mardi, octobre 19, 2010

舐めて治す


猫は
舐めて
治すの
よ?

だから
わたし

きみ

ぽっかり
空いた
胸の穴

舐めて
あげ
よう

書き
終わった
手紙

封印
切手

うら
舐める
よう



(しばらく前にココのあごに大きな怪我がありましたが、治りました。アッシュが舐めてくれたのかな? 右:Ash 左:Coco )

lundi, octobre 18, 2010

「あ・い」をこめて


昨日、Round Poetry Party で少し読ませていただきました。
日本各地からいらした方たちでいっぱいになった店内ですが、最期まで誰も帰ることなんかなくて、いろいろな朗読を聴かせていただいて、とってもすてきな会でした。あしゅりん、市毛友里、猫道は歯切れ良く自分の世界を伝える力を十分に持ったひとたち。いつも安定しているように思えます。わたしはどうなんだろう。それは考えてもきりがないのだけれど、もっとこうしたい、などの不満の多少は毎回あるのだけれど…ね。


さて今日は、先日書いた詩を封筒に入れました。
締め切りはとうに過ぎていても、やるのとやらないのは随分と違う。
詩には締め切りなんて必要ないのだけれど、やっぱり季節や想いは待ってくれないものだから。
時間は待ってくれないものだから。あのひとに向けて、送ってみました。首を長くしているあのひとのもとへ。送ってみました。
本当は、すべてやることなすこと臆病者で「なにも出来やしねえっ」とかって詩に書いてしまうほどに不精者です(笑)!(「四六時中」という詩より引用w)

これが終わったら、こんどはあのひとに向けて、たくさんの言葉を編まないと。
今度は、あのひとが、待っていてくれるから…。

「待っていてくれる人がいる」ということが、とてもしあわせで、それをかみしめているのです。




アッシュ&ココ

dimanche, octobre 17, 2010

雑味

そういうことか。
雑味とはそういうことなんだ。

わたしも雑味だらけなんだろうな。

で、雑味が好きな人は、なんども食べちゃうんだって。
癖になってくれるリピーターがいるなら、それでいいじゃないか?
と思います。

雑味。
わたし自身が雑味が好みなのかも。

samedi, octobre 16, 2010

円盤にのって


(ロイの最期の映像です。きっとあまり見えていない)

よろよろとしながら必死にわたしの手の中に滑り込む
わたしはあなたのところに円盤にのって訪ねるよていなの

待っててね
もうすこし
待っててね

jeudi, octobre 14, 2010

ぼんやりとにおう


ロイはいつもしっかりとわたしに躯を預けた。
うちに居る新しい二匹の仔たちもとても可愛いけれど、ロイのようなそれをしない。

この時期になると、暑い夏から解放されて、ベッドに潜り込んでくる。
ロイが亡くなって2度目のこの季節がやってきて、ロイの匂いを思い出すのだ。
首元を鼻のあたりまで持ってきて、そしてその重さが心地よくて、よく眠れる。
花粉症だとか、鼻炎だとか、実はあったことはあったし、黒い被毛は鼻をくすぐりくしゃみなども連発させるのだけど、それでもそのしあわせには勝てなかった。

ロイの被毛の間にわずかに見える皮膚は薄青白で、そこから良い匂いをさせていた(笑)。
猫はほとんど匂わないけど、そうそれは、わたしにははっきりと別の猫とは違う匂いだと嗅ぎわけることができたのだ。

トゥクトゥクとしたいなぁ。



去年の今頃のこと。
そろそろトゥクトゥクに乗るのだ。

トゥクトゥクと風を感じ、砂埃も、暑い陽射しも気にせずに
のんびりと行くのだ。

運転手に値切りや交渉しながら、乗るだの乗らないだのの
駆け引きがまた楽しいのだ。

旅は、いつだってニュースを運ぶ。
その時間は、クールに生きて居られる空間。

どんな悲しいことだって、新しいニュースだらけで
身体が新聞だらけになっちまうのさ。

トゥクトゥクに乗って、エンジンの匂いが陽に灼ける場所まで走り続けたい。

mercredi, octobre 13, 2010

山羊


クラリス姫がしていた指輪は山羊の彫刻があった。
ゴートの血は、このチーズから出来ているのかしら。

わたしは山羊のチーズが大好きです。
おいしいおいしーい!

チーズは、わたしの血になるのよ。
でも、あともう少ししか無くなってしまって悲しいの。
これは東京では、中流以下の人間には買えないわ…残念だけど。

あぁ、クラリスがうらやましいw

mardi, octobre 12, 2010

「絵空よみ」


詩を書いている
読むこともある

言葉を探さないで
言葉に見つけられる


この頃では、すっかり言葉のほうが
「わたし」を
見つけてやってくるのだ

嬉しくて、けれど慎重に様子を見ながら
「わたし」は
近づいていくのだ

少しだけ目を逸らせて
声には出さないままで
ふざけないで
やさしく問いかける

音もなくやってくる「わたし」の側で
聴き耳を立ててじっと座っている



写真:吉岡あしゅりん