お芝居を見に行きました。古くから、互いの甘えに本気で叱って、本当の悲しみを分かち合うことの出来る人。
彼女の名前は滝沢涼子。最近はヨリモのCMなどでタレントマネージャー遍に出演していて、顔を見ればすぐにわかる人もいるだろう。
私たちは姉妹のようで、戦友のようでもあった。言いたい事を言い合い、映画や俳優としての討論をし、悔し涙さえ分かち合った。
某養成所では、講師が私たちをライバル視させようと、別々に呼び出し競争させた。その意味も今では良くわかる。以来、講師の策略とは裏腹に仲良くなってしまったのだった。強く、優しい女優になって、いつも応援している人だ。
遠くから、声がする。
間違えたことをしそうになると、あの、悔しくて、苦い涙を思い出す。悔しいのは、自分ではどうにも出来ない大きなものと闘えるほどの力が無いからだった。つい最近まで、目の前にあった気がするその大きな、もの。しかし、今はどうでも良くなった。大きなものと闘わなくても良くなった。彼女も、同じだろうか。もしかしたら、今もそのような事があるのだろうか。彼女の顔にうっすらと感じる影にこっそりと、心配をする。
明日、大学時代の友人に会う。彼女は大阪にいる。今回は帰省で横浜に。彼女はモデルだった。とても背が高く、内面とともに美しい。会えることが、なかなか出来ないけれど、それでもいつも心配をしてくれている姉のような存在。彼女は、強くさらに優しい二児の母親になっている。
今月中に、小さな会食を約束をしている古くからの友人。彼女は、去年のクリスマスに結婚式をカナダで挙げた。カナダに実家のある旦那さん。要するに、いつか、近くにいなくなってしまう可能性が高い、彼女。フランス語を、さらに好きになれたきっかけをくれた人。
素敵な笑顔の可愛い異星人。
出会いは、出会いを呼んで、私は沢山の友人に囲まれていて、それを幸せに感じ、たくさんの素敵な人たちを自慢したい気持ちになっている。
今年は、自分の今までと向き合うという大きなきっかけをくれた人にも出会えた。そして今までに無い経験が出来た(本のことだけど)。
出会った時のことを忘れずに、いつも大切にできるように。
そして だからこそ、自分も大切にできるように。
dimanche, juillet 30, 2006
mercredi, juillet 26, 2006
Vivre sa vie それが、人生
ジャン・リュック・ゴダールの映画は、高校生の頃に出会った。
私にとって彼は監督のなかでも別格で、お洒落だとかそういった事とは無縁の、どちらかというと無茶苦茶な衝撃を残した。
小学生の頃から映画には慣らされて(父の影響で)いたこともあり、アンジェイ・ワイダにハマった事もある。「灰とダイヤモンド」ポーランドの歴史の、戦争の影にこんな友情と愛、そして人の生き様、死に方があったのかと。しかし、成長とともに戦争を描いた物語には一種の苦手意識が混在してきて、以降は好んで見ようとしなかった。一方、ゴダールは、いつでも見られた。いまでも、あきもせず何回も見ている。その度ごとに、その愉しみが変わる。興味は、少ない男女の会話だったり、そのとんでもない長回しの空間と間。逆にテンポの良い会話で相手に言葉のシャワーを。。会話の無意味さも味わえる。

自分の将来のことを夢見続ける日々は続く。
一時は、映画に関わる「仕事」しか考えていなかった。
同じ頃、もちろん読書にも夢中になった。そんななかでの衝撃は、中原中也の詩集(古い母の書棚から)と、学校の図書館で次々に借りたのが向田邦子の脚本シリーズ。(向田邦子に一種の憧れを抱きつつ脚本家になることを真剣に考えていた矢先に彼女は飛行機事故で亡くなってしまって、新作が読めない事を日本中のファンの人はなんと嘆いた事だろう。。その、一人が中学生の私だった。作家は飛行機事故なんかで死ぬはずが無いと思い込んでいた。)
詩の、簡潔な言葉の描く情景は、さまざまな想像、頭の中だけの情景。
すごいスピードで駆け抜けていくくせに、後から断片的にモザイクを残す。
好きな世界だった。その世界に浸っているのが好きだった。絵にも、唄にも変わるのだから。
シナリオは、人の人生を想像するための言葉を探していく作業。大学時代にこっそりシナリオセンターに通っていた。苦労しながら愉しい日々を過ごしていた。のちの、演技をすることにとても役立っていたように思う。単に「想像する」、「創造する」を楽しく感じていただけなのかもしれない。そして、興味を寄せていたほとんどが映像とそこに飛び交う言葉だったように思う。


ゴダールの最も好きな映画は「女は女である」、「アルファヴィル」。(この2本はゴダール食わず嫌いの人にもぜひおすすめしたい。)それから、「女と男のいる舗道(原題:Vivre sa vie )」。それぞれに、アンナ・カリーナが登場する。
今回の詩集「ア・ビアント じゃ、またね。」の第一番目の詩は、彼女に捧げたオマージュです。(一度、夕張映画祭で彼女に出会ったことがあるがそのときは一生に一度しか無いだろうと、片言のフランス語を懸命に話した。)彼女は、映画から想像もできないほど歳を重ねていたが、その姿は凛とクールに輝いていた。詩の最後の一節「・・落ちていくAnna」というのは、Annaが落ちていくのではない。むしろ、Annaに、落ちていく。か、または最後はつい放った彼女への呼びかけ。そして、それを知ってか、知らずか、担当の編集者はリリースの一言を【「女と男のいる舗道」を見ているような・・・】などと記載していた。彼の子は、なんと私と同じ誕生日のほぼ同じ時間に、この世に誕生してしまったし、この映画のタイトルを出してくるということも、また妙だった。
話はそれるが、一方の担当のプロデューサーは、(アンナ・カリーナのように)前髪を切った夢を見たという話。彼女は長い黒髪。「そんなことしたらもったいないのに」と思うほど、良く似合っている。過去に前髪を切った髪型だったらしいことを今日知って、また不思議な感覚を得た。前髪の夢の理由はわからない。(・・にしても、「前髪」という言葉は「顔に髪がかかる程度」までしか使わない気がする。顎くらいまでの長さ、かな?・・これもまた不思議だなどと考えながら聞いていた。)
そうやって人生は、不可思議だらけ。
いま、目の前で、バラバラになったジグソーパズルが一つ、一つと見えてきた景色の一部。
けれども、夜見る夢も解明できるわけもないし、自分の詩集を推定不可能な幻想に縁取られていることもあるだろうし。。
本を作ってくれた人の娘が、予定日から早まってお父さんの作った本の作者と同じ日に誕生してしまうことや、辛いものが苦手なのにインドに行くことになってみたり、ね。
そう、やっぱり人生は、不可思議だらけ。
詩人、谷川俊太郎も「詩ってなんだろう」(それを詩の歴史で繙く本なのに)の本の最後にこう締めくくっている。
「詩がなんなのか、うまく答えられた人は誰もいない」
なら、人生がナンなのか、こんな私には まだまだ わかるはずもない。ということだね。。。。
私にとって彼は監督のなかでも別格で、お洒落だとかそういった事とは無縁の、どちらかというと無茶苦茶な衝撃を残した。
小学生の頃から映画には慣らされて(父の影響で)いたこともあり、アンジェイ・ワイダにハマった事もある。「灰とダイヤモンド」ポーランドの歴史の、戦争の影にこんな友情と愛、そして人の生き様、死に方があったのかと。しかし、成長とともに戦争を描いた物語には一種の苦手意識が混在してきて、以降は好んで見ようとしなかった。一方、ゴダールは、いつでも見られた。いまでも、あきもせず何回も見ている。その度ごとに、その愉しみが変わる。興味は、少ない男女の会話だったり、そのとんでもない長回しの空間と間。逆にテンポの良い会話で相手に言葉のシャワーを。。会話の無意味さも味わえる。

自分の将来のことを夢見続ける日々は続く。
一時は、映画に関わる「仕事」しか考えていなかった。
同じ頃、もちろん読書にも夢中になった。そんななかでの衝撃は、中原中也の詩集(古い母の書棚から)と、学校の図書館で次々に借りたのが向田邦子の脚本シリーズ。(向田邦子に一種の憧れを抱きつつ脚本家になることを真剣に考えていた矢先に彼女は飛行機事故で亡くなってしまって、新作が読めない事を日本中のファンの人はなんと嘆いた事だろう。。その、一人が中学生の私だった。作家は飛行機事故なんかで死ぬはずが無いと思い込んでいた。)
詩の、簡潔な言葉の描く情景は、さまざまな想像、頭の中だけの情景。
すごいスピードで駆け抜けていくくせに、後から断片的にモザイクを残す。
好きな世界だった。その世界に浸っているのが好きだった。絵にも、唄にも変わるのだから。
シナリオは、人の人生を想像するための言葉を探していく作業。大学時代にこっそりシナリオセンターに通っていた。苦労しながら愉しい日々を過ごしていた。のちの、演技をすることにとても役立っていたように思う。単に「想像する」、「創造する」を楽しく感じていただけなのかもしれない。そして、興味を寄せていたほとんどが映像とそこに飛び交う言葉だったように思う。


ゴダールの最も好きな映画は「女は女である」、「アルファヴィル」。(この2本はゴダール食わず嫌いの人にもぜひおすすめしたい。)それから、「女と男のいる舗道(原題:Vivre sa vie )」。それぞれに、アンナ・カリーナが登場する。
今回の詩集「ア・ビアント じゃ、またね。」の第一番目の詩は、彼女に捧げたオマージュです。(一度、夕張映画祭で彼女に出会ったことがあるがそのときは一生に一度しか無いだろうと、片言のフランス語を懸命に話した。)彼女は、映画から想像もできないほど歳を重ねていたが、その姿は凛とクールに輝いていた。詩の最後の一節「・・落ちていくAnna」というのは、Annaが落ちていくのではない。むしろ、Annaに、落ちていく。か、または最後はつい放った彼女への呼びかけ。そして、それを知ってか、知らずか、担当の編集者はリリースの一言を【「女と男のいる舗道」を見ているような・・・】などと記載していた。彼の子は、なんと私と同じ誕生日のほぼ同じ時間に、この世に誕生してしまったし、この映画のタイトルを出してくるということも、また妙だった。
話はそれるが、一方の担当のプロデューサーは、(アンナ・カリーナのように)前髪を切った夢を見たという話。彼女は長い黒髪。「そんなことしたらもったいないのに」と思うほど、良く似合っている。過去に前髪を切った髪型だったらしいことを今日知って、また不思議な感覚を得た。前髪の夢の理由はわからない。(・・にしても、「前髪」という言葉は「顔に髪がかかる程度」までしか使わない気がする。顎くらいまでの長さ、かな?・・これもまた不思議だなどと考えながら聞いていた。)
そうやって人生は、不可思議だらけ。
いま、目の前で、バラバラになったジグソーパズルが一つ、一つと見えてきた景色の一部。
けれども、夜見る夢も解明できるわけもないし、自分の詩集を推定不可能な幻想に縁取られていることもあるだろうし。。
本を作ってくれた人の娘が、予定日から早まってお父さんの作った本の作者と同じ日に誕生してしまうことや、辛いものが苦手なのにインドに行くことになってみたり、ね。
そう、やっぱり人生は、不可思議だらけ。
詩人、谷川俊太郎も「詩ってなんだろう」(それを詩の歴史で繙く本なのに)の本の最後にこう締めくくっている。
「詩がなんなのか、うまく答えられた人は誰もいない」
なら、人生がナンなのか、こんな私には まだまだ わかるはずもない。ということだね。。。。
mardi, juillet 25, 2006
きっと、いつか晴れる。
なんだか浮かない気持ちで、仕事を片付ける。
これも、じめじめが続いているから?
週末に少し先の未来までのお別れをしたから?
なんだか、違う気がする。
仕事にもっとやりがいを感じていたいという欲望。
そして仕事は幾つか同時に進行させていて、ひとつではないという焦燥。
Ludo et Valerie からもらった(彼らの東京の思い出の沢山詰まった)まっ赤なソファーに腰をかけて、こうしてモニターに向かうと、画面の向こう側の光だけが私を診断しているかのようにまぶしい、まるで眼科の先生が光を目に向けているようにまぶたを閉じたくなる。
晴れないから、庭のハイビスカスが気になって仕方ないし、ハーブの寄せ植えが込んでいることも気になって、土が濡れていて気持ちよく触る気になれない。土の中には、とんでもない生き物が活動しているようで(実際には見えない虫がたくさんいるだろうよ)、水を含むととたんに気持ちが悪くなる。
掃除は、完璧にやりたい主義なのに、猫がこの頃苛立っているようで、今までしたこともないところで失尿。わざととしか思えない場所に。仕方なく、お別れする敷物や洋服。ロイはいつもいい子なのに、どうかしている。
この時期の洗濯物を室内で干すと、3回くらい洗わない落ちないとおもえるような異臭を放つことがある。それが、綺麗好きのロイには堪らないのだろうか。それとも、畳のい草の香りが湿気を含むと、猫の尿に似た匂いがして敵対心からなのか、それはわからない。
憎らしいこの黒い猫も、しばらくしてソファの上で丸くなってこちらを見つめると、その赤色が良く似合って、結局は怒るのも中途でその毛を撫でたりつまんだりしてしまう。
そうしているうちに、明日は雨が降らない予感がして、心地よく眠れそうな気がしてくる。
仕事への焦燥は、いつしか頭の中で組み立てられ、ひとつひとつをクリアーして行ける気もしてくる。
晴れ。誕生日の頃は、じめじめしていた記憶が無かった。私はいつも、夏の日差しの傷みを感じていたい。
キューバ、ベトナム、カンボジア・・もっともっと、暑い日差しを感じていたい。
これも、じめじめが続いているから?
週末に少し先の未来までのお別れをしたから?
なんだか、違う気がする。
仕事にもっとやりがいを感じていたいという欲望。
そして仕事は幾つか同時に進行させていて、ひとつではないという焦燥。
Ludo et Valerie からもらった(彼らの東京の思い出の沢山詰まった)まっ赤なソファーに腰をかけて、こうしてモニターに向かうと、画面の向こう側の光だけが私を診断しているかのようにまぶしい、まるで眼科の先生が光を目に向けているようにまぶたを閉じたくなる。
晴れないから、庭のハイビスカスが気になって仕方ないし、ハーブの寄せ植えが込んでいることも気になって、土が濡れていて気持ちよく触る気になれない。土の中には、とんでもない生き物が活動しているようで(実際には見えない虫がたくさんいるだろうよ)、水を含むととたんに気持ちが悪くなる。
掃除は、完璧にやりたい主義なのに、猫がこの頃苛立っているようで、今までしたこともないところで失尿。わざととしか思えない場所に。仕方なく、お別れする敷物や洋服。ロイはいつもいい子なのに、どうかしている。
この時期の洗濯物を室内で干すと、3回くらい洗わない落ちないとおもえるような異臭を放つことがある。それが、綺麗好きのロイには堪らないのだろうか。それとも、畳のい草の香りが湿気を含むと、猫の尿に似た匂いがして敵対心からなのか、それはわからない。
憎らしいこの黒い猫も、しばらくしてソファの上で丸くなってこちらを見つめると、その赤色が良く似合って、結局は怒るのも中途でその毛を撫でたりつまんだりしてしまう。
そうしているうちに、明日は雨が降らない予感がして、心地よく眠れそうな気がしてくる。
仕事への焦燥は、いつしか頭の中で組み立てられ、ひとつひとつをクリアーして行ける気もしてくる。
晴れ。誕生日の頃は、じめじめしていた記憶が無かった。私はいつも、夏の日差しの傷みを感じていたい。
キューバ、ベトナム、カンボジア・・もっともっと、暑い日差しを感じていたい。
samedi, juillet 22, 2006
「さようなら」と言わないで=A bientot !




こんな日が、いつかは来る・・・そんな予感がして、私は詩集を制作しました。今まであった人たちに、感謝の気持ちと、私の出会った大好きな人同士が出会ってくれるような場所と話題を提供したかった。それに、参加してくれた人たちに感謝の気持ちが絶えません。
いつのまにか、外国の友達も沢山出来ました。そして、外国の人と結婚している人も数人います。彼らは、いつか何処か別の場所に引っ越してしまうかもしれなくて。そうではなくて、いつもそこにいるはずの、近所にいる人も、何処かに・・・知らないうちに引っ越していて、会えなくなってしまう事もあるかもしれない。
それが、とても悲しいけれど、地球の何処かで、元気でいて、素敵な笑顔を輝かせてくれていたらうれしい。
私はいつしか、とても大きなものに支えられている。なんだか、そんな気さえしてくる夜です。
今朝、彼と彼女と日本で生まれたちいさな人たちは母国へ、旅立ちました。
ちかいうちに、また会えますように。
そんな、祈りを込めて、小さな約束をしよう!
A Bientot. Ludo et Valerie (On peut se voir a tres bientot♪)
mardi, juillet 18, 2006
花と空間の鼓動=2006.7.14


7月14日金曜日夜、Pハウスに足を運んでくださった皆さま、ありがとうございました。
私のとても大好きなアーティストたちがそれぞれの力を持ち寄って素敵な会場にしてくれたことに大いに感謝しております。
Pハウスの白い壁、ルドの絵が飾られ、濱中直樹ライト、松本充明バンドネオン、JOUダンス、松尾邦彦映像。
素敵な仲間たちに囲まれ、昔からの友人たちに見守られ、本になったテキストのリーディング。幸せをかみしめながら読ませて頂きました。また、この本から抜粋して読んで欲しいと思っていた人たちが快く受け入れてくれたリーディングは、それぞれの声による新たな世界を、詩の可能性を示してくれて本当に素敵でした。また、飛び入りで選んで読んでくれていた詩も、それぞれの解釈を発見できて勉強になりました。また、いつかこんな機会が持てたらいいなと、本当に思っています。
予想以上にみなさんに来ていただいたので、ごあいさつままならなかった方もいらっしゃって失礼したかと思います。開場しきりもままならず、協力していただいた方には本当に感謝しています。
そして、来てくださった皆さまに頂いた花に囲まれ、今夜もしあわせの余韻から醒めずさまざまなお花の香りにまどろみながら眠りにつこうと思います。
それぞれが持ち寄ってくださったイメージしてくださったお花。
それぞれがイメージしてくれた言葉の解釈と世界。
それらが私の中心にわっと飛び込んできて、また新たな酸素を運んでくれます。
ありがとう。
出会いに、感謝。
少し先にまた、みんなに会える楽しみが出来ました。
帰り道に読んでいただけたかしら?!
あるいはお家のトイレのなかに置いて、ときどき開いていただけると光栄です。
(忌憚なき感想も寄せてくださいね。)
A bientot Rie
Taro NISHIMOTO’s blog
柴田瞳's blog
dimanche, juillet 09, 2006
光・絵・音・映像、そして言葉のコラボ

7月14日は、フランスにとってとても大切な日。(今日は、ジダンにとっても大切な日ですが)
私にとってこの日は、この世に生を受けたというもっとも重要な日です。それは、母がお腹を痛めた事を想いながら、ありがとうと感謝しなければならない日。その日を目指して、このたび本が誕生します。その誕生日は、私が希望し、本を企画してくれた人と決めた予定日でした。半年前から順調(?)に夏に向かい、徐々にその姿を現したこの本は、実際、かなりの素敵さでおどろきました。
そして、六本木にて、日頃お世話になった方々や友人、縁あって一緒に仕事をしてきた人に感謝の気持ちも込めて集まる機会を設けました。ばたばたで、何も特別なものは用意できないのですが、私の好きな、素敵な人たちと一緒に14日のひとときを過ごしたいと考えています。
ライト・インスタレーション (濱中直樹)
絵(Ludovic Xasdera=ルド・グザスデラ)
バンドネオン (松本充明)
映像/DJ (松尾邦彦)
そこに、友人たちに詩を読んでもらいます。
自分以外の人が読んでくれるのは、本当にうれしいです。
一人で読んでいるときはわからない発見がありそうです。
そして、思い思いの感覚を現してくれる予感です。わくわくします。
素敵な夜になる予感です♪
みなさま、ぜひ、お越し下さい。
(いらっしゃれる方は、Gmailにてお送りください。)
なお、このパーティーに協力してくれた友人のアーティスト、
場所を提供してくれた古くからの知人、手伝ってくれた友人たちに
深く感謝します。ほんとうに ありがとう。
ここからまた新たにスタートできる気がしています。
samedi, juin 17, 2006
深く透明なみどり
samedi, juin 10, 2006
メロン/キックオフ
mercredi, juin 07, 2006
C4I+datamatics/池田亮司
もう随分前にダムタイプ(Dumb Type)を見た以来。ダムタイプのときもいいが、今回の前半C4I が特に良かった。メッセージ性が高いのだが、音と映像の錯乱を程よく演出していてバランスが良い。なんと表現したらいいかわからないけど、とにかく刺激を受けた。完成度、音の広がりと捉まえたモチーフのループとバランス、映像の中で一番気に入ったのはそのモチーフの「規模」の違い。左右不対象の言葉。それらと音との繋げ方が違和感なく、好みの賛否よりやはり仕事の仕方や姿勢が整っている気持ちよさを感じる事ができた。確実に自分が必要とされている場面があるのだという確信のもとにこなしている。出来る事を出来る限りやるという仕事。それでもなにやら楽しそうだ。自分にしか出来ない事?それを見つけるのに誰もが苦労するところ。まずは身近なところから。。
とても古い話だが、以前、私が参加したアルバム(Visions Of Divas・スパイラルレーベル)のときにお世話になった。私は当時、詞を書き唄った。そのときはミキサーに向かいつつ、寡黙に音と向き合っていた。一見、文学青年のような神経質さと冷静さを兼ね備えた出で立ちで、訳ありのカッコいいお兄さん(?!)みたいだったが、いまや世界のRyoji Ikedaだ。
スパイラルでは当時、いろんなアーティストが出入りし、一緒に仕事をさせてもらったのがCo-FusionのWADA&TANI。みんな、世界で活躍している人だし、同じアルバムに参加していたボーカルの中には今 J-WAVE で活躍しているDJリーソルもいる。今考えると不思議だがそのアルバムには様々な人が関わっていた。
自分なりのペースで、全く違うメディアだが、いま本を制作する。そこで関わった音楽の関係者とはまた違う、本が好きで、そして本を作ることにエネルギーを注いでいる人たちに囲まれて、今週から来週までに仕上げて最後の入校に。
いま出来る事の出来る限りを、楽しみながらやりたいものだ。
とても古い話だが、以前、私が参加したアルバム(Visions Of Divas・スパイラルレーベル)のときにお世話になった。私は当時、詞を書き唄った。そのときはミキサーに向かいつつ、寡黙に音と向き合っていた。一見、文学青年のような神経質さと冷静さを兼ね備えた出で立ちで、訳ありのカッコいいお兄さん(?!)みたいだったが、いまや世界のRyoji Ikedaだ。
スパイラルでは当時、いろんなアーティストが出入りし、一緒に仕事をさせてもらったのがCo-FusionのWADA&TANI。みんな、世界で活躍している人だし、同じアルバムに参加していたボーカルの中には今 J-WAVE で活躍しているDJリーソルもいる。今考えると不思議だがそのアルバムには様々な人が関わっていた。
自分なりのペースで、全く違うメディアだが、いま本を制作する。そこで関わった音楽の関係者とはまた違う、本が好きで、そして本を作ることにエネルギーを注いでいる人たちに囲まれて、今週から来週までに仕上げて最後の入校に。
いま出来る事の出来る限りを、楽しみながらやりたいものだ。
イッセー尾形の佇まい
役者という言葉がとても似合う人。随分前になるが「それから」という映画を公開当時に見に行った記憶が蘇る。その時、そば屋かどこかで主役の後ろで一人で芝居をしていた。それが妙に頭にこびりついていた。6年前、NYに行ったときに仲間と行った文化センターにて「一人芝居」を連続で見た。その中にイッセー尾形のパフォーマンスがあった。
以前から気になっていた映画「トニー滝谷」を見る。静かな、涼しげな映画。人の悲しみ、寂しさ。儚さ。美しさ。
演出も、カメラワークも様々な工夫が見られた。一番はやはりキャスティングにあると思う。あの役柄は不思議な存在だし、若いときから今までをずっと同じ人物が通して出ることに違和感を感じないで見せる。
恐るべしイッセー尾形。若い役でも、全く違和感がなかった。宮沢りえとの歳の差も、設定通りに見えた。実際はもっともっと離れているはずなのに。。しかも、カッコいい。特に魅力的な人物ではないし、どちらかと言うと格好悪い役で、四角四面の面白みのない人物設定。芝居をやりすぎる事もなく、押さえたところが洗練されたセンスを感じた。色気がある年齢の重ね方。
役者と、その佇まいには、その人自身の素の歴史が見える。苦労をしたかもしれないたくさんの皺さえも美しく見えてしまった。
以前から気になっていた映画「トニー滝谷」を見る。静かな、涼しげな映画。人の悲しみ、寂しさ。儚さ。美しさ。
演出も、カメラワークも様々な工夫が見られた。一番はやはりキャスティングにあると思う。あの役柄は不思議な存在だし、若いときから今までをずっと同じ人物が通して出ることに違和感を感じないで見せる。
恐るべしイッセー尾形。若い役でも、全く違和感がなかった。宮沢りえとの歳の差も、設定通りに見えた。実際はもっともっと離れているはずなのに。。しかも、カッコいい。特に魅力的な人物ではないし、どちらかと言うと格好悪い役で、四角四面の面白みのない人物設定。芝居をやりすぎる事もなく、押さえたところが洗練されたセンスを感じた。色気がある年齢の重ね方。
役者と、その佇まいには、その人自身の素の歴史が見える。苦労をしたかもしれないたくさんの皺さえも美しく見えてしまった。
dimanche, juin 04, 2006
夏。準備中。。

土曜日の午後・・発売された「0時に 教室で」を編集者からようやくもらえて嬉しくて自宅に持って帰り週末ゆっくりと読む。制作に加わった作品だが、この作品は審査のときに出会って、最後のほうで上位に食い込んだ作品だから思い入れがある。
最初から写真のコラボということが企画意図としてあがっていたので、候補の写真家を選んだり細かいディレクションを入れた作品。ようやくあがって来た頃は、ばたばたしていたので、ゆっくりとページをめくる機会を待っていた。やっぱり最後の「屋上」が大好きだ!ふっと自分の昔と今を重ねる事ができるような気持ちになる。それは、著者の意図かどうかわからないが、蝉の命と自分の明日と環境と、全ての融合が空に向かっていく、そんな結末に感じる。詩は行間を読者にゆだねてくれるものでもある。そこが好きだ。そしてこの作品と、この著者に会えたことが嬉しい。一緒に制作した編集者と若手写真家とデザイナーという環境にも恵まれて生まれた作品だと思う。
この作品と「キミが泣いたらシャンデリア」は、力作だし、若い詩人たちが心を注いでいるその誠実さを形にするという仕事に生き甲斐を感じ。使命感に燃えて作った。そして、彼女らに私も支えられていると思っている。とにかく、出会えて良かった。



日曜日。Yukiと久しぶりに”女の子同士の買い物”♪
神楽坂突然、店の表にかかっていた浴衣を発見。
神楽坂途中にある着物のお店に。。鏡前でいくつかの浴衣を合わせる。
好きな色を選んでみた。。が、結局、安くて一番鮮やかなものを購入。こういうものは、女の子に選んでもらったほうがいいね。
けど、二人とも随分と優柔不断になりながら、いろいろと考えていたため、どっと疲れてしまった〜
普段きないものを選ぶ楽しさと感覚の曖昧さ。しかも、浴衣って、普段あまりに縁がなさ過ぎる。考えてみるとお祭りとか、旅館でしか袖を通さない。しかも自分のモノに袖を通す機会は前者のみ。水着を選ぶときも同じ。Yukiが「周りの人のために着る」という言葉を言っていたけど、確かにそうだね。そこんところで最終的には鮮やかな紫色を。写真より実際ほんとに鮮やかです。
夏の風物詩。浴衣に風鈴(これが金魚の形で音もいい!かわいいんだよね〜〜金魚の中にまた小さな金魚がいるの♪)。なるほど粋な買い物です。しかも、購入は神楽坂で!風情がありますねぇ。街並も。コーヒー屋さんもお洒落だったけど、その後は五十番の肉まんをぺろり。古くからの料亭旅館の路地を肉まん片手に歩きましたっ。途中、黒猫くんに会いました。日曜の楽しい午後。
夜は映画「トニー滝谷」「モンスター」の2本立てを、例によってスカパーで満喫!
mercredi, mai 31, 2006
猫ばなし


日曜日のサイクリングで、後楽園ラクーアにあるヴィレッジヴァンガードにて購入の本は二冊。
一冊はこれ「ヨーロッパを旅してしまった猫のはなし」(平松謙三著)。ほんとは擬音語擬態語辞書があったので購入したかったのだが、あまりに魅力的で(しかも三冊はどうか?と考えて、ツイこちらを)買ってしまった。
もう一冊は、「インド夜想曲」(アントニオ・ダブッキ著)以前読んだ事があるのだが、インドも行った事だし、しばらく前からKuniさんがずっとお探しだった本でもあり、また読んでもいいなーと(なぜかあの店ではすぐに見つかったのに驚いて)思わず購入。
黒猫が、ヨーロッパを、というところに大いにツボな訳で・・そして、黒猫の名前が「ノロ」(ノロの日記=http://www.hortensia-azul.com/news.php3)だったことも(ウチの猫がロイ)その写真の愛くるしさと、拾い読みすると行動が似ていることが因果で即買いが決定。(嗚呼、黒猫になんと弱い者なのだろう!)
これがまた、読むとおもしろいおもしろい。すぐに読めて、しかも、装丁、中身のバランスや著者の感覚・・なかなかお洒落である。まず主人とその奥さんがなかなか好感が持てるし、猫の写真もアングルを含めて上手で面白い。さらに、内容も淡々としつつ、旅に関する情報と、ペット事情の差まで記載している。日本のホテルでペットを持ち込むことが禁じられているところがほとんどだけれど、ヨーロッパのホテルはどこもわりと簡単に受け入れてくれる。しかも、そのとき支払うのは人間のおとまり料金プラス約5ユーロという設定で絶妙(遠慮しないで堂々とペットとともにいられてその上安い)らしい!すごくうらやましいたびだと思った。
だけど、実際にまねをするかどうか・・と言えば、ウチの黒猫さんはとてもお年をとっている。今年で14歳になるんだった。そんな無理はできないだろう。
大きく違うのは、ノロは1歳、ロイは14歳という点だった。
dimanche, mai 28, 2006
友よ、ありがとう。

昼下がりに気温があがった頃、Kuniさんと一緒に後楽園ラクーアまでサイクリング♪
ヴィレバンで本を2冊購入(※これについては、後日)とウィンドウショッピングと、ユニクロショッピング・・また、ブルーベリーの苗を一つ購入。成城石井で普段買わなそうな面々を手に入れる。夕方はまだ半袖では寒いね。でも自転車は、好きだからこの季節になると大活躍。帰ってから、Kuniさんがポルチーニ茸クリームソースパスタを作ってくれた。ごちそうさま、っとメールなどのチェックと机が欲しいからヤフオクで狙っていた落札時間が迫っているので、慌ててMacの前に・・すると、Gmailのボックスに新着メールが。
開いたら、なんと高校時代の友人からだった。ブログを始めてから約1週間。なのに、検索でヒットしたのでメールを送ってくれたのだと書いてあった。そのことにはとてつもなく嬉しかった。しかし、読み進めると・・悲しいお知らせだった。同じ級友だった友人の死のお知らせ・・そんな。。二重に驚いた。(もはや、ヤフオクどころではない!)いや、このメールがタイからの友人でありがたいメールであることは間違えないのに「悪質ないたずらメール」であって欲しいと、反面思ったくらいだ。
その後、別の友人から携帯にメール。それは、夢でもいたずらメールでもないことを示す。しかし、一体どうして、なにが、どうなったのか、とか、自分の身体が何処か浮く。かおちゃん、ヒーコ、ウソだよね?・・・いや、本当だ、大人として受け入れること?! 会いたかったよ、生きている時間に。いつか彼女のことを思い出したこともあった。けれど、東京に住んでからは、自分のことに精一杯過ぎた。慌ただしく日々は過ぎ、今も以前の俳優時代もあまり変わらない。時間の使い方が下手なのかもしれない。けれど,心の中では、会おうと思えばすぐにどこかで会えるような、いつでも誰にでも会えるような気がしている自分に苛立つ。ああ、そんなわけではないのだ。いつ、どこで、会えるか、生きていてもわからないのに、死んでしまったら二度と会えないじゃないか。気づいくべきなのに、そんなこと知っていることなのに。。(ブログから連絡をくれたかおちゃんにも、ヒーコにも早く会いたい!)
私は次の真夏の誕生日に一冊の詩集を出版する予定だ。
そのタイトルは「ア・ビアント(A bientot) じゃ、またね。」それは、再び会うための少し先の未来への約束というコンセプトで纏めた一冊になる。詩には、自然の中、普段の生活の中で出会った人たちと場所と時間を切り取ったスナップ写真のようなものだが、そこに想いを少しずつのせている。誰もが想像できるようなシーンかもしれない。
聞いたら、誕生日の5月20日を目前に、逝ってしまった彼女に、私のできる精一杯の気持ちを、それくらいしかできないから言葉で贈りたい。
星と星であるなら、宇宙で
いつか、あえるかもしれないね。
空と海が何処かで繋がっているなら、
めぐりあわせの奇跡を願って
少しの間のお別れを
ありがとう、チックン!=Merci Chiharu!
ア・ビアント(また、会おう)!=A bientot ! Rie
samedi, mai 27, 2006
変わるもの、変わらないもの、そしてテレビ
スカパーに入ってから、今まで見ていた番組をほとんど見なくなった。
番組数も多いけど、映画をやってるシネフィルなんかには喜んでハマります。
好きな監督特集なんかを組まれると、週末が忙しくなってしまいます。へへ。
今日は12時過ぎに夕食。その後のひとときをテレビ(あ、通常の地上波ね)をみて過ごす。
すると、聞いたことのある声が。。以前、励ましの年賀状をくれたアノ監督だ!
・・風貌が変わっていて気づかなかった。聞こえてきた声から、3年前に「死」を宣告されたという話。そんな話題なのに会場は爆笑。
自費製作ながらも毎年一本くらいのペースで撮っている”元気ぶり”だからだ。
口調も飄々としていて、昔のままだったけれど、そうとう不健康に暮らしていたらしく死を宣告された頃、意識して野菜を食べた記憶がないと語っていた。しかも、野菜を食べるのがめんどくさかったと言っていた。やっぱりそういった素っ頓狂なところが今までの作品を生みだすエネルギーになっていたんだろうな。それでもって、映画を撮るのは「めんどくさく」ないんだろうな。それにしても、彼は多分テレビに出演することなんか、以前ならめんどくさいと言っていたはずだ。しかも、TOKIO相手にしゃべってるよ。。
いろんなことが死を宣告された後に変わったのかな。
6月公開の小林監督の新しい映画「バッシング」見てみたい。
今度はカンヌかぁー、すごい!!
私が会ったのは、夕張映画祭だから、もう随分昔のことだ。
(そういえばアンナ・カリーナにサインもらったのも夕張映画祭だったなーっ!あの頃はフランス語が片言すぎて・・結局 通訳さんに訳してもらわないと通じなかった。あ、今度の詩集の一番最初には彼女に向けた詩が入っています。)
思えば自分の周りも、この数年の間に変わってないことと、変わっていることがある。
そして、環境が変われば、やっぱり人間変わることもたくさんある。
スカパーに加入したことと同じように。。
番組数も多いけど、映画をやってるシネフィルなんかには喜んでハマります。
好きな監督特集なんかを組まれると、週末が忙しくなってしまいます。へへ。
今日は12時過ぎに夕食。その後のひとときをテレビ(あ、通常の地上波ね)をみて過ごす。
すると、聞いたことのある声が。。以前、励ましの年賀状をくれたアノ監督だ!
・・風貌が変わっていて気づかなかった。聞こえてきた声から、3年前に「死」を宣告されたという話。そんな話題なのに会場は爆笑。
自費製作ながらも毎年一本くらいのペースで撮っている”元気ぶり”だからだ。
口調も飄々としていて、昔のままだったけれど、そうとう不健康に暮らしていたらしく死を宣告された頃、意識して野菜を食べた記憶がないと語っていた。しかも、野菜を食べるのがめんどくさかったと言っていた。やっぱりそういった素っ頓狂なところが今までの作品を生みだすエネルギーになっていたんだろうな。それでもって、映画を撮るのは「めんどくさく」ないんだろうな。それにしても、彼は多分テレビに出演することなんか、以前ならめんどくさいと言っていたはずだ。しかも、TOKIO相手にしゃべってるよ。。
いろんなことが死を宣告された後に変わったのかな。
6月公開の小林監督の新しい映画「バッシング」見てみたい。
今度はカンヌかぁー、すごい!!
私が会ったのは、夕張映画祭だから、もう随分昔のことだ。
(そういえばアンナ・カリーナにサインもらったのも夕張映画祭だったなーっ!あの頃はフランス語が片言すぎて・・結局 通訳さんに訳してもらわないと通じなかった。あ、今度の詩集の一番最初には彼女に向けた詩が入っています。)
思えば自分の周りも、この数年の間に変わってないことと、変わっていることがある。
そして、環境が変われば、やっぱり人間変わることもたくさんある。
スカパーに加入したことと同じように。。
vendredi, mai 26, 2006
髪は気分を変えるから

昔から、失恋すると髪を切るなどという話があるがそれは、気分を変えるためなのだろうか。
それとも、その髪の伸びる間の時間を切ることがメインなのだろうか。
とにかく、私は月曜の夜中から気分が冴えなかった。誰かからの夜中の電話。
内容なんて別にどうでもいいのだけれど、自分を責めてしまうから気分が悪い。
もしかしたら、夜中に電話させてしまうようなスキを見せているのだろうか。と。。
しかし、彼は自分のことが一番だし、思い立ったが吉日の人だから仕方ないのかもしれない。
(そんな人、他にもいたなーぁ)
それにしても、私が貧血になるのは、会社の同僚の一説によると「自律神経がやられてる」
んじゃないかと・・最初は「おどかさないでよー」なんて言っていたが、そういう彼女は
時折苦しそうな咳をして、くらくらするのだと言っていた。
彼女は、いまや私にとって「人生の節目に協力してくれたとても大切な人」である。
そんなストレスなんかにやられて欲しくない!って思う反面、私もやぱいのかなーって。。
で、気分を変えるためには何をすれば良いのか!
それは、マッサージとか、美容室に行くとか、運動をするとか、いままでやったことのない
ことにチャレンジする〜とか、である!
まず、手始めに、髪型ではなく、髪の色を変えてみました。
以前からやりたかったのですが、冬にやると目立ちすぎるので今が良い時期かと。。
2色を採用しました。
ひとつは、ピンクベージュ。もう一つは、エンジに近いオレンジ系の赤です。
脱色したので、少し「お人形の髪」が入った感じですが、後ろから見ても間違われることが
なさそうな色です。
自分で言うのもなんですが、色のチョイスも良かった気がする。
あ、刈り上げは、もうしてません。のばしている最中です。
mardi, mai 23, 2006
粟津潔 印刷博物館
今までの作品をざっと見るだけでも見たことある物だらけ。
装丁だけではなく、映像や言葉に至までのアーティスト。
日本で誇るべき芸術家と言える一人なのだと思います。
勅使河原宏の映画のオープニングや題字、導入や映画宣伝の
ための映像、映画ポスターや版画、シルクスクリーン・・・
様々な分野にわたって挑戦するその興味の範囲の広さに
圧倒されました。
アートは辛くなく楽しい。綺麗なだけではなく、何処かギュと
心をつかむ鋭角な刃を持っている。
彼のアートの原点は、地図の等高線にあると語っているが、
それに気づき、それをアートに反映してしまうアイデアも
普通の人とは大きく違う発想の持ち主だと言うことを物語る。
様々な人が、まだ生きて活躍している彼に対して愛情を持って
語っているが、彼はやはり芸術全般に対して愛と尊敬を持ちつつ
対話をし続けている人なんだと思った。
粟津潔HP http://www.kiyoshiawazu.com
印刷博物館HP http://www.printing-museum.org/jp/index.html
装丁だけではなく、映像や言葉に至までのアーティスト。
日本で誇るべき芸術家と言える一人なのだと思います。
勅使河原宏の映画のオープニングや題字、導入や映画宣伝の
ための映像、映画ポスターや版画、シルクスクリーン・・・
様々な分野にわたって挑戦するその興味の範囲の広さに
圧倒されました。
アートは辛くなく楽しい。綺麗なだけではなく、何処かギュと
心をつかむ鋭角な刃を持っている。
彼のアートの原点は、地図の等高線にあると語っているが、
それに気づき、それをアートに反映してしまうアイデアも
普通の人とは大きく違う発想の持ち主だと言うことを物語る。
様々な人が、まだ生きて活躍している彼に対して愛情を持って
語っているが、彼はやはり芸術全般に対して愛と尊敬を持ちつつ
対話をし続けている人なんだと思った。
粟津潔HP http://www.kiyoshiawazu.com
印刷博物館HP http://www.printing-museum.org/jp/index.html
lundi, mai 22, 2006
紫のご飯
ブログ名

以前使っていたものとは別に、作ってみました。
日頃のおこったことや感じたことを書き込みます。
手始めに、この de Rie-n についての説明を。ほんとうは「de rien」が正。
フランスなんかで「ありがとう merci」を使ったあと、相手の人から返ってくる言葉です。
日本語的には「どういたしまして」「なんでもないことよ」というような意味です。
rien の意味は「全く〜ない」という意味ですが、私はこの言葉の中に自分の名前が入っていることを発見したときに、とても嬉しかったのを覚えています。
仏教の世界では「無」に近いかな。
とにかく、雑念を取り払っていきたいという希望もあり、この名前を採用。
もし、相手が嬉しくなることであったら、こちらも嬉しい。
けれど、何気なくそれができるなら素敵なことだよね。という祈りも込めて。。
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