vendredi, juin 29, 2012

非暴力について  「The Lady」を観て



リュック・ベッソン監督作品「The Lady」公式サイト

幼いとき父に連れられて「ガンジー」という映画を観てから、もうどのくらいの月日が経ったのだろう。幼い頃に引っ込み思案だったわたしにはこの「暴力」「権力」というものがどんなに恐ろしいものであるのか、よくわからなかった。

時は変わって数年前、インドのバンガロールのメイン通りに「ガンジーストリート」があって、大きめのカフェに入ると、大きなガンジーの写真が額縁に飾られていて、その違和感のなさに、わたしはおどろいた。

「わたし」という殻のなかで、わたしは暴力と権力を激しく嫌っていた。
と同時に、わたしのなかにある気高さ(プライド)も、ある意味それに似た者ではないかと自分を問うたりした。

この幼い頃とインドに旅した間に、わたしは「般若心経」を覚えなければならない境遇に置かれ、それを読んだ。今でも刷り込まれているのは、疑問とともに、無になることが、どこかで暴力を排除できるものなのではないかと思っていたからだと思う。

暴力を憎む。
わたしはこの暴力について、今までの人生でとりわけ良く考える境遇にあった気がする。
それが、あっという間に過ぎていったようで、しかし昨日のことのようで、わたしの傷は新しくも古くもない。
そうやって、ずっと暴力を憎み続ける。

国家、という大きなものを背負う運命を、彼女はいつもどのように捉えているのだろう。
自分、という肉体を持った魂のことを、彼女はどう扱っているのだろう。

優しい夫、優しい息子たち、優しい家政婦たち、優しい思想家たち、彼女の周りに優しい人たちが取り囲み、心を守ってくれたからこそ、暴力と戦い抜き、孤独と向き合うことができたのではないかと考える。
身近で、優しいまなざしをおくる人が居て、その人たちに自分自身も素直に優しいまなざしで応えることができる。このことが、すべて「暴力を許さない」 という一点に向かっているような気がしてならない。

わたしはアウンサンスーチーとは全く別の人生だけれど、
わたしはわたしの大きさで、
自分自身が、そこに、身を置けるよう、これからも、わたしは闘う。
そこに自由があると信じて。

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