jeudi, décembre 31, 2009

アップルパイを焼きました


いま、試しにiPhoneから。

実家に帰る電車のなかです。
(後日アップというほどでもないようなアップルパイですが・・・それぞれの実家に持って行きました)

今年はいろいろありましたが、呼んでくださる人がいて詩を読む機会があったり、新しい出会いがあったり、楽しい旅ができたり。。みなさまには、たいへんお世話になりました。
ありがとうございます♬
また、来年もどうぞよろしくお願いします。

みなさま、よいお正月を!

mercredi, décembre 30, 2009

2009年 ロイのわすれもの


今年は忘れられない年になりそうだ。
17年という長い時間をともに過ごした小さな命を失ってしまったこと。
その病気に対して、何もできなかったことを悔やんでた時間もなにも意味がないとわかってはいるけれど、体の奥でどこかにそういったしこりのようなものがあるのは確かだ。

小さい頃から詩人だと思っていた素敵なバンドマンもいなくなった。
彼の曲を聴くと、ロイと過ごした高円寺での日々を思い出す。彼が亡くなって、私の愛する猫は追うように居なくなってしまった。しっかりとした四肢とずっしりした胴周りの黒い猫は、死ぬ寸前にすっかり小さくなって半分の体重になっていた。

私は、彼の病気から目を背けていたような気がする。医者いらずの珍しく丈夫で毛艶が良くていつも褒められた色雄猫は未だに近くでベッドの縁に勢いよく上ってきそうで、この半年はほとんど毎朝悲しんだ。辛かった。

このブログも書かなかったなぁと、ふと思って今日開いてみた。
(これは反省)
私は日記という現実からも逃げていたに違いない。

そういえば、自分の気持ちに正直でいることも、ほかの小さなことを気にしないことも、ロイはいつも教えてくれていた。
どれだけ、ロイが大きな存在だったか、小さな黒い猫が、どれだけいろんなことを訴えていたかを、亡くなってからこんなに知ることになるなんて、私はおろかだったなぁとつくづくと思っている。

デリケートでいるわけではない。
ただのロストペット症候群でもない。
私は、ロイに置いていかれてしまって寂しいだけだと思う。ロイと会えて良かった。ロイが居なかったら実は自分がちゃんと今を生きていたかどうかの自信がない。ロイに出会った頃の私は、今よりずっと弱かった。それは事実だし、彼がただ黙ってそばにいて見つめてくれただけで「小さなことは気にしないで」と言われていた気がしていた。

猫が死んだ。
それを聞いただけでは、何も大きな事柄には聞こえない。
けれど、私のこの手の中で、私にとって大切な命が消えていくとき、私は取り残されたことをはっきり感じた。

彼は、やっぱり天使だったと、馬鹿みたいに信じている。