mercredi, juillet 26, 2006

Vivre sa vie それが、人生

ジャン・リュック・ゴダールの映画は、高校生の頃に出会った。
私にとって彼は監督のなかでも別格で、お洒落だとかそういった事とは無縁の、どちらかというと無茶苦茶な衝撃を残した。
小学生の頃から映画には慣らされて(父の影響で)いたこともあり、アンジェイ・ワイダにハマった事もある。「灰とダイヤモンド」ポーランドの歴史の、戦争の影にこんな友情と愛、そして人の生き様、死に方があったのかと。しかし、成長とともに戦争を描いた物語には一種の苦手意識が混在してきて、以降は好んで見ようとしなかった。一方、ゴダールは、いつでも見られた。いまでも、あきもせず何回も見ている。その度ごとに、その愉しみが変わる。興味は、少ない男女の会話だったり、そのとんでもない長回しの空間と間。逆にテンポの良い会話で相手に言葉のシャワーを。。会話の無意味さも味わえる。

自分の将来のことを夢見続ける日々は続く。
一時は、映画に関わる「仕事」しか考えていなかった。
同じ頃、もちろん読書にも夢中になった。そんななかでの衝撃は、中原中也の詩集(古い母の書棚から)と、学校の図書館で次々に借りたのが向田邦子の脚本シリーズ。(向田邦子に一種の憧れを抱きつつ脚本家になることを真剣に考えていた矢先に彼女は飛行機事故で亡くなってしまって、新作が読めない事を日本中のファンの人はなんと嘆いた事だろう。。その、一人が中学生の私だった。作家は飛行機事故なんかで死ぬはずが無いと思い込んでいた。)
詩の、簡潔な言葉の描く情景は、さまざまな想像、頭の中だけの情景。
すごいスピードで駆け抜けていくくせに、後から断片的にモザイクを残す。
好きな世界だった。その世界に浸っているのが好きだった。絵にも、唄にも変わるのだから。
シナリオは、人の人生を想像するための言葉を探していく作業。大学時代にこっそりシナリオセンターに通っていた。苦労しながら愉しい日々を過ごしていた。のちの、演技をすることにとても役立っていたように思う。単に「想像する」、「創造する」を楽しく感じていただけなのかもしれない。そして、興味を寄せていたほとんどが映像とそこに飛び交う言葉だったように思う。


ゴダールの最も好きな映画は「女は女である」、「アルファヴィル」。(この2本はゴダール食わず嫌いの人にもぜひおすすめしたい。)それから、「女と男のいる舗道(原題:Vivre sa vie )」。それぞれに、アンナ・カリーナが登場する。
今回の詩集「ア・ビアント じゃ、またね。」の第一番目の詩は、彼女に捧げたオマージュです。(一度、夕張映画祭で彼女に出会ったことがあるがそのときは一生に一度しか無いだろうと、片言のフランス語を懸命に話した。)彼女は、映画から想像もできないほど歳を重ねていたが、その姿は凛とクールに輝いていた。詩の最後の一節「・・落ちていくAnna」というのは、Annaが落ちていくのではない。むしろ、Annaに、落ちていく。か、または最後はつい放った彼女への呼びかけ。そして、それを知ってか、知らずか、担当の編集者はリリースの一言を【「女と男のいる舗道」を見ているような・・・】などと記載していた。彼の子は、なんと私と同じ誕生日のほぼ同じ時間に、この世に誕生してしまったし、この映画のタイトルを出してくるということも、また妙だった。

話はそれるが、一方の担当のプロデューサーは、(アンナ・カリーナのように)前髪を切った夢を見たという話。彼女は長い黒髪。「そんなことしたらもったいないのに」と思うほど、良く似合っている。過去に前髪を切った髪型だったらしいことを今日知って、また不思議な感覚を得た。前髪の夢の理由はわからない。(・・にしても、「前髪」という言葉は「顔に髪がかかる程度」までしか使わない気がする。顎くらいまでの長さ、かな?・・これもまた不思議だなどと考えながら聞いていた。)

そうやって人生は、不可思議だらけ。
いま、目の前で、バラバラになったジグソーパズルが一つ、一つと見えてきた景色の一部。
けれども、夜見る夢も解明できるわけもないし、自分の詩集を推定不可能な幻想に縁取られていることもあるだろうし。。
本を作ってくれた人の娘が、予定日から早まってお父さんの作った本の作者と同じ日に誕生してしまうことや、辛いものが苦手なのにインドに行くことになってみたり、ね。
そう、やっぱり人生は、不可思議だらけ。
詩人、谷川俊太郎も「詩ってなんだろう」(それを詩の歴史で繙く本なのに)の本の最後にこう締めくくっている。
「詩がなんなのか、うまく答えられた人は誰もいない」
なら、人生がナンなのか、こんな私には まだまだ わかるはずもない。ということだね。。。。

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