mardi, mars 15, 2011

「安心」できない

日々、瞬間瞬間の情報が気になる。3月11日以降の映像・・・「被災地」の被害の大きさには眼を疑うほど・・・。
ことばを失う。ことばを見つけなければならないというのに、それも見つけられず、かといってなにも行動できない、歯痒さ。
動くことができない。むやみに手を伸ばすことも、向かうこともできない。
これを「指をくわえて」というなら、全ての指は口にくわえられたままだ。

先日のチャリティー朗読会で「何もできない自分を責めることのないよう、しっかりと生きたい」と言った。自分に言ったのだった。でも、悔やまれることは常に幾つかあったりして心ごと落ち着かない。

今日は、北関東に在る実家の父が入院しました。直接の被害の無い場所。元教員、テニスやスキーが好きで、映画や油絵やことばを書くことを教えてくれた父。健康を誇りにしているような人です。ここ十年ほど、健康診断を受けたことがなく、家族で説得しても全く行こうとせず、怒るほどでした。それでも昭和一桁生まれの父です。年齢としては立派に高齢者なのです。

被害の中心にいる人たちがどのような気持ちで毎晩過ごしているかを考えると、眠っている自分が罪のような気がしてしまったり、ご飯も喉に通らないような気持ちになってしまったりします。

コメントについては、かなり慎重になりますが、いま、この瞬間も、寒くて心細い気持ちになっている人は、大勢、大勢いるのだということを心に留めておきたいと思います。
いますぐに、父のそばにさえ行けない自分を責めることなく、それでも生きて病院というところで医療を十分に受けられていることを有り難いと思い、感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います。

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