vendredi, mai 08, 2015

5月9日(土)【雨、ときどき、ロールケーキ】は「ひかりのうま」で。

ゴールデンウィークはまず実家に帰り、約24時間いた。

ゆっくりは出来なかったけど、母の笑顔を見ることができたし、
すこしだけ運転もできた。

次の日、雲取山に行った。
予てから楽しみにしていたが、予想以上に山道の緩急と新緑の豊かさに楽しかった!
しかしながら後半はそれまでの仕事と免許取得とちょっとした環境(職場とプライベートなど)と
暫く前は、母の電話の声の元気のなさを感じてどうにも出来ないこと自分に苛立ったりもしたことが溜まっていたせいか最終の振替休日となった6日にはこわれてしまった。

人は生きているときに浅はかなことを繰り返してしまう。
もしかしたらそれは、賢人であっても表立って見えないだけで実際は側近のものはどのように感じているかわからないのではないかな。きっとそれはその「立場」でしかわからないものだろうと思ってみる。

人の立場に立てることなど、殆ど出来ないと思ったほうがいいと、わたしは思う。
小さな怪我であっても擦り傷であっても、それは、その人が感じる「ひりひり」さに忠実によりそうことなどできないのだから。

だからこそ大切なものは何かを考える。
不器用であっても、その人に「寄り添い」「想像してみる」こと以外にほかはないし、もしそれをしてくれようとした人がいたら、その人の心を感じとらねば、「うっかり生きて」しまうのではないかなと。

自分がうっかりさんだな、と思う。
不器用だな、と思う。

それでも、決定的に諦めるなんてできない。
諦めたらそのときは「生きる」のをやめるか「うっかりしたまま生きる」と開き直るかしかない。

開き直れたらいいのに、と思う。

人の器ってなんなのだろう。
器の登場するのは、どんなタイミングなのだろう。

そんなことを考えていたら「無財の七施」という言葉が浮かんだ。
父の好きな言葉だった。

七つとも、それぞれに難しい。
どれも、相手があってこそ成り立つものだ。

わたしには到底できない。
そして落ち込んでしまって、そこに父の顔が浮かび、新しい詩を読んでもらうことができないことを「さびしい」とぐったりしてしまった。


わたしには優しい友が、手を差し伸べてくれる。
わたしは、ちゃんと応えられるだろうか。
分け、与えることができるようなものが、あるのだろうか?
わからないけれど、やっぱり精一杯やるしか、諦めなんかしないで「生きる」しかないのだろうと思う。ライブとは良く言ったものだ。

あしたも「生きる」から、もし現場で出会えたらと思う。

柳本小百合の手描きチラシ。。わたしの好きなロールケーキと猫ちゃんがいる。。

lundi, janvier 19, 2015

左手の「可能性」



2014年は父が他界した。
のち、ちょうど半年で、
2015年がやってきてしまった。
時間だけが急ぎ足で通り過ぎてしまった。
…ように思われた。

この半年、
時折気にかけてくれる人たちの温かい声に
どんなに支えられたかわかりません。

2015年が明けて、
もう20日になろうとしている。

2014年は冒頭から、
徐々にゆっくりしていこう…と思ってから
半ばで、大切な家族を失って、
身体よりも心が
なんというか、慌しかった。

自分を見つめ、大切な時間を味わおうと
今年は始まっています。

最初から飛ばさないし、
(ずっと飛ばしてはいないけれど)
慌しくしても
目覚ましい発展はないし、
それは何も変わっていないようにも
見えるだろう。

自分のなかで
すっかり、
はっきり、
変わってしまったことがある。

時間がもったいない。

限られているのだから、
時間を大切に使いたい。

じつは、
焦っていろいろなことを同時に進めたら
右手首に支障が・・・ということで
動かさないように
今は包帯でぐるぐる巻きにしているんだよね。。
「おやすみ」だと視覚的に
自分に覚えさせているのもあって。。

そうしないと、
わたしの身体も脳も利き腕を使ってしまって
左手の可能性を見出せない(笑)

簡単なことなのに
身体は癖を優先する。
脳も同じなのだろうね。

呼吸すること。
整えること。


右が上手く使えないのは
左を意識させることなんだなと
考えてみる。

何かをしたいという衝動を押さえ

静かに考えてみること。

足りなかった「何か」を
明日へのスパイスにして
今年はこれから伸びやかに
ゆっくりと進めていこうと思っています。




☆ライブ情報
1月25日(日)START17:30(開場17:00)
@高円寺ウーハ ¥1500 + ドリンク(¥500) 出演:ゲタゲタ、片山さゆ里、sleepingbeauty、なの小夕子、シャンプーハッツ、後藤理絵

2月21日(土)START19:00(開場は1時間前)
【砂猫森歌 vol.3】
@高円寺 大陸バー彦六
¥1000+それぞれのオーダー(ご飯もドリンクも)
企画・出演:こもりうた、後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉


dimanche, novembre 23, 2014

「あなた」に「おやすみなさい」を。。。

日が変わった。

そんな時でもなければこんなことは書けない。

人の目からの涙が溢れてしまうその瞬間を、感じている。
誰と会っても、相手の人の目を見て、感じてしまう。
泣いているのでなく、人の目を潤しているその液体を、感じている。

「こっちを見て」という瞬間は「こっち」(自己やそれを取り巻くもの)なのだから、
見なくてはならない。見ないと、損?というか、小さな(ときにはとてつもなく大きな)
しあわせを取りこぼしてしまう。

わたしはずっとそういう大切なモノを取りこぼして来たんだろう。
大切な人の、大切な言葉を、大切な瞬間を、これからはこぼしてしまいたくないのだ。
ひとつ残らず、見て、感じていたい。

これから愛するすべての命に。
いま、愛しているすべての命に。

お別れが来る、その日までずっと。
ずっと。。。

おやすみなさい。
愛する人。



インドのハンピでナビしてくれたリクシャのお兄さんと。日没を丘に見に行った。

vendredi, juin 13, 2014

はじめての〈砂猫森歌 すなねこもりうた〉

声が届きますように
その中心の声

誰かの弦に
触れ

いつか
新しい音を
奏でて

聴かせてください
聞かせてください

その
心臓ちかくから

響きを



=====================
「砂猫女王」と「こもりうた」が一緒に企画をします。
その第1回目を高円寺の天にてとりおこないます。

6月15日(日)
13:00 Open/13:30 Start
於:高円寺アートバー 天
  (高円寺南3-46-3五明堂ビルB1)

D J : みんななかよくね(ユニ)
ゲスト:トスデール
    SUNAGIRL

こもりうた砂猫も登場します。

ゆるやかな昼すぎ・・・
ご一緒に過ごしましょう♪





  


【タイムテーブル】

〈DJ〉 13:00 DJみんななかよくね(ユニ)
〈1〉 13:30  こもりうた
〈2〉 14:10    トスデール
〈DJ〉 14:40   DJみんななかよくね(ユニ)          
〈3〉 15:00   SUNAGIRL
〈4〉 15:40  後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉

mercredi, juin 11, 2014

卵の殻の内側の膜の

外側から見るとつるんとした卵が、
あの硬い殻の内側に
薄くて破れにくい膜を持っているのを
子どものころは気づかなかった。

卵のなかで起きていることは神秘で
いくら透かして見る科学や技術が進歩しても
手出しはできないのだ。

この皮膚で覆ったわたしたちの身体のなかも
破ってみることで終わってしまうようなものは
そのときを待つことしか出来ない。


長いこと、待っていた自分のなかでの答えが、
わたしの膜の内側では、どうやら出ている予感で
それを言葉にするのは難しいけれど、
ずっともやもやとしていた奥で起きている違和感や
イキモノとしての義務感とともに腐れかける精神を
なんとか腐らせないで遅れても分裂し育っているような
・・・気がしている。

まったく、
やれやれ




わたしは
ほんとうに
のろまで、

要領を
得ない
イキモノ
だな
だな


な・・・

それを正直に言葉に出したり、
態度で示すのは、あまりにもみっともないことだし
勇気がいる
それから得体の知れない、重圧が大きい
この重いものは、このダメなわたしがこれまで
「引きずってきた」 ものに違いない

けれど
正直になるしかない
諦めて
けれど
諦めないで

笑う、食べる、温まる、
を祈るだけだ

膜の内側で
自分、かもしれない、自分が
息吹を送ってくる

これまで【違和感】の泥にまみれていた
まっさらな白のシーツみたいに
濡れて丸まっている

いつか殻を破って飛び立つ鳥みたいに
陽にあたって羽根は輝くのだろうか



mardi, mai 13, 2014

【すなねこのゆりかご】第二話@高円寺


古い本の匂いを思い出してみる

紙が湿気を含んで、インクや糊の劣化したような
紙が元にあった森に戻っていくような
本という存在はいまもなお特別であると思える
ときに、新しさを連れてくる
本のような、地味であっても
じわっとした瞬間があるといいな
そんな気持ちで「すなねこのゆりかご」をはじめました
時間をともに過ごす
コーヒーとともに
そんなお気持ちでどうぞごゆるりと。。。




高円寺のU-hAさんで2回目のすなねこのゆりかごをやります。
今回は「てあしくちびる」のくっちーつっちーさんをお招きしました。
彼女の奏でる弦と紡ぐ言葉と、そして美しい声をじっくり堪能してください。
皆さんのご来場をこころよりおまちもうしてしております。
                             すなねこ拝 


vendredi, mai 09, 2014

珈琲を、淹れたまま、飲まない。



明日、学芸大学のアピアでライブあります。

女性アーティストばかりの素敵な夕べになると思います。

3月末にケイコちゃん、みおちゃん、六弦琴さんと一緒にライブをして、
その後は仕事に専念しておりました。
だから1ヶ月と少し間があいてました。

退院してからというもの、仕事は結構なプレッシャーとともに過ごし、
プライベートでのコミュニケーションを図る時間が思うようにとれず、
おかしな日々でした。

そのさなかにいると、どうしても「焦り」にまみれてしまって、
申し訳ない気持ちに、いまさらのようになります。

全く、自分の小ささを呪います。
だから、小さな事故が起こってしまったあとで、謝りたいことや
責任をとりたいこと、そういうことについて有耶無耶にできず、
かえって誤解をうんでしまうことも、よくあるのです。

偽善的なこと、と思う人もいるかもしれません。
それでも仕方ないかもしれません。

病院というところが、わたしを変えてしまったのか?
いえ、気づきました。
大切なことに、気づきました。

わたしの一番大切なものに、あらためて気づきました。
それから人の「エゴ」にも。

「やりたいこと」「野心」そういうものたちに囲まれて、
わたしはいつも焦っていました。
おそらくそれは、自分が「のろま」だと知っていたからでしょう。
人より何倍もがんばらないとそれを成し遂げることなんて
できっこないんだから。。。

仕事して、お給料もらって、普通にやっているからこそ、
自分の精神を保てるんだ、などと信じていたり。。。
そういうことさえ、ばかばかしいと思えてきます。

わたしはいつも、途中まで仕掛りのことを中途半端にしているような焦りを
感じています。

ドリップの前に珈琲を蒸らして、途中まで淹れて、忘れてしまったり、
飲まずに、珈琲を落としたら満足しているような。。。

愛する人と一緒に居られることなど、もうわたしにはできないのかもしれない。
そう思うと、残りの人生について考えざるを得ません。

そして、胸が痛い。
必要以上に、社会に噎せたり、苦しくなったりしてきます。

わたしを産んでくれた母にはほんとうに感謝しているし、
教育などにお金をかけてくれた父の支援に深い感謝をしています。

それでも彼らの人生と、わたしの人生は違う。

わたしは、わたしの責任で、今の自分をちゃんと知らなければならない。
目の前のカップに入れた珈琲を、最後まで飲みましょう。
好きなお砂糖だけを入れた珈琲を。。。


5月10日(土) 
学芸大学アピア40
【風のない場所に咲く花たち】 
開場18:30 / 開演19:00
前・当共¥1500+drink

出演:藤原愛(vo,p)、
後藤理絵=Regina〈砂猫女王〉(poet)、 
真理(vo,p)、
おぐまゆき(vo,g)