dimanche, juillet 30, 2006

うれしいよ=Mes amies

お芝居を見に行きました。古くから、互いの甘えに本気で叱って、本当の悲しみを分かち合うことの出来る人。
彼女の名前は滝沢涼子。最近はヨリモのCMなどでタレントマネージャー遍に出演していて、顔を見ればすぐにわかる人もいるだろう。
私たちは姉妹のようで、戦友のようでもあった。言いたい事を言い合い、映画や俳優としての討論をし、悔し涙さえ分かち合った。
某養成所では、講師が私たちをライバル視させようと、別々に呼び出し競争させた。その意味も今では良くわかる。以来、講師の策略とは裏腹に仲良くなってしまったのだった。強く、優しい女優になって、いつも応援している人だ。

遠くから、声がする。
間違えたことをしそうになると、あの、悔しくて、苦い涙を思い出す。悔しいのは、自分ではどうにも出来ない大きなものと闘えるほどの力が無いからだった。つい最近まで、目の前にあった気がするその大きな、もの。しかし、今はどうでも良くなった。大きなものと闘わなくても良くなった。彼女も、同じだろうか。もしかしたら、今もそのような事があるのだろうか。彼女の顔にうっすらと感じる影にこっそりと、心配をする。

明日、大学時代の友人に会う。彼女は大阪にいる。今回は帰省で横浜に。彼女はモデルだった。とても背が高く、内面とともに美しい。会えることが、なかなか出来ないけれど、それでもいつも心配をしてくれている姉のような存在。彼女は、強くさらに優しい二児の母親になっている。

今月中に、小さな会食を約束をしている古くからの友人。彼女は、去年のクリスマスに結婚式をカナダで挙げた。カナダに実家のある旦那さん。要するに、いつか、近くにいなくなってしまう可能性が高い、彼女。フランス語を、さらに好きになれたきっかけをくれた人。
素敵な笑顔の可愛い異星人。

出会いは、出会いを呼んで、私は沢山の友人に囲まれていて、それを幸せに感じ、たくさんの素敵な人たちを自慢したい気持ちになっている。

今年は、自分の今までと向き合うという大きなきっかけをくれた人にも出会えた。そして今までに無い経験が出来た(本のことだけど)。


出会った時のことを忘れずに、いつも大切にできるように。
そして だからこそ、自分も大切にできるように。

mercredi, juillet 26, 2006

Vivre sa vie それが、人生

ジャン・リュック・ゴダールの映画は、高校生の頃に出会った。
私にとって彼は監督のなかでも別格で、お洒落だとかそういった事とは無縁の、どちらかというと無茶苦茶な衝撃を残した。
小学生の頃から映画には慣らされて(父の影響で)いたこともあり、アンジェイ・ワイダにハマった事もある。「灰とダイヤモンド」ポーランドの歴史の、戦争の影にこんな友情と愛、そして人の生き様、死に方があったのかと。しかし、成長とともに戦争を描いた物語には一種の苦手意識が混在してきて、以降は好んで見ようとしなかった。一方、ゴダールは、いつでも見られた。いまでも、あきもせず何回も見ている。その度ごとに、その愉しみが変わる。興味は、少ない男女の会話だったり、そのとんでもない長回しの空間と間。逆にテンポの良い会話で相手に言葉のシャワーを。。会話の無意味さも味わえる。

自分の将来のことを夢見続ける日々は続く。
一時は、映画に関わる「仕事」しか考えていなかった。
同じ頃、もちろん読書にも夢中になった。そんななかでの衝撃は、中原中也の詩集(古い母の書棚から)と、学校の図書館で次々に借りたのが向田邦子の脚本シリーズ。(向田邦子に一種の憧れを抱きつつ脚本家になることを真剣に考えていた矢先に彼女は飛行機事故で亡くなってしまって、新作が読めない事を日本中のファンの人はなんと嘆いた事だろう。。その、一人が中学生の私だった。作家は飛行機事故なんかで死ぬはずが無いと思い込んでいた。)
詩の、簡潔な言葉の描く情景は、さまざまな想像、頭の中だけの情景。
すごいスピードで駆け抜けていくくせに、後から断片的にモザイクを残す。
好きな世界だった。その世界に浸っているのが好きだった。絵にも、唄にも変わるのだから。
シナリオは、人の人生を想像するための言葉を探していく作業。大学時代にこっそりシナリオセンターに通っていた。苦労しながら愉しい日々を過ごしていた。のちの、演技をすることにとても役立っていたように思う。単に「想像する」、「創造する」を楽しく感じていただけなのかもしれない。そして、興味を寄せていたほとんどが映像とそこに飛び交う言葉だったように思う。


ゴダールの最も好きな映画は「女は女である」、「アルファヴィル」。(この2本はゴダール食わず嫌いの人にもぜひおすすめしたい。)それから、「女と男のいる舗道(原題:Vivre sa vie )」。それぞれに、アンナ・カリーナが登場する。
今回の詩集「ア・ビアント じゃ、またね。」の第一番目の詩は、彼女に捧げたオマージュです。(一度、夕張映画祭で彼女に出会ったことがあるがそのときは一生に一度しか無いだろうと、片言のフランス語を懸命に話した。)彼女は、映画から想像もできないほど歳を重ねていたが、その姿は凛とクールに輝いていた。詩の最後の一節「・・落ちていくAnna」というのは、Annaが落ちていくのではない。むしろ、Annaに、落ちていく。か、または最後はつい放った彼女への呼びかけ。そして、それを知ってか、知らずか、担当の編集者はリリースの一言を【「女と男のいる舗道」を見ているような・・・】などと記載していた。彼の子は、なんと私と同じ誕生日のほぼ同じ時間に、この世に誕生してしまったし、この映画のタイトルを出してくるということも、また妙だった。

話はそれるが、一方の担当のプロデューサーは、(アンナ・カリーナのように)前髪を切った夢を見たという話。彼女は長い黒髪。「そんなことしたらもったいないのに」と思うほど、良く似合っている。過去に前髪を切った髪型だったらしいことを今日知って、また不思議な感覚を得た。前髪の夢の理由はわからない。(・・にしても、「前髪」という言葉は「顔に髪がかかる程度」までしか使わない気がする。顎くらいまでの長さ、かな?・・これもまた不思議だなどと考えながら聞いていた。)

そうやって人生は、不可思議だらけ。
いま、目の前で、バラバラになったジグソーパズルが一つ、一つと見えてきた景色の一部。
けれども、夜見る夢も解明できるわけもないし、自分の詩集を推定不可能な幻想に縁取られていることもあるだろうし。。
本を作ってくれた人の娘が、予定日から早まってお父さんの作った本の作者と同じ日に誕生してしまうことや、辛いものが苦手なのにインドに行くことになってみたり、ね。
そう、やっぱり人生は、不可思議だらけ。
詩人、谷川俊太郎も「詩ってなんだろう」(それを詩の歴史で繙く本なのに)の本の最後にこう締めくくっている。
「詩がなんなのか、うまく答えられた人は誰もいない」
なら、人生がナンなのか、こんな私には まだまだ わかるはずもない。ということだね。。。。

mardi, juillet 25, 2006

きっと、いつか晴れる。

なんだか浮かない気持ちで、仕事を片付ける。
これも、じめじめが続いているから?
週末に少し先の未来までのお別れをしたから?
なんだか、違う気がする。
仕事にもっとやりがいを感じていたいという欲望。
そして仕事は幾つか同時に進行させていて、ひとつではないという焦燥。

Ludo et Valerie からもらった(彼らの東京の思い出の沢山詰まった)まっ赤なソファーに腰をかけて、こうしてモニターに向かうと、画面の向こう側の光だけが私を診断しているかのようにまぶしい、まるで眼科の先生が光を目に向けているようにまぶたを閉じたくなる。

晴れないから、庭のハイビスカスが気になって仕方ないし、ハーブの寄せ植えが込んでいることも気になって、土が濡れていて気持ちよく触る気になれない。土の中には、とんでもない生き物が活動しているようで(実際には見えない虫がたくさんいるだろうよ)、水を含むととたんに気持ちが悪くなる。

掃除は、完璧にやりたい主義なのに、猫がこの頃苛立っているようで、今までしたこともないところで失尿。わざととしか思えない場所に。仕方なく、お別れする敷物や洋服。ロイはいつもいい子なのに、どうかしている。
この時期の洗濯物を室内で干すと、3回くらい洗わない落ちないとおもえるような異臭を放つことがある。それが、綺麗好きのロイには堪らないのだろうか。それとも、畳のい草の香りが湿気を含むと、猫の尿に似た匂いがして敵対心からなのか、それはわからない。
憎らしいこの黒い猫も、しばらくしてソファの上で丸くなってこちらを見つめると、その赤色が良く似合って、結局は怒るのも中途でその毛を撫でたりつまんだりしてしまう。
そうしているうちに、明日は雨が降らない予感がして、心地よく眠れそうな気がしてくる。
仕事への焦燥は、いつしか頭の中で組み立てられ、ひとつひとつをクリアーして行ける気もしてくる。
晴れ。誕生日の頃は、じめじめしていた記憶が無かった。私はいつも、夏の日差しの傷みを感じていたい。
キューバ、ベトナム、カンボジア・・もっともっと、暑い日差しを感じていたい。

samedi, juillet 22, 2006

「さようなら」と言わないで=A bientot !
















こんな日が、いつかは来る・・・そんな予感がして、私は詩集を制作しました。今まであった人たちに、感謝の気持ちと、私の出会った大好きな人同士が出会ってくれるような場所と話題を提供したかった。それに、参加してくれた人たちに感謝の気持ちが絶えません。

いつのまにか、外国の友達も沢山出来ました。そして、外国の人と結婚している人も数人います。彼らは、いつか何処か別の場所に引っ越してしまうかもしれなくて。そうではなくて、いつもそこにいるはずの、近所にいる人も、何処かに・・・知らないうちに引っ越していて、会えなくなってしまう事もあるかもしれない。
それが、とても悲しいけれど、地球の何処かで、元気でいて、素敵な笑顔を輝かせてくれていたらうれしい。
私はいつしか、とても大きなものに支えられている。なんだか、そんな気さえしてくる夜です。
今朝、彼と彼女と日本で生まれたちいさな人たちは母国へ、旅立ちました。
ちかいうちに、また会えますように。
そんな、祈りを込めて、小さな約束をしよう!
A Bientot. Ludo et Valerie (On peut se voir a tres bientot♪)

mardi, juillet 18, 2006

花と空間の鼓動=2006.7.14




7月14日金曜日夜、Pハウスに足を運んでくださった皆さま、ありがとうございました。
私のとても大好きなアーティストたちがそれぞれの力を持ち寄って素敵な会場にしてくれたことに大いに感謝しております。
Pハウスの白い壁、ルドの絵が飾られ、濱中直樹ライト、松本充明バンドネオン、JOUダンス、松尾邦彦映像。
素敵な仲間たちに囲まれ、昔からの友人たちに見守られ、本になったテキストのリーディング。幸せをかみしめながら読ませて頂きました。また、この本から抜粋して読んで欲しいと思っていた人たちが快く受け入れてくれたリーディングは、それぞれの声による新たな世界を、詩の可能性を示してくれて本当に素敵でした。また、飛び入りで選んで読んでくれていた詩も、それぞれの解釈を発見できて勉強になりました。また、いつかこんな機会が持てたらいいなと、本当に思っています。
予想以上にみなさんに来ていただいたので、ごあいさつままならなかった方もいらっしゃって失礼したかと思います。開場しきりもままならず、協力していただいた方には本当に感謝しています。

そして、来てくださった皆さまに頂いた花に囲まれ、今夜もしあわせの余韻から醒めずさまざまなお花の香りにまどろみながら眠りにつこうと思います。
それぞれが持ち寄ってくださったイメージしてくださったお花。
それぞれがイメージしてくれた言葉の解釈と世界。
それらが私の中心にわっと飛び込んできて、また新たな酸素を運んでくれます。

ありがとう。
出会いに、感謝。
少し先にまた、みんなに会える楽しみが出来ました。
帰り道に読んでいただけたかしら?!
あるいはお家のトイレのなかに置いて、ときどき開いていただけると光栄です。
(忌憚なき感想も寄せてくださいね。)

A bientot Rie


Taro NISHIMOTO’s blog 
  • http://taro.readymade.jp/blog/archives/001526.html

  • 柴田瞳's blog
  • マヨネーズ革命
  • dimanche, juillet 09, 2006

    光・絵・音・映像、そして言葉のコラボ


    7月14日は、フランスにとってとても大切な日。(今日は、ジダンにとっても大切な日ですが)
    私にとってこの日は、この世に生を受けたというもっとも重要な日です。それは、母がお腹を痛めた事を想いながら、ありがとうと感謝しなければならない日。その日を目指して、このたび本が誕生します。その誕生日は、私が希望し、本を企画してくれた人と決めた予定日でした。半年前から順調(?)に夏に向かい、徐々にその姿を現したこの本は、実際、かなりの素敵さでおどろきました。

    そして、六本木にて、日頃お世話になった方々や友人、縁あって一緒に仕事をしてきた人に感謝の気持ちも込めて集まる機会を設けました。ばたばたで、何も特別なものは用意できないのですが、私の好きな、素敵な人たちと一緒に14日のひとときを過ごしたいと考えています。

    ライト・インスタレーション (濱中直樹)
    絵(Ludovic Xasdera=ルド・グザスデラ)
    バンドネオン        (松本充明)
    映像/DJ (松尾邦彦)

    そこに、友人たちに詩を読んでもらいます。
    自分以外の人が読んでくれるのは、本当にうれしいです。
    一人で読んでいるときはわからない発見がありそうです。
    そして、思い思いの感覚を現してくれる予感です。わくわくします。
    素敵な夜になる予感です♪
    みなさま、ぜひ、お越し下さい。
    (いらっしゃれる方は、Gmailにてお送りください。)

    なお、このパーティーに協力してくれた友人のアーティスト、
    場所を提供してくれた古くからの知人、手伝ってくれた友人たちに
    深く感謝します。ほんとうに ありがとう。
    ここからまた新たにスタートできる気がしています。