それを詩の歴史で繙く本なのに)の本の最後にこう締めくくっている。
「詩がなんなのか、うまく答えられた人は誰もいない」
なら、人生がナンなのか、こんな私には まだまだ わかるはずもない。ということだね。。。。
私にとって彼は監督のなかでも別格で、お洒落だとかそういった事とは無縁の、どちらかというと無茶苦茶な衝撃を残した。
小学生の頃から映画には慣らされて(父の影響で)いたこともあり、アンジェイ・ワイダにハマった事もある。「灰とダイヤモンド」ポーランドの歴史の、戦争の影にこんな友情と愛、そして人の生き様、死に方があったのかと。しかし、成長とともに戦争を描いた物語には一種の苦手意識が混在してきて、以降は好んで見ようとしなかった。一方、ゴダールは、いつでも見られた。いまでも、あきもせず何回も見ている。その度ごとに、その愉しみが変わる。興味は、少ない男女の会話だったり、そのとんでもない長回しの空間と間。逆にテンポの良い会話で相手に言葉のシャワーを。。会話の無意味さも味わえる。

自分の将来のことを夢見続ける日々は続く。
一時は、映画に関わる「仕事」しか考えていなかった。
同じ頃、もちろん読書にも夢中になった。そんななかでの衝撃は、中原中也の詩集(古い母の書棚から)と、学校の図書館で次々に借りたのが向田邦子の脚本シリーズ。(向田邦子に一種の憧れを抱きつつ脚本家になることを真剣に考えていた矢先に彼女は飛行機事故で亡くなってしまって、新作が読めない事を日本中のファンの人はなんと嘆いた事だろう。。その、一人が中学生の私だった。作家は飛行機事故なんかで死ぬはずが無いと思い込んでいた。)
詩の、簡潔な言葉の描く情景は、さまざまな想像、頭の中だけの情景。
すごいスピードで駆け抜けていくくせに、後から断片的にモザイクを残す。
好きな世界だった。その世界に浸っているのが好きだった。絵にも、唄にも変わるのだから。
シナリオは、人の人生を想像するための言葉を探していく作業。大学時代にこっそりシナリオセンターに通っていた。苦労しながら愉しい日々を過ごしていた。のちの、演技をすることにとても役立っていたように思う。単に「想像する」、「創造する」を楽しく感じていただけなのかもしれない。そして、興味を寄せていたほとんどが映像とそこに飛び交う言葉だったように思う。


ゴダールの最も好きな映画は「女は女である」、「アルファヴィル」。(この2本はゴダール食わず嫌いの人にもぜひおすすめしたい。)それから、「女と男のいる舗道(原題:Vivre sa vie )」。それぞれに、アンナ・カリーナが登場する。
今回の詩集「ア・ビアント じゃ、またね。」の第一番目の詩は、彼女に捧げたオマージュです。(一度、夕張映画祭で彼女に出会ったことがあるがそのときは一生に一度しか無いだろうと、片言のフランス語を懸命に話した。)彼女は、映画から想像もできないほど歳を重ねていたが、その姿は凛とクールに輝いていた。詩の最後の一節「・・落ちていくAnna」というのは、Annaが落ちていくのではない。むしろ、Annaに、落ちていく。か、または最後はつい放った彼女への呼びかけ。そして、それを知ってか、知らずか、担当の編集者はリリースの一言を【「女と男のいる舗道」を見ているような・・・】などと記載していた。彼の子は、なんと私と同じ誕生日のほぼ同じ時間に、この世に誕生してしまったし、この映画のタイトルを出してくるということも、また妙だった。
話はそれるが、一方の担当のプロデューサーは、(アンナ・カリーナのように)前髪を切った夢を見たという話。彼女は長い黒髪。「そんなことしたらもったいないのに」と思うほど、良く似合っている。過去に前髪を切った髪型だったらしいことを今日知って、また不思議な感覚を得た。前髪の夢の理由はわからない。(・・にしても、「前髪」という言葉は「顔に髪がかかる程度」までしか使わない気がする。顎くらいまでの長さ、かな?・・これもまた不思議だなどと考えながら聞いていた。)
そうやって人生は、不可思議だらけ。
いま、目の前で、バラバラになったジグソーパズルが一つ、一つと見えてきた景色の一部。
けれども、夜見る夢も解明できるわけもないし、自分の詩集を推定不可能な幻想に縁取られていることもあるだろうし。。
本を作ってくれた人の娘が、予定日から早まってお父さんの作った本の作者と同じ日に誕生してしまうことや、辛いものが苦手なのにインドに行くことになってみたり、ね。
そう、やっぱり人生は、不可思議だらけ。
詩人、谷川俊太郎も「詩ってなんだろう」(それを詩の歴史で繙く本なのに)の本の最後にこう締めくくっている。
「詩がなんなのか、うまく答えられた人は誰もいない」
なら、人生がナンなのか、こんな私には まだまだ わかるはずもない。ということだね。。。。
mardi, juillet 25, 2006
きっと、いつか晴れる。
なんだか浮かない気持ちで、仕事を片付ける。
これも、じめじめが続いているから?
週末に少し先の未来までのお別れをしたから?
なんだか、違う気がする。
仕事にもっとやりがいを感じていたいという欲望。
そして仕事は幾つか同時に進行させていて、ひとつではないという焦燥。
Ludo et Valerie からもらった(彼らの東京の思い出の沢山詰まった)まっ赤なソファーに腰をかけて、こうしてモニターに向かうと、画面の向こう側の光だけが私を診断しているかのようにまぶしい、まるで眼科の先生が光を目に向けているようにまぶたを閉じたくなる。
晴れないから、庭のハイビスカスが気になって仕方ないし、ハーブの寄せ植えが込んでいることも気になって、土が濡れていて気持ちよく触る気になれない。土の中には、とんでもない生き物が活動しているようで(実際には見えない虫がたくさんいるだろうよ)、水を含むととたんに気持ちが悪くなる。
掃除は、完璧にやりたい主義なのに、猫がこの頃苛立っているようで、今までしたこともないところで失尿。わざととしか思えない場所に。仕方なく、お別れする敷物や洋服。ロイはいつもいい子なのに、どうかしている。
この時期の洗濯物を室内で干すと、3回くらい洗わない落ちないとおもえるような異臭を放つことがある。それが、綺麗好きのロイには堪らないのだろうか。それとも、畳のい草の香りが湿気を含むと、猫の尿に似た匂いがして敵対心からなのか、それはわからない。
憎らしいこの黒い猫も、しばらくしてソファの上で丸くなってこちらを見つめると、その赤色が良く似合って、結局は怒るのも中途でその毛を撫でたりつまんだりしてしまう。
そうしているうちに、明日は雨が降らない予感がして、心地よく眠れそうな気がしてくる。
仕事への焦燥は、いつしか頭の中で組み立てられ、ひとつひとつをクリアーして行ける気もしてくる。
晴れ。誕生日の頃は、じめじめしていた記憶が無かった。私はいつも、夏の日差しの傷みを感じていたい。
キューバ、ベトナム、カンボジア・・もっともっと、暑い日差しを感じていたい。
これも、じめじめが続いているから?
週末に少し先の未来までのお別れをしたから?
なんだか、違う気がする。
仕事にもっとやりがいを感じていたいという欲望。
そして仕事は幾つか同時に進行させていて、ひとつではないという焦燥。
Ludo et Valerie からもらった(彼らの東京の思い出の沢山詰まった)まっ赤なソファーに腰をかけて、こうしてモニターに向かうと、画面の向こう側の光だけが私を診断しているかのようにまぶしい、まるで眼科の先生が光を目に向けているようにまぶたを閉じたくなる。
晴れないから、庭のハイビスカスが気になって仕方ないし、ハーブの寄せ植えが込んでいることも気になって、土が濡れていて気持ちよく触る気になれない。土の中には、とんでもない生き物が活動しているようで(実際には見えない虫がたくさんいるだろうよ)、水を含むととたんに気持ちが悪くなる。
掃除は、完璧にやりたい主義なのに、猫がこの頃苛立っているようで、今までしたこともないところで失尿。わざととしか思えない場所に。仕方なく、お別れする敷物や洋服。ロイはいつもいい子なのに、どうかしている。
この時期の洗濯物を室内で干すと、3回くらい洗わない落ちないとおもえるような異臭を放つことがある。それが、綺麗好きのロイには堪らないのだろうか。それとも、畳のい草の香りが湿気を含むと、猫の尿に似た匂いがして敵対心からなのか、それはわからない。
憎らしいこの黒い猫も、しばらくしてソファの上で丸くなってこちらを見つめると、その赤色が良く似合って、結局は怒るのも中途でその毛を撫でたりつまんだりしてしまう。
そうしているうちに、明日は雨が降らない予感がして、心地よく眠れそうな気がしてくる。
仕事への焦燥は、いつしか頭の中で組み立てられ、ひとつひとつをクリアーして行ける気もしてくる。
晴れ。誕生日の頃は、じめじめしていた記憶が無かった。私はいつも、夏の日差しの傷みを感じていたい。
キューバ、ベトナム、カンボジア・・もっともっと、暑い日差しを感じていたい。
samedi, juillet 22, 2006
「さようなら」と言わないで=A bientot !




こんな日が、いつかは来る・・・そんな予感がして、私は詩集を制作しました。今まであった人たちに、感謝の気持ちと、私の出会った大好きな人同士が出会ってくれるような場所と話題を提供したかった。それに、参加してくれた人たちに感謝の気持ちが絶えません。
いつのまにか、外国の友達も沢山出来ました。そして、外国の人と結婚している人も数人います。彼らは、いつか何処か別の場所に引っ越してしまうかもしれなくて。そうではなくて、いつもそこにいるはずの、近所にいる人も、何処かに・・・知らないうちに引っ越していて、会えなくなってしまう事もあるかもしれない。
それが、とても悲しいけれど、地球の何処かで、元気でいて、素敵な笑顔を輝かせてくれていたらうれしい。
私はいつしか、とても大きなものに支えられている。なんだか、そんな気さえしてくる夜です。
今朝、彼と彼女と日本で生まれたちいさな人たちは母国へ、旅立ちました。
ちかいうちに、また会えますように。
そんな、祈りを込めて、小さな約束をしよう!
A Bientot. Ludo et Valerie (On peut se voir a tres bientot♪)
mardi, juillet 18, 2006
花と空間の鼓動=2006.7.14


7月14日金曜日夜、Pハウスに足を運んでくださった皆さま、ありがとうございました。
私のとても大好きなアーティストたちがそれぞれの力を持ち寄って素敵な会場にしてくれたことに大いに感謝しております。
Pハウスの白い壁、ルドの絵が飾られ、濱中直樹ライト、松本充明バンドネオン、JOUダンス、松尾邦彦映像。
素敵な仲間たちに囲まれ、昔からの友人たちに見守られ、本になったテキストのリーディング。幸せをかみしめながら読ませて頂きました。また、この本から抜粋して読んで欲しいと思っていた人たちが快く受け入れてくれたリーディングは、それぞれの声による新たな世界を、詩の可能性を示してくれて本当に素敵でした。また、飛び入りで選んで読んでくれていた詩も、それぞれの解釈を発見できて勉強になりました。また、いつかこんな機会が持てたらいいなと、本当に思っています。
予想以上にみなさんに来ていただいたので、ごあいさつままならなかった方もいらっしゃって失礼したかと思います。開場しきりもままならず、協力していただいた方には本当に感謝しています。
そして、来てくださった皆さまに頂いた花に囲まれ、今夜もしあわせの余韻から醒めずさまざまなお花の香りにまどろみながら眠りにつこうと思います。
それぞれが持ち寄ってくださったイメージしてくださったお花。
それぞれがイメージしてくれた言葉の解釈と世界。
それらが私の中心にわっと飛び込んできて、また新たな酸素を運んでくれます。
ありがとう。
出会いに、感謝。
少し先にまた、みんなに会える楽しみが出来ました。
帰り道に読んでいただけたかしら?!
あるいはお家のトイレのなかに置いて、ときどき開いていただけると光栄です。
(忌憚なき感想も寄せてくださいね。)
A bientot Rie
Taro NISHIMOTO’s blog
柴田瞳's blog
dimanche, juillet 09, 2006
光・絵・音・映像、そして言葉のコラボ

7月14日は、フランスにとってとても大切な日。(今日は、ジダンにとっても大切な日ですが)
私にとってこの日は、この世に生を受けたというもっとも重要な日です。それは、母がお腹を痛めた事を想いながら、ありがとうと感謝しなければならない日。その日を目指して、このたび本が誕生します。その誕生日は、私が希望し、本を企画してくれた人と決めた予定日でした。半年前から順調(?)に夏に向かい、徐々にその姿を現したこの本は、実際、かなりの素敵さでおどろきました。
そして、六本木にて、日頃お世話になった方々や友人、縁あって一緒に仕事をしてきた人に感謝の気持ちも込めて集まる機会を設けました。ばたばたで、何も特別なものは用意できないのですが、私の好きな、素敵な人たちと一緒に14日のひとときを過ごしたいと考えています。
ライト・インスタレーション (濱中直樹)
絵(Ludovic Xasdera=ルド・グザスデラ)
バンドネオン (松本充明)
映像/DJ (松尾邦彦)
そこに、友人たちに詩を読んでもらいます。
自分以外の人が読んでくれるのは、本当にうれしいです。
一人で読んでいるときはわからない発見がありそうです。
そして、思い思いの感覚を現してくれる予感です。わくわくします。
素敵な夜になる予感です♪
みなさま、ぜひ、お越し下さい。
(いらっしゃれる方は、Gmailにてお送りください。)
なお、このパーティーに協力してくれた友人のアーティスト、
場所を提供してくれた古くからの知人、手伝ってくれた友人たちに
深く感謝します。ほんとうに ありがとう。
ここからまた新たにスタートできる気がしています。
samedi, juin 17, 2006
深く透明なみどり
samedi, juin 10, 2006
メロン/キックオフ
mercredi, juin 07, 2006
C4I+datamatics/池田亮司
もう随分前にダムタイプ(Dumb Type)を見た以来。ダムタイプのときもいいが、今回の前半C4I が特に良かった。メッセージ性が高いのだが、音と映像の錯乱を程よく演出していてバランスが良い。なんと表現したらいいかわからないけど、とにかく刺激を受けた。完成度、音の広がりと捉まえたモチーフのループとバランス、映像の中で一番気に入ったのはそのモチーフの「規模」の違い。左右不対象の言葉。それらと音との繋げ方が違和感なく、好みの賛否よりやはり仕事の仕方や姿勢が整っている気持ちよさを感じる事ができた。確実に自分が必要とされている場面があるのだという確信のもとにこなしている。出来る事を出来る限りやるという仕事。それでもなにやら楽しそうだ。自分にしか出来ない事?それを見つけるのに誰もが苦労するところ。まずは身近なところから。。
とても古い話だが、以前、私が参加したアルバム(Visions Of Divas・スパイラルレーベル)のときにお世話になった。私は当時、詞を書き唄った。そのときはミキサーに向かいつつ、寡黙に音と向き合っていた。一見、文学青年のような神経質さと冷静さを兼ね備えた出で立ちで、訳ありのカッコいいお兄さん(?!)みたいだったが、いまや世界のRyoji Ikedaだ。
スパイラルでは当時、いろんなアーティストが出入りし、一緒に仕事をさせてもらったのがCo-FusionのWADA&TANI。みんな、世界で活躍している人だし、同じアルバムに参加していたボーカルの中には今 J-WAVE で活躍しているDJリーソルもいる。今考えると不思議だがそのアルバムには様々な人が関わっていた。
自分なりのペースで、全く違うメディアだが、いま本を制作する。そこで関わった音楽の関係者とはまた違う、本が好きで、そして本を作ることにエネルギーを注いでいる人たちに囲まれて、今週から来週までに仕上げて最後の入校に。
いま出来る事の出来る限りを、楽しみながらやりたいものだ。
とても古い話だが、以前、私が参加したアルバム(Visions Of Divas・スパイラルレーベル)のときにお世話になった。私は当時、詞を書き唄った。そのときはミキサーに向かいつつ、寡黙に音と向き合っていた。一見、文学青年のような神経質さと冷静さを兼ね備えた出で立ちで、訳ありのカッコいいお兄さん(?!)みたいだったが、いまや世界のRyoji Ikedaだ。
スパイラルでは当時、いろんなアーティストが出入りし、一緒に仕事をさせてもらったのがCo-FusionのWADA&TANI。みんな、世界で活躍している人だし、同じアルバムに参加していたボーカルの中には今 J-WAVE で活躍しているDJリーソルもいる。今考えると不思議だがそのアルバムには様々な人が関わっていた。
自分なりのペースで、全く違うメディアだが、いま本を制作する。そこで関わった音楽の関係者とはまた違う、本が好きで、そして本を作ることにエネルギーを注いでいる人たちに囲まれて、今週から来週までに仕上げて最後の入校に。
いま出来る事の出来る限りを、楽しみながらやりたいものだ。
イッセー尾形の佇まい
役者という言葉がとても似合う人。随分前になるが「それから」という映画を公開当時に見に行った記憶が蘇る。その時、そば屋かどこかで主役の後ろで一人で芝居をしていた。それが妙に頭にこびりついていた。6年前、NYに行ったときに仲間と行った文化センターにて「一人芝居」を連続で見た。その中にイッセー尾形のパフォーマンスがあった。
以前から気になっていた映画「トニー滝谷」を見る。静かな、涼しげな映画。人の悲しみ、寂しさ。儚さ。美しさ。
演出も、カメラワークも様々な工夫が見られた。一番はやはりキャスティングにあると思う。あの役柄は不思議な存在だし、若いときから今までをずっと同じ人物が通して出ることに違和感を感じないで見せる。
恐るべしイッセー尾形。若い役でも、全く違和感がなかった。宮沢りえとの歳の差も、設定通りに見えた。実際はもっともっと離れているはずなのに。。しかも、カッコいい。特に魅力的な人物ではないし、どちらかと言うと格好悪い役で、四角四面の面白みのない人物設定。芝居をやりすぎる事もなく、押さえたところが洗練されたセンスを感じた。色気がある年齢の重ね方。
役者と、その佇まいには、その人自身の素の歴史が見える。苦労をしたかもしれないたくさんの皺さえも美しく見えてしまった。
以前から気になっていた映画「トニー滝谷」を見る。静かな、涼しげな映画。人の悲しみ、寂しさ。儚さ。美しさ。
演出も、カメラワークも様々な工夫が見られた。一番はやはりキャスティングにあると思う。あの役柄は不思議な存在だし、若いときから今までをずっと同じ人物が通して出ることに違和感を感じないで見せる。
恐るべしイッセー尾形。若い役でも、全く違和感がなかった。宮沢りえとの歳の差も、設定通りに見えた。実際はもっともっと離れているはずなのに。。しかも、カッコいい。特に魅力的な人物ではないし、どちらかと言うと格好悪い役で、四角四面の面白みのない人物設定。芝居をやりすぎる事もなく、押さえたところが洗練されたセンスを感じた。色気がある年齢の重ね方。
役者と、その佇まいには、その人自身の素の歴史が見える。苦労をしたかもしれないたくさんの皺さえも美しく見えてしまった。
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