dimanche, juin 21, 2009

ひさしぶりの。(『JET POET〜returns vol.X』告知)


リーディング。
お誘いあってリーディング・ライブをします。

今回もまた新しいものを書いて持って行きます!
(リーディングの仲間であるケイコちゃんの誕生日でもあり)

よろしかったら、いらしてくださいませ。
お待ちしております。

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「JET POET〜returns vol.X 」〜即興の音楽と詩の朗読の宴〜
6月24日(水)@原宿JETROBOT

OPEN 20:00 START 20:30
Charge: 1500円+1ドリンクオーダー(500円〜)

出演
朗読:
後藤理絵

川島むー
  http://mixi.jp/show_friend.pl?id=569369

tak
  http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2516103

・ロビー
  http://mixi.jp/show_friend.pl?id=112262

・市毛友里

ZULU
  http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2861855



演奏:
・ひら (cajon, percussion)
  http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3028025

・empty garden (piano)
  http://mixi.jp/show_friend.pl?id=15287461

dimanche, mars 01, 2009

チャロー・インディア

あと少しで終わっちゃうので紹介。チャロー・インディア
チャローって“ Let's Go! "という意味らしい。
去年の暮れ頃に森美術館に観に行ったのがこれ。
インドのアートの現場が伝わってきます。
インドの風景も移り行くのでしょうけれど、これからはインドによって世界が変わっていくかもしれない予感もあったりして、インドのパワーはどこまでいくのでしょうか。。。

さてわが家では、今週末もインドのカレーが登場。Ryokoは相変わらずのマイペースさで今週もわが家がカレーだと思っていたらしく友達にカレーパーティだと伝えていたらしい。急遽お友達のAonoさんもカレーが好きということでわが家のインドカレーを召し上がってもらいました。二人ともお気に召したようで、やっぱりうちのカレーはすごいと。。。
ダー曰く、インド人の友達に買ってもらって重宝しているこの本がすごいとな。でも、やっぱりその辺のインド料理やのカレーよりうまいのだ!本っていうのは、分厚くて重くって英語で全て書いてあるので、持ち運び不自由な代物ですが、確かにどれを作ってもウマいという評判になる。ハードカバーの料理本なんて今時日本では余りお見かけしませんが、インドでは多分上流階級の方しか買わないような本なんでしょうな。。。

そろそろ、やっぱりインドに行きたいと思うのですが。
みなさん! レッツ・ゴー(チャロー)・インディア!!
インド貯金しないとね。多分もう三年前のインドとは違うのでしょうね。。。。

mercredi, février 25, 2009

ネーティ・ロタ

1月からこれをほぼ毎日やっています。最初はなんとなく面倒だったし、習慣になるまでの間は鼻の穴から鼻の穴へ左右を通すときに声を出さないと出来なかったのですが、今は違います。
教えてくれた先生が「口から出るようになるともっと気持ちいいですよ」と。。。で、二回目から出るようになって、今では難なく毎日出ます。
これ、なんでも「チャクラ」に関係しているみたいです。
身体の中にある(例えば、第三の目といわれるチャクラとか)全てのチャクラはヨガで開くことができるけれど、鼻の奥にあるチャクラというのは普通のヨガでは刺激も出来ないし開くなんて出来ないってことで、このネーティ・ロタがあるとかないとか。
詳しいことは、よくわかりませんがヨガの方法論に基づいているらしいです。
これが出来るようになってから、鼻が詰まらなくなった気がするし、花粉が飛んでいても鼻の通りが良くなったような気がします。実は私は鼻は良くない方だし、季節の変わり目にはいつもぐずぐずしています。ダストアレルギーでもありますし。。。
しかし、今年はなかなか快調ですな。
まだまだ続けて経過をみてみようと思います。

☆ベトナム郊外の市場の近くにあるサトウキビジュースをしぼっているひと。
 ジュースはビニール袋にストローが刺してあった。ベトナムでおいしいジュースはこれとドリアンジュースだったな(懐)

dimanche, février 22, 2009

にゃんにゃにゃーん(2/22)



最近のうちの猫さん。基本的に丈夫なんですが、ちょっと鼻水とくしゃみが多くなってきました。花粉症?猫アレルギー?さすがに17歳ともなると、仕方ないのかなと思いつつ、ウチの子だけは違うと思いたい。
しばらく前まで軽々と上れた場所に、去年の半から上れなくなってしまった。
先日、ダーがインドから帰って来て、早速心配したのが猫のロイのこと。
元気が無いということで、今日は近所の獣医さんのところに行ったんですが、ちょうど閉まったところで、また来週に健康診断に連れていく予定です。寒いのに、引っ張りだされたロイは、帰り道に怒っていました。
雑種なんだけどほんとは「ロイク・ロイ・デュシャン」という名前が(一応)ついていますが、実はこれ、好きなアーティストの名前と毛並みの色から付けられています。
長いこと一緒にいて、私の具合が悪いときは彼も具合が悪くなったりして、ほんとに不思議な縁で巡り会った猫。とても大切な家族です。
その後、夜にはインドカレー。ダーのカレーはほんとおいしくて、友達うちではかなりの評判です。今日は夜、仕事帰りのKayoも来て夕食。ロイも機嫌を取り戻しました。
それにしても、いつもだけど、今日のチキンバターカレーは格別で、ほんとうにほんとうおにおいしかったです♪
私は、サフランライス(シナモン&ブラックカルダモン入り)を担当。いや、カレーはかないませんからね。。。

☆これがチキンバターカレー。インドのスパイスをすり潰して作っていた力作です。

☆そして食べ方の見本はこれ!インドではこれが基本ですね♪

vendredi, février 20, 2009

「らしさ」の季節

去年はなんだかずっと霞の中を歩いていたような気がしていて、特に冬って得意ではなくてあまり行動しないはずだったのに、無茶に行動してみたり、とか。なんか調子の掴めない感じでした。
最近になって、やっと感覚がつかめてきたような気がしてる。
季節のせいもあるだろうけど、やっぱり仕事が好きなんだな。
原稿を見て、どんな“料理”をしたらおいしい本ができあがるのか。。。
そんなことを考えているのがとても好き。

びっくりな話ですが、前の会社の同僚を初日に発見!
二度の出会いってあるんだなー♪
今月からスタートして、この三週間は本のことを考えるしあわせな時間。そして続く。。。


自分を取り戻したこと。ほっとしてるところ。
まぁ、出版業界という世界を考えると、活字離れが進んでいる世の中、厳しいものではありますが、必要とされるのはとてもうれしいことです。
無理せず、またやっていこう♪
(創作もね♪)

☆2008.8 ベトナムで泊まったホテルの朝食。
この中身は肉味噌とピーナッツ添えの(細長の)ご飯。細長いご飯だから日本流に「むすぶ」ことは出来ない! しかし見た目というかこのパフォーマンスはシンプルでおいしくて二十丸でござんした♪(めざすはこの「料理」だな。)

mardi, février 17, 2009

そしてKaeraな日々。



5周年だそうで。
おめでとう。

ずーっと洋モノのロックにはまっていたのにおよそ半年前くらいからこのヒトの曲ばかり聞いてしまう。
Jポップにハマるなんて久しぶり。

かわいくてかわいくて。。。。クセになる。
本当に久しぶりに「女の子」にぞっこんだ。

あるコマーシャルでは女の子が大人になったというシーンで登場するのが彼女だけど「大人の女」という役がまた中途半端でとってもかわいい!
「かわいい」って言葉しか言ってないな。

また、歩きながら聞いて歩こう♪
ちなみに、彼女の名前は「木村=カエラ=りえ」! いぇい同じ名前♪

lundi, février 16, 2009

回転する言葉:33 1/3r.p.m.

サン・ヴァランタンの夜。
Kayoが回していた曲たちは懐かしのナンバー。
元同僚の懐かしい顔と、それより巻き戻される思い出と共に、薄暗い店内の空中に拡がる。

重いLPのバッグが駅のロッカーからお店まで、か細い腕で運び出されてかけてくれた曲は、おそらく私が行くことを予測しての選曲でもあっただろう。幸せ+LOVEの時間。

愛はココにも、いろんなところにあるんだなー。
LOVEを物語る歌詞は、嫌味無く自然に長いこと生きている。詩を書いた人から、曲を書いた人から、たくさんの人に届けられるプレゼント。

ここに辿り着く前に、Yukoと映画試写に行って、そのあと原宿のKayoの友達のMA-koのお店でばったり私の古い友人にも会い、繋がっていることに驚きながら向かった下北沢。

日をまたがって、一緒にいた時間。昼にチキンと野菜のスープがかわいい食器にセットされて出てきた後、私はまたこたつに寝転んでゆうべの続きの曲でまどろむ。そうしている午後にまた、懐かしい人が部屋に入ってきた。
Kayoは入浴中。私は電話中。彼女は慣れた様子で部屋に入ってくる。それぞれが、まるでココを待ち合わせ場所にしていたようにリラックスした合流。もう、ゆるゆるした時間をずっと味わっている感覚。

今日は、久しぶりに日本に帰ってきたダーに会った。インドはどうだったか?目覚ましく変わりゆく都市の話。私の好きなインドの友人の話。もっともっと話すつもりだったが、帰ってほっとしている様子だったので、日本の家庭の「洋食」を食べるのも駆け足だったり、久しぶりの「お風呂」が気持ちよかったりでゆったりしてるダーにあまり多くのことを聞かずにいた。(Kayoおすすめの洋菓子屋さんの)生チョコレートを紅茶と一緒につまんで、またリラックス。

昨日と今日の、Kayoの回していたターンテーブルの黒いアナログ盤の心地良さを、ずーっと思い出していた。


samedi, février 14, 2009

信頼のハート

こんなタイトル、'70のどっかの金融関係のコピーみたいだけど、このごろとても思うこと。
人と人との繋がりは「信頼」で出来ている・・・って。

心底心を許せなくて、どれだけ普段いい加減なことをしていても、ある一点で信頼が大きな仕事を成し遂げると思う。
その後に「信頼」が生まれて。その回数が重なって行くとやがて「かけがえのないもの」に変わる。
昔の仕事の世界の中で、人と人が駆け引きで関係を成り立たせているような錯覚を起こしたことがある。
諦めて、自分自身もいつの間にかそこでそうなろうと努力した。
けれど利害で関係を推し量るのはとても寂しいものだ。味気なく喉元に落とされていく観賞のない食事。身に栄養を与えることも無く排泄されていくような感覚だ。

ある時期に感じたあの感覚を忘れない。
うっかりと自分の心に「信頼」を忘れそうだった頃。
野望や目の前の仕事に足を救われてしまいそうだった。深みにハマらずにいられたのは父の一言だった。あの言葉も耳に残っている。小さい時の“かわいらしく素直な私”をやさしく語ってくれた。
今、目の前にある信頼はとてもとても大切にしたいと思っている。

そうは言っても、1つ前の日記に書いた通り、歩きながら何かをすることについては躓きが多くて“忘れて”ぼーっと歩いてしまうことがあるんだよね。だから何かと「は?」と思われることもあると思う。私を良く知っていてくれる友人は「あーぁ、またやったのね」って思って許してくれるだろうけど、大抵はそうはいかないものだ。
でも、それこそが「信頼」なんだね。
やさしい友人たちにいつも感謝しています。

愛してますっ!
はーーぴぃばれんたいんっ!

vendredi, février 06, 2009

歩きながら考える

いつもいつも自分に不器用さを感じる。
例えば、歩きながら考えると、歩き慣れたところなのに途中で「するべきこと」を忘れる。
あれほど郵便局に寄らなきゃっておもっていたのに、家を出て別の考えにとらわれると忘れてしまう。

歩きながら考えること。
考えながらも歩くこと。
これは私の生き方にも通じるような気がする。

比較的、昔よりはマシになったような、けれど未だに同じことをしているような。。。
どうしたらもっと上手にこなせる日がくるのだろうか。

信じたくて仲良くしたいと思った人から否定めいた言葉を言われたショックで、一瞬立ち止まって、考えることも歩くこともちょっと難しくなってしまった。
そういうことって、すっかり大人になっていたはずだったのに、案外ウマくこなせないんだなって感じた。

でもそれでも私はやっぱり生きてるし、その世界から離れようなんて思ってはいない。
誰もが同じ職業でなくても、同じものを好きでなくても、面白いじゃないかって思える。

時には、抵抗しながら、歩きながら考える。
時には、向かいから来る車を避けながら、歩きながら、また考える。

明日も、元気で仕事は楽しい、はず!


☆2008/08 ベトナムの市場で見た光景

dimanche, décembre 21, 2008

温かいプレゼント


土曜日午後一番、金曜遅い時間まで仕事で会えなかったKayoと、一緒に久々のヨガ教室へ。
今週、伸びたり縮んだりを繰り返した心は少し回復したような、そんな“心地の良い”午後。

ヨガ教室の裏道に並ぶ店たちは昼は静かだけど、夜になると活気がありそうで、Kayoは「この辺に住みたい」なんて言ってたな。。。わかる。。
すっかり忘れてたけど、荻窪でバイトもしたこともあったっけ。ルミネで、Marks&webのハンドメイドソープとソープディッシュをKayoに勧めてもらった石けん。香も価格も気に入って即購入。これから行く友人Ryokoのお土産と自分用に2つずつ購入した。


その後、ゆるい感じのケーキと紅茶で眠くなりながら、ゆうべの電話の続きみたいな話をする。バスターミナルでバスがゆっくりぐるぐるしているのが余計に眠さを誘う。
Kayoは阿佐ヶ谷へ、私は吉祥寺へ。それぞれの友人に会うために解散。

吉祥寺から、井の頭線(久々に乗る経路)で、もうかれこれ18年の付き合いのRyokoの新居へ。
私にとっては懐かしい中央線の小旅行・・・と思ったが、あっという間に着いた。
Ryokoの部屋があまりにも温かくて、嬉しくなる。彼女は元々明るい人だけれど、さらに若返っていたから、本当に安堵した。
到着したら、昼間、私のために農家から買ったというもりもりとした野菜と“鶏肉屋”で買ったという鶏肉の鍋を作ってくれてさらに温かくて、おいしくて、うれし涙を流しそうだった。
食べた後、引っ越しでまぎれていた私への遅い誕生日プレゼントをくれた。
「さくらんぼ」のキーホルダー。“私っぽい”からってことだったけど、彼女のセレクトらしいなって、私は思っていた(だから余計に嬉しかったんだけどれども)。その、ぎこちない包装は、フランス人のおじさんが30分かけてリボンを付けたんだと言うエピソードも、光景が目の前に浮かんできて、それが映画を見た時の感覚のように私に自然に入ってきた。




しあわせもの。
私はいつも心を溶かしてくれる友人の言葉や、小さなエピソードにいつもいつも救われている気がする。
やさしい気持ちになれる様々なこと、もの、ことば。さり気ない日常の中に、やっぱりしあわせってあるんだなって実感した週末。先週の首の後ろの冷たさが少しずつ解凍されていくみたいに。

jeudi, décembre 18, 2008

枯れた呼吸

また、冬が胸に入ってくる

肺のなかできらきらの結晶になるならいいのに
凍って貼付いて伸縮を妨げられて
冬に牛耳られた私の左右の肺

この、
胸の騒ぎはカラスの羽根で擦れた血管のせい

この、
酸素を探す舌は器官の中で最も敏感な触手だった

舌を失い
言葉を失い
羽根をもがれた

みっともないカラスになっても
私は息をしている

生を啄んでいることを
開き直ったかのように
道を縦横する人に
見せつけるプライドだけを持って

暗闇で、煙草に火をつける人
彼の側でその煙を失敬した
息が闇を灰色にする
食べ物も喉を通らないのに煙だけは盗む

懐かしい声がして名前を呼ばれた気がした
もう随分聞いていない声なのに
なぜそれが「懐かしい」とわかるものなのか
私はたいして確かめもせず無防備になる

呼吸は、静かに森を湿らせた
森は、私を湿らせた
ようやく、身体を森の奥で休めることが出来るんだ
安心できたと同時に、私はカラスであることを忘れ
また無駄に遠吠えする
もっと、もっと、と、呼吸をし続ける

mardi, décembre 16, 2008

Mimi/Kami

「髪を切った」
と、右側にいる彼女は
鼻先を通り抜ける風のように云う
「髪を洗うとぜんぶ忘れる」
と、左に座った彼女は
凛とした瞳で明日を見て云う

左右の耳に刻まれた週末の合い言葉

片耳にしかない2つの小さな穴に
フランスから到着したばかりの彼女から渡された
2つの紫の花のピアスを刺してみた
重なりあって揺れて
銀の泡が弾けた優しい音がチリリとする

生え際を刺激する風の神の手先によって
愛を育てる彼女たちの地肌から生まれる温かな調べ
調和をこの耳で確かめながら、愛の詩を書こう
皮膚の向こうからは、透明な光に包まれた美しい男が
ゆっくりと近づいて新しい言葉を届けてくれたから

「夢の男は、吐息まじりに心音を耳に響かせて何度も名前を呼んでくれる。そうして静かに内側から皮膚をつつくのです。私はその信号を髪の先で受信し、愛にならないように気をつけながら、皮膚の中で彼を泳がせたいのです。嬉しく、こそばゆく、仮想の幸せの中で、ふたりで遊んでいるのです」

こんな夢を甘噛みして
私はまた彼女たちとおしゃべりする
髪の奥と耳の奥を磨いている
草原の花に囲まれた2つの日のちょうど境目
嬉しく、こそばゆく、うつつの幸せの中で
互いに花冠に友情を編み込みながら

mardi, novembre 25, 2008

ペルセポリス★★★★☆



完全に平和ぼけだということに気づかされる。
子供時代から青春期にかけての私たちは、政治で汚職事件があろうとも“痛くも痒くも”なかった。
親が「明日、死ぬかもしれない」なんて恐怖を持って子供を見つめていたとも思えない。
恐怖なんて、小さい頃に味わった記憶もない。子供時代の私の恐怖のレベルとして思いつくのは“虫”とか“おばけ”くらいのもんだった。食べるものも豊富だったし、何か食べたいとか言ってると、おばあちゃんの手作りお菓子(炭酸まんじゅうとか)なんかが出てきたり、それ(炭酸まんじゅうのことだけど)を前に“なつかしい”なんて言ってる母と一緒に(戦争の話が出ても)“そうなんだー、ふーん”なんて言ってその悲惨さなんて知らずにもさもさ食べてた。その炭酸まんじゅうのありがたみさえも大して感じず、外では売ってないなーこれーなんてぼんやり思いながら。ただ、ほくほくとしてる祖母と母と娘の温かな思い出だけだ。(多分、祖母と母は違う気持ちでいたとおもうけど)

戦争に対する意識は、国によって、文化によって、その職業や社会的な立場(階級も含む)によっても異なることは明らかだ。(彼女=主人公のマルジャンは中流以上の生活レベルの家庭の子だったから海外に行くんだが、イランに戻って“幼なじみ”に会ったとき、“ヨーロッパにいるイラン人(自分)”の悲惨さより、“国内にいたイラン人(父母や友人達)”はどれだけの恐怖を味わっていたのかを知ることになる)
そしてそれは、いかなる場合であっても良いものを生み出してはいないということも明らかである。

原作である漫画本は、漫画にして珍しいハードカバーの2冊。テーマ同様とても“重い”。
子供のあっけらかんとした視点とイラン人の思春期の(ちょっと変わりもので裕福な家庭の)女の子が、見聞きしてきたものを率直に描いているのが興味深い。悲劇のヒロインにならずに、そのマルジのキャラクターそのものがまっすぐであるが故に伝わってくるメッセージ。アニメなのに、しっかりと伝わってくる。何かをしなければ!と思いながら何も出来ないのがもどかしい。そんな感情をアニメを見ながら抱いたことは今まで一度もなかったと思う。

lundi, novembre 24, 2008

スピード・レーサー★★★☆☆

まだDVD発売されたばかりの「スピード・レーサー」。とってもキュートな映画でした。
映画館で観たいとおもってたのに、いつのまにか終わってしまっていて残念に思ってたので発売を待っておりました!

この原作は子供時代に大変お世話になった“タツノコプロ”から、私の時代よりさらに古い時代の名作『マッハGO GO GO!』のアニメです。今みると、色とか線の太さとか、かなりおしゃれなマンガではないかと思う。



映画はその持ち味をそのまま活かそうと実写にしてるので、文句無しでキレイ! 
独特のサイケさとCGをウマく演出していて観ていて爽快だ。 もちろん「ネオ」なんだけど、このネオ加減はイイと思う。『ははは〜ん!さすが“マトリックス”♪』と叫びたくなるほどの監督らのアクション魂こもった作品だ!
ジェットコースターに乗ってる勢いで酔います。そ、遊園地に行ったつもりで観てください。

おまけコメントだけど、レーサーXがクール! 最初は絶対に人前でマスクをとらないんだけど、主人公スピード(※変な名前だよねータイトルがそのまま名前ですから。。。)の目の前で初めてマスクをとる。するととたんに顔が「甘く」てイイ! その落差、キャスティングの勝利!
ストーリーそのものはもちろん“マンガ”らしいので、かるーい気持ちで「楽しく」「気持ちよく」なれることは間違いない。
こういう映画には「映画批評」の介入は必要ないね。子供も大人も楽しめる。男の子はもちろん女の子も楽しめるんだな。

口笛と自転車とホットチョコレート


この連休は天気が良いですねー♪
長引いていた「咳」もほとんど無くなってきて復活(カラオケとか行ける)の兆し!
ちょっと塞いでいた事情もあったため、ダーが今日はサイクリングに誘ってくれた。
ほんとは気分はうちにこもっていたのだけれど、出かけて良かったです。

ゴディバのホットショコラはおいしくて、しあわせの味だった。
帰りに買ったムーミンカフェのバケットは小麦と塩のちゃんとした味だった。

久しぶりに、楽しいゆうべ。
ダーが作ってくれたシンプルな唐揚げとほかほかのご飯が異常においしくて、なつかしかった。
涙が出そうだった。
なんだ、私、しあわせぢゃん、とか思ったりして。

mardi, novembre 18, 2008

ブエノスアイレスの夜★★★☆☆

苦みの効いた映画が観たければこの映画も良いと思う。
先日、アルゼンチンの旅人が家に泊まっていたということもあって、アルゼンチン関連の映画を探していたらたまたまこの映画にぶつかった。「ブエノスアイレスの夜」

トラウマになるような体験を持つ人もいるだろう。
この物語の主人公の名はカルメン。彼女はアルゼンチンの歴史の影に隠された被害を負う者。心と身体の傷みを封印して生きた20年とは一体どんなものだったのだろうか。セシリア・ロス演じるカルメン。彼女は私の好きな女優の一人だ。スペイン(&南米版)のジャンヌ・モロー的存在だと勝手に思っている。
歴史は大勢の人の運命を左右するだろうけれど、彼女は拷問を受けたことで女として成熟しなければならない段階でセックスと無縁な女性となってしまった。不幸なのか、幸いなのか、身ごもったまま監獄に。
性に対しての屈折した克服と処理。彼女なりの努力とアイデアで生まれたのが扉越しのセックス。
この描写は非常に面白かった。売春“夫”として登場するのは(またしても)ガエル・ガルシア・ベルナル扮するグスタボ。彼もまた中途半端な今時の青年。それがこの彼女との出会いによって、思いがけなく変わる。
二人は、急変し「扉越し」に恋をする。そこまではとても面白い。
その後、とても悲しい二人になってしまう話。

偶然にも、帰りたくない故郷に戻る姉のカルメンとその妹との関係。危篤の父との関係。母との関係。その3人の関係と姉との距離。描き方はとても納得のいくものだった。妹はカルメンの幸せな姿を最後に、(父母に拷問のことを聞かされていたかどうかはわからないが)なぜ故郷に帰らないのかを探りたかった。嫉妬するほど美しかったに違いない。いつまでも故郷から離れられない自分のことを姉のせいにしていたのだろうというところも後からわかった。
その妹と医者との関係も不思議なものだった(一番理解し難いところ)。
人物の描き方がとてもうまかった。

最後に向かうストーリーは残酷な愛の物語。真実を知った若者が、どう行動するのか、どのような心の変化があるのか。手に取るようにわかった。彼は普通の若者だったに違いない。決して特殊な人物ではなかった。

人間の影は運命を大きく左右する瞬間がある。人にその影響をもたらす発言もある。
グスタボもまた、悲しいトラウマを抱えて人生を乗り越えなければならない。彼に重くのしかかる罪。
抗争の中の暗い監獄でのリンチを受けたカルメン。その人生のそれからと、彼女を取り巻く、家族や全てが某かの影響を受けていた。結局、人が人を裁くことの、抗争の、戦争の爪あとは、深く重く、そして細く長くも残ってしまうということを感じた。

dimanche, novembre 16, 2008

おくりびと★★★☆☆



納棺夫日記を本木雅弘が読んで、いまでは漫画化までされているらしいのですが、全くそんな情報を知らず、昨日の昼過ぎに友人Yと観に映画館に足を運ぶ。

感想。面白かった。・・・だけではあまりに素っ気ないか・・・。
いや、チケットを下さった義弟に感謝!(ほんとはその兄である夫と行きなさいという2枚のチケットでしたが)
一言で言って、映画館に観に行っても(日本の映画にしては)良い映画であると思う。びっくりしたのは、満席で次の回を待って観ることになってしまったということ。(それくらい満員御礼でしたよ!亘くん、すごい!)

それはそうと、本編について。
山崎努はとても良いです。あーゆー納棺夫なら説得力がある!と思った。田舎町で、小さな社会の中で、あのような仕事をやっていくのは近所の人の目から見れば「人の死でまんま食ってる」と言われることも然り、それを承知で、ある程度のあきらめや通過点を幾つもくぐってきた人らしい風采は彼にしかできなかったのではないかと思う。
本木雅弘もすごくイイ。まだ結婚して間もなく、どこに身を置き生涯の仕事をしていくのかを迷っている青年。彼の見るからに真面目な風貌がぴったりの役回りである。のち、天職と思えるほどに化けるその様も真面目で美しい青年だからこそ、死の場面を神聖に彩る技のように見えてきた。まるで「神の使い」のようでした。
他に、余貴美子も良かった!設定にもキャラクターも彼女の作り出した世界を感じた。 
けど、キャスティングにひとつだけ文句がある。H末R子。あの人、今もあれを演技と思っているのだろうか?あのなんとも言えないアイドルの笑顔や作った憂い顔をやめて欲しい。その瞬間を見せられただけで映画が三流に思えてくる・・・(悲)。
でも、きっと製作する側の男達の心をくすぐっているには違いない。ううぅ(泣)。。。それがなおさら悲しくなる。
あぁ、切ないなぁ。日本の映画は“カワイイ”女優がすっかり主流になってしまっている。女優はかっこよくあって欲しいと切に願います!
昔の女優のほうがよっぽどかっこいいのだ。(例えば、原節子とか岸恵子とか、あんな顔は作らなかったと思う!)
日本の映画を語ると、こんなことをつい言いたくなるので、そしてとても熱くなってしまうので、この辺で。
H末ファンの人、まことにすみません。TVやCMではもちろんかわいいので良いんですが、やっぱりフィルム向きではないと思うんです。
ま、しかたないか。。。

さまざまな職業があり、さまざまな現場がある。
昔、ご飯がやっと食べられるくらいの、夢を追っていた時の自分の姿が主役に重ねられた。
いろいろなバイトをやった。いろいろな「役」を演じた。(長くやっていたらもっとたくさんの役をやっていたかもしれない)
その間に、葬儀屋さんのバイトをしたこともあった。この経験は、バイトといえどもとても良い経験をしたと思っていた。
それを裏付けるような映画であったことは確かだ。
職業によって、外側の人間に差別され、偏見を持たれるということもあるだろう。
でもそれは、決して内側から観た判断ではなく、そして責任のある判断でもない。
どんな仕事をしていても、自分を見失わないということ、それに向かう姿勢が確かであることのほうが大事だということをこの映画は伝えようとしている。

dimanche, novembre 09, 2008

バッド・エデュケーション★★★★☆


ペドロ作品の中では、★4つ。というのは、完全に好みって点での判断です。「女性」が登場しない。。。というのが理由の1つ。この監督の作品の中でかっこいい女だったりかわいい女だったりという存在が何かエロティックなものを提供してくれるというのが常であるが、今回はそれを男性に演らせている。
さっき、ノンフィクションと書いて、いまうちのひとに「ちがうよ」といわれたので書き直すけど。フィクションと思って借りた映画(DVD)だったんだけど、見終わった後にまるでノンフィクションのように描かれていたので、すっかりだまされてしまった。それも彼ならではなんだろうなぁ。しかも自虐的だ(笑)♪
例によって、ストーリーも伏せてただ観た感想だけを記し、好きな監督、好きな役者、だからといって評価を高くしたのではないということは断っておきます。

見所は、ガエルが3役(2役)やるというところ。中でも“サハラ”の役。楽しそうに演じているのも良いし、彼は反面「ダサイ」「田舎臭い」ところを持っているというのが素敵な役者だ。顔も表情もイイ役者だが、演技の種類もとても潔くて(ラテン系らしく判り易く、それでいて大雑把ではないところなど)とても好きだ。彼の持ち味が活かされている映画だと思う。

監督の狙い所がまた憎い。
彼は人間の心の弱さを描くのを得意としているが、それが(ラテンの人らしく)とても判りやすくて嬉しくなる。
悲しいけれど、それは宿命ともいえるような“あきらめ”にも似た昇華されたもので、自分自身をさばいている神様を常に思わせる。
こんな状況の中で、人はどう判断し行動すべきなのか?
こんなに辛い状況ならやむを得ないのかどうか?
という自問に、勝てる自分を持っているか、イメージできるかどうか?
などを試されているような。
映画監督という使命を通して、これから観客に何を提示すべきかを良く判っている仕事人だと思った。

samedi, novembre 08, 2008

多事争論の偉業

筑紫哲也の多事争論はもう更新されないのだろうか。
この人の偉業はあらゆる分野に及んでいるため、私なんかが語ることなどなにもないのだけれど、しばらく感じないほどのショックを受けたため、私事としてメモしておく。

彼は死なないと、すっかり信じていた。
私にとって、社会の灯台のような人。遠くにあるけれど、じっと冷静に居場所を教えてくれていたような気がする。
ジャーナリストという職業を、唯一“縁遠い”と思わせなかった人。
都会に来てまだ思春期だった頃、オトナになりたくないと思っていた頃、オトナになることもなかなか良さそうだと思わせてくれた、信じられる大人だった。それも変わらずいつもソコにいて・・・その人が旅立ったことを知った。
大好きだったスターが亡くなった時よりも、ショックである。穴が開いたような力の抜けて行く感覚。
私たちに、論じることなんてし続けることができるのだろうか。
マイノリティを恐れないで発言し続けることができるのだろうか。
医学は進んだとはいえ、まだ財産とも言えるほどの人物を救えないでいる。批判ではなく、不可能なことを可能に変えることはやはり困難なことなんだと、当たり前ながら感じる。

人が死ぬとき、要するに「身体を」失って放たれたとき、魂みたいなものや形跡を、残された人によって凝縮されて、まるで良くなかったことは全部空気中に蒸発してしまったかのように語られる。

そう言えば、5年前くらいだったかな。一度だけ、広尾の駅付近で信号待ちしていたら隣に筑紫哲也が来たことがあった。ぼうっとしていたのに、隣を漂う空気の振動が存在を気づかせた。そう、普通のおじさんであって、普通ではなかった。やはりなにか光を放っている綺麗な人だった。

綺麗な人。形のことではなく、身体を失ったときに綺麗でいられるよう、そのときが来るまで、最後まで気を抜かないで仕事(この世における)をやっていこう。今日は格別にそれを感じる。仕事(使命)を貫くことは並の力では出来ないけれど。。
さて、鉢巻きゆるんでいたので少し絞め直すとするか。

vendredi, octobre 17, 2008

SAYONARA/トウキョウデイズ


「ラ・マレア横浜 ペンソッティ演出の路上展開パフォーマンス at 中区吉田町」の様子


3週間ほど前から、家にアルゼンチン人がいる。
アムステルダムの住人で、日本に留学(?)中。


縁ってふしぎなのね。

アムステルダムのダンスフェスティバルでダーの公演を見に来ていたらしい。
その2ヶ月後に再会。うちに住んでいる。
お茶の水女子大はここから自転車で15分。彼はそこに通う。
そして今日が本番の日。
パブロ・フォンデヴィラ/New Dance Creation 'Japon' お茶の水女子大学モダンダンス部とのコラボレーション

明日は、アーキタンツの講師。
パブロ フォンテヴィラ/コンテンポラリーダンス

この3週間はほんとうに愉しかった。
そして学ぶことが多かったように思う。
例えば、彼は典型的なラテン人。(差別抜きの話だが、私はラテン系の人の方が気が楽だ♪)
家族をとても大切にする。

今まで、インド人、ドイツ(スウェーデン在住)人、などがステイしたことがあったけど、一番楽だった。
以前は面識のある人だったけど、今回は会ったことの無い人。フランス語も、英語も中途半端すぎる私にとって、最初から知らない人は大変だった。
けれど、コミュニケーションってことばじゃないんだよね。何とかなるもんだ。。。
フランス語も少し彼は知っていたし。

神楽坂を案内したり、一緒にお料理(アルゼンチン料理とか)したり、十二社温泉行った帰りに土方専門店に行ってニッカボッカを買うのにつきあったり、横浜にパフォーマンス観に行った帰りにプリクラをみんなで撮ったり、流鏑馬を観に行ったり、DVDを観たり、初カラオケにみんなで行ったり、タンゴの話をしたり、スペイン語と日本語の話をしたり、髪を切ってあげたり。。。たくさんの思い出ができた(明日は初メイドカフェの予定)。




いつまにか、すっかり「弟」のように居座った彼が、明後日には離れるとなると少し寂しい。
いつもシャイなロイもすっかり慣れていたのに。