mardi, août 17, 2010

セ/ラ/う゛ぃ=C'est la vie.

昨晩、原宿JETROBOTにてお会いできた方々に感謝しています。

音、音、音が重なる中で、詩を読むというのはなかなか難しいことです。
というのは、やはり楽器が弾けて、音を奏でることができるという技術やそこに込められた奏者の魂に感服せざるを得ないからです。

JETPOETと表していますが、実際は奏者の方々のエネルギーを感じることが、一番の醍醐味とも言えます。
言葉は実は音楽の一部であることも、そこで感じるように、そしてそれは明らかに人によって持っている楽器が違う。
その難しさはいつも感じていました。

昨晩、9時以降に読ませていただきましたが、三十分はとても長く、私の中ではとてもとても重いものでした。

テーマはいつもの通りで、身近なものではありますが、ポップにしたいために「戦争」「テロ」などの言葉は使いたくありません。本当はもっと裸の言葉で出した方が良い場合もあると思いますが、それが私の書いているものの現状です。
具象化しないで、読んでくれる方がもしいたら…、そこで想像してもらえたら…、というのがささやかな願いです。

書いている面白さと、読む面白さは違います。
文字の詩と、音の詩も違います。
私はその狭間で、改めて「伝えることの難しさ」を噛みしめています。

創作する、と簡単にいうけれど、私にとっては「試練」みたいなことの一つなのかも知れません。
若い、才能のある詩人はたくさんいらっしゃいます。
かつて、私も幼い頃に書いたときは褒められて「また書いちゃおうかな」と気軽な気持ちで書いていました。
しかし大人になると、知らなくては恥ずかしいことだったり、同じ言葉の持つ重みが変わってしまったり、あらゆる場所に目があってそれを意識せざるを得なくなります。
そういうことを考えると、私は未だに大人と少女の間を行き来しているのではないかと自分の居る位置を確認します。

前回は大島健夫さん、今回はZULUさんと、呼んでくださったことに感謝する反面、ちゃんとお応え出来たかということについては疑問です。
だけど、セラヴィ! そのときのできによって違うという何ともプロ失格な発言で乗り切ってしまおう!とも思っています。
ごめんねと思うけど、大島さんにもZULUさんにも謝らない(笑)!

先日、竹原ピストルさんと佐伯憲陽共同企画『朗読会 Pound for pound R9』に行って、オープンマイクに参加させてもらいました。
そこで学んだことが大きかった。猫道さんが誘ってくれていたのだが実家に帰る予定であったため一度はお断りしていたけれど、行って良かったと思います。最初は参加するつもりはほとんどなくて(尻込みしていたため)、それでも材料は持って行ったので読みました。それはそれは、詩の世界の人たちとはまるで違う人種ばかりで、面白くて目が離せなくなり結局夜中まで…。挑み方、取り組み方がほんとうにそれぞれで、闘わないことや、他の音に頼らないことがその企画の趣旨でしたので、普段楽器を持っている人は言葉だけで勝負したり、もともと曲として書いた言葉を詩を朗読するという企画でした。
そこで、私はなにやら楽しくなっていて、のびのび楽しそうだったと、一緒にいたケイコちゃんも言ってくれました。

今日の日記はとても長い。
8月は3回の別の場所でマイク前に立てたことを、呼んでくれた方、誘ってくれた方に感謝しつつも、少し高い階段があったら上りたいなと思う日でした。

↑撮影;志賀さん

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