mardi, mars 12, 2013

「またね。」(2013/3/13加筆)

この言葉はとても切ない。


ある時期に少し遠くに旅をしていたときのことを思い出した。

その旅先であった人たちと「またね」と言い合った。
しかし、いまだにあっていない人が何人も・・・いる。

2006年に出版した「ア・ビアント じゃ、またね。」という詩集から7年の月日が経とうとしている。
そもそも、そんな思いを7年前の詩集を制作しているときに収めたいとこんな書名にしたのだった。

詩集に対しての恥ずかしさより、今はもう、随分と違う場所にいるような気がしてくる。
それよりも「またね」という言葉は月日を経、大きな出来事が起きてしまってからというもの、さらに意味の深さや重さをともなうものとなった。

あの朝、いつもと変わらない顔で声をかけあって・・・家族や友人たちは互いに「おはよう」「いってきまーす」などと交して・・・大体の人が、“すぐにまたあえる”だろう、と、他愛の無い会話をしていたのではないかと想像する。

・・・3月が来るのが恐ろしくてならなかった。
12月は新しい年が目のまえだというのに、忙しさと寒さと、恐怖に震えていた。
もっと震えている人がいることを想像すると、自分を責めて、消えてしまいたくもなった(もちろんそんなことはしない)。

2012年夏の終わりに、山口県宇部市の“草の実少年少女合唱団”が、(わたしが8年前に作詞した)「光の花束」という曲を天使のような声で初めて公開された合唱を聴かせてもらった。
心が洗われたと同時に、まるでわたしがずっと以前に書いたものとは思えない、今こそみんなに歌ってほしい歌詞だったんだなあと、自分でも驚いてしまった。客観的に聴けたことがうれしかった。
誰かに届いたらいいのに・・・透明な声の美しさにハッとに気づかされたような感覚だった。

だからそのとき、わたしは自分に対して(心のなかで)いくつかの“小さな約束”をした。
“つぎという機会がいつでも訪れるわけではない”のだということも・・・。
なんだか目に見えない啓示みたいなものが漠然と目の前に現れたようだった。

その後、2012年の後半は新しい挑戦をさせていただいたように思う。
Regina〈砂猫女王〉としてラップビートにのっての曲作りもそのうちの一つだった。
「詩人の聲」での肉声1時間の舞台もその一つだった。
そして前々から好きだったライブハウスに立ったり、他ジャンルの人やヒップホップの方々と交じってパフォーマンスしたりという機会に恵まれた。

そうやって髪がなびくような緩やかな風がやってきて、わたしはそれを髪の乱れないように風の拭いてくる方に顔をまっすぐに向けながら立って、柔らかな向かい風に向かって歩いくようにしていた。
けれど風は一定には吹かない。ときにどんな風がやってくるのかわからない。
日常では辛酸と苦味を交互に味わうことも多かった。
2012年の後半、外からのギャップと内側に巻き起こることの差に悩まされた(苦笑)。

そうしながらも、わたしは自分で風を起こしたいとうずうずしていたのかもしれない。
2013年の鐘の鳴るまえに、話は一つやってきて、その流れでもう一つを自ら好きな場所にコンタクトをとって日程を決めた。
それが「ヒポクラテスの純情」「ZOZO-ism」。
ロックな魂が叫ぼうとしているその寸前の空気が好きだ。
叫んでしまったあとではなかなかその気持悪さを思い出せないものだ。

二つの場所は、「わたし」が生まれた場所と中継地であった。
まずはここから・・・そんな気持ちだ。

すぐに声をかけたいと思った人がいた。
今回はイシダユーリ、ぬくみりゑ、青木研治だった。 ※敬称略

特に女流詩人を意識した。
わたしからはこう見えていた二人。女性であって自分のなかの「女性性」と激しくそして時間をかけて闘っている美しい人。好みの「発声」で、好みの「言葉の繋ぎ」を展開している人。
イシダユーリの小さな爆発を重ね、交差させて行く、その爆発のテンポに心地よさを覚えていく。しっかりした発語と音程の良さ。最初のイベントのトップバッターをお願いした。
ぬくみりゑの透明感と微妙なイントネーションの違和感でもたらす世界は彼女にしか出せない。書いているテキストの重さと声が同じ温度で“ゆらぎ”を発生している。このゆらぎもまた、夜の帳が降りる頃に読んでもらいたいとお願いした。

青木研治は、以前ある人と出会ったときに一番最初に聞いた名前だった。
わたしにとっては“得たいの知れない”怪人のようでありながら、不思議と親しみを覚える人。
それでもまだ得たいの知れなさをずっと感じさせてくれて、どのパフォーマンスを観ても身近なテーマなのになぜか遠くに見えてしまうのだった。その不思議な浮世離れした人をお家呼んだら何をしてくれるのだろう。電話で話したとき、やっぱりこの人にお願いして良かったと後から思うことになったのだが・・・(笑)。

サプライズだったのは今村知晃。
(声を掛けたかった人のうちのひとりだったのだけれど、まさかご夫婦で?ということでわたしが野暮になるのでやめていたところ・・・数日前に連絡が入ったのだった。
とってもとっても驚いたし、すごく嬉しかった。)
それと、ちょこっとレポすると二人の掛け合いは最高だった。揮発性の毒物みたいだった(笑)!

わたしは自分のブログでは身近なところで「詩」を書いている方への感想をあまり書かない。
それを書くことによって、誤解を招くことを恐れているのかもしれない。
本人に“直接”伝えたほうがいいと思っているからかもしれない。
そしてなによりも、本人に届く言葉のほうが“リスペクト”になるとも思っている。
(リポートはYoutubeとともに多少記載すると思いますがw)

二つのイベントでは詩以外の要素が必要不可欠だった。
言葉は音楽である。
そこも、わたしが思い続けているところだ。

胎動というジャンルレスのイベントでkajaを見た。魅せられた。
言葉と音を同時に奏でる楽器(Human Beat Box)そのものだった。彼に一目惚れした。
こんな人を言葉の人のあいだに突っ込んでみたい!そう思った。

マサキオンザマイクと曲作りをしてのライブで再会したFizzは、二年前とは全く違う顔を魅せた。
制作したばかりのアルバム“血ノ出ナイボクシング”で圧倒的なポエトリーラップを炸裂させている。

栃木県足利市という町はわたしの家族が出会った場所だ。
(なぜなら家族全員別の土地からやってきて“足利”にたどりついたから)
レペゼン足利。
足利出身であることを誇らしい気持ちにさせてくれるかっこいい弾き語りユニットを呼んだ。
ライブの回数が尋常じゃないから成長も目覚ましい。追いつけないほどに。。
てあしくちびる。ギター&ボーカルの河内伴理とヴァイオリン&ボーカルの土谷多佳子。

追記だが、故郷栃木県も甚大でなかったとはいえ、いまだに震災・震災後の被害のある場所であって、それを少しでも支援していきたい気持ちがある。大きなことは何も出来ないが、僅かなことを永く、し続けていけたらと思っている。

ファンタスタスとホセ&トンチャイというユニット、またソロでも活躍する尾林星。
飄々としたキャラクターと色香漂う唄い方。それらをミックスして弾き語りをする人。
全く知らなかったのだが、たまたまこのイベントの前の週が“ファンタスタス活動休止”のラストライブだった。

それから何よりもこの空間の個性あるパフォーマーの間に、さりげない粘着力でもって繋ぎとめてくれた二人。DJ春井(環二)と低い跳び箱ならとべる(福原冠)だ。

春井環二はすでに活躍している脚本家であり、彼はポエトリーに深く関っている人物。
言葉と音の間を行ったり来たりしている旅人だ。この人にまず最初のイベントをお願いした。
「ヒポクラテスの純情」ではダイナミックな音楽を原宿から高田馬場に移動したライブカフェ・JETROBOTに響かせてもらった。

福原冠は、今活躍する若手の人気劇団(ロロ、範宙遊泳など)で客演する俳優であり、ビルヂングなどでダンサーとしても活躍している人物。リエゾンという部屋のような場所をさらに居心地の良い空間へと誘ってくれた。彼にオファーする少し前、じつは4月の彼の主催での出演依頼を受けていた。公演中の“悪い芝居”大阪、新潟、東京の丁度境目の貴重な時間をZOZOにくれた。


今回のこの二ヶ月に渡る旅に、ご協力(ご出演、ご来場、宿を提供して)くださった方々に
深く、深く感謝しております。

すてきな時間をいっしょにつくってくれたこと、
ほんとにほんとに、ほんとーうに、うれしかった!!


また、ふいに(思いついたとき)
どなたかにお声がけすると思います。



またね。






=====つぎは渋谷です============
またすてきな人たちと一緒に立ちます!遊びに来てねっ
SLIDER SLIDER vol.1

「SLIDER SLIDER vol.1」
2013年3月18日(月)
渋谷 ラストワルツ
開場18:30 開演19:00
全席自由 ご予約 ¥2,000 当日¥2,500(税込み ドリンク別)

【出演】
後藤理絵
analog set
スズキリウイチ
南場朝海
半バナナ(ミックスナッツハウス)

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