samedi, novembre 08, 2008

多事争論の偉業

筑紫哲也の多事争論はもう更新されないのだろうか。
この人の偉業はあらゆる分野に及んでいるため、私なんかが語ることなどなにもないのだけれど、しばらく感じないほどのショックを受けたため、私事としてメモしておく。

彼は死なないと、すっかり信じていた。
私にとって、社会の灯台のような人。遠くにあるけれど、じっと冷静に居場所を教えてくれていたような気がする。
ジャーナリストという職業を、唯一“縁遠い”と思わせなかった人。
都会に来てまだ思春期だった頃、オトナになりたくないと思っていた頃、オトナになることもなかなか良さそうだと思わせてくれた、信じられる大人だった。それも変わらずいつもソコにいて・・・その人が旅立ったことを知った。
大好きだったスターが亡くなった時よりも、ショックである。穴が開いたような力の抜けて行く感覚。
私たちに、論じることなんてし続けることができるのだろうか。
マイノリティを恐れないで発言し続けることができるのだろうか。
医学は進んだとはいえ、まだ財産とも言えるほどの人物を救えないでいる。批判ではなく、不可能なことを可能に変えることはやはり困難なことなんだと、当たり前ながら感じる。

人が死ぬとき、要するに「身体を」失って放たれたとき、魂みたいなものや形跡を、残された人によって凝縮されて、まるで良くなかったことは全部空気中に蒸発してしまったかのように語られる。

そう言えば、5年前くらいだったかな。一度だけ、広尾の駅付近で信号待ちしていたら隣に筑紫哲也が来たことがあった。ぼうっとしていたのに、隣を漂う空気の振動が存在を気づかせた。そう、普通のおじさんであって、普通ではなかった。やはりなにか光を放っている綺麗な人だった。

綺麗な人。形のことではなく、身体を失ったときに綺麗でいられるよう、そのときが来るまで、最後まで気を抜かないで仕事(この世における)をやっていこう。今日は格別にそれを感じる。仕事(使命)を貫くことは並の力では出来ないけれど。。
さて、鉢巻きゆるんでいたので少し絞め直すとするか。

3 commentaires:

Anonyme a dit…

私の場合、緒方拳の逝去でした。
大河ドラマで秀吉を演じて以来今まで
いつみてもカッコイイ!と思っていて
死なないと思っていました。
世の中に残る事をする人はすごい。
=幸せではないでしょうけど、
それでも
人には限界がある、と
謙虚に受けとめた自分が、
大人になったんだなあ、とうれしく思いました。
racda

rie a dit…

racdaさん!
お久しぶりです。コメントありがとーぅ♪

ね、緒形拳も昔気質の芝居魂の人だったから、
とても寂しいね。
存在感が違ってた。
首を絞める役とかやるときに相手の女優は
「本当に死ぬかと思った」と、コメントを残して
いたくらい。。。(確か太地喜和子)
>=幸せ、ではないのかな、、、やっぱり。
人間ひとりひとりに与えられた時間が平等であると
すれば、やっぱり“幸せ”なのかな。。。とも
思ったりする。それはある意味選ばれた人?の
宿命のようなものなのかなぁ。。。
限界まで、互いに素敵な時間を過ごしていきましょうねー♪

rie a dit…
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