samedi, février 14, 2009

信頼のハート

こんなタイトル、'70のどっかの金融関係のコピーみたいだけど、このごろとても思うこと。
人と人との繋がりは「信頼」で出来ている・・・って。

心底心を許せなくて、どれだけ普段いい加減なことをしていても、ある一点で信頼が大きな仕事を成し遂げると思う。
その後に「信頼」が生まれて。その回数が重なって行くとやがて「かけがえのないもの」に変わる。
昔の仕事の世界の中で、人と人が駆け引きで関係を成り立たせているような錯覚を起こしたことがある。
諦めて、自分自身もいつの間にかそこでそうなろうと努力した。
けれど利害で関係を推し量るのはとても寂しいものだ。味気なく喉元に落とされていく観賞のない食事。身に栄養を与えることも無く排泄されていくような感覚だ。

ある時期に感じたあの感覚を忘れない。
うっかりと自分の心に「信頼」を忘れそうだった頃。
野望や目の前の仕事に足を救われてしまいそうだった。深みにハマらずにいられたのは父の一言だった。あの言葉も耳に残っている。小さい時の“かわいらしく素直な私”をやさしく語ってくれた。
今、目の前にある信頼はとてもとても大切にしたいと思っている。

そうは言っても、1つ前の日記に書いた通り、歩きながら何かをすることについては躓きが多くて“忘れて”ぼーっと歩いてしまうことがあるんだよね。だから何かと「は?」と思われることもあると思う。私を良く知っていてくれる友人は「あーぁ、またやったのね」って思って許してくれるだろうけど、大抵はそうはいかないものだ。
でも、それこそが「信頼」なんだね。
やさしい友人たちにいつも感謝しています。

愛してますっ!
はーーぴぃばれんたいんっ!

vendredi, février 06, 2009

歩きながら考える

いつもいつも自分に不器用さを感じる。
例えば、歩きながら考えると、歩き慣れたところなのに途中で「するべきこと」を忘れる。
あれほど郵便局に寄らなきゃっておもっていたのに、家を出て別の考えにとらわれると忘れてしまう。

歩きながら考えること。
考えながらも歩くこと。
これは私の生き方にも通じるような気がする。

比較的、昔よりはマシになったような、けれど未だに同じことをしているような。。。
どうしたらもっと上手にこなせる日がくるのだろうか。

信じたくて仲良くしたいと思った人から否定めいた言葉を言われたショックで、一瞬立ち止まって、考えることも歩くこともちょっと難しくなってしまった。
そういうことって、すっかり大人になっていたはずだったのに、案外ウマくこなせないんだなって感じた。

でもそれでも私はやっぱり生きてるし、その世界から離れようなんて思ってはいない。
誰もが同じ職業でなくても、同じものを好きでなくても、面白いじゃないかって思える。

時には、抵抗しながら、歩きながら考える。
時には、向かいから来る車を避けながら、歩きながら、また考える。

明日も、元気で仕事は楽しい、はず!


☆2008/08 ベトナムの市場で見た光景

dimanche, décembre 21, 2008

温かいプレゼント


土曜日午後一番、金曜遅い時間まで仕事で会えなかったKayoと、一緒に久々のヨガ教室へ。
今週、伸びたり縮んだりを繰り返した心は少し回復したような、そんな“心地の良い”午後。

ヨガ教室の裏道に並ぶ店たちは昼は静かだけど、夜になると活気がありそうで、Kayoは「この辺に住みたい」なんて言ってたな。。。わかる。。
すっかり忘れてたけど、荻窪でバイトもしたこともあったっけ。ルミネで、Marks&webのハンドメイドソープとソープディッシュをKayoに勧めてもらった石けん。香も価格も気に入って即購入。これから行く友人Ryokoのお土産と自分用に2つずつ購入した。


その後、ゆるい感じのケーキと紅茶で眠くなりながら、ゆうべの電話の続きみたいな話をする。バスターミナルでバスがゆっくりぐるぐるしているのが余計に眠さを誘う。
Kayoは阿佐ヶ谷へ、私は吉祥寺へ。それぞれの友人に会うために解散。

吉祥寺から、井の頭線(久々に乗る経路)で、もうかれこれ18年の付き合いのRyokoの新居へ。
私にとっては懐かしい中央線の小旅行・・・と思ったが、あっという間に着いた。
Ryokoの部屋があまりにも温かくて、嬉しくなる。彼女は元々明るい人だけれど、さらに若返っていたから、本当に安堵した。
到着したら、昼間、私のために農家から買ったというもりもりとした野菜と“鶏肉屋”で買ったという鶏肉の鍋を作ってくれてさらに温かくて、おいしくて、うれし涙を流しそうだった。
食べた後、引っ越しでまぎれていた私への遅い誕生日プレゼントをくれた。
「さくらんぼ」のキーホルダー。“私っぽい”からってことだったけど、彼女のセレクトらしいなって、私は思っていた(だから余計に嬉しかったんだけどれども)。その、ぎこちない包装は、フランス人のおじさんが30分かけてリボンを付けたんだと言うエピソードも、光景が目の前に浮かんできて、それが映画を見た時の感覚のように私に自然に入ってきた。




しあわせもの。
私はいつも心を溶かしてくれる友人の言葉や、小さなエピソードにいつもいつも救われている気がする。
やさしい気持ちになれる様々なこと、もの、ことば。さり気ない日常の中に、やっぱりしあわせってあるんだなって実感した週末。先週の首の後ろの冷たさが少しずつ解凍されていくみたいに。

jeudi, décembre 18, 2008

枯れた呼吸

また、冬が胸に入ってくる

肺のなかできらきらの結晶になるならいいのに
凍って貼付いて伸縮を妨げられて
冬に牛耳られた私の左右の肺

この、
胸の騒ぎはカラスの羽根で擦れた血管のせい

この、
酸素を探す舌は器官の中で最も敏感な触手だった

舌を失い
言葉を失い
羽根をもがれた

みっともないカラスになっても
私は息をしている

生を啄んでいることを
開き直ったかのように
道を縦横する人に
見せつけるプライドだけを持って

暗闇で、煙草に火をつける人
彼の側でその煙を失敬した
息が闇を灰色にする
食べ物も喉を通らないのに煙だけは盗む

懐かしい声がして名前を呼ばれた気がした
もう随分聞いていない声なのに
なぜそれが「懐かしい」とわかるものなのか
私はたいして確かめもせず無防備になる

呼吸は、静かに森を湿らせた
森は、私を湿らせた
ようやく、身体を森の奥で休めることが出来るんだ
安心できたと同時に、私はカラスであることを忘れ
また無駄に遠吠えする
もっと、もっと、と、呼吸をし続ける

mardi, décembre 16, 2008

Mimi/Kami

「髪を切った」
と、右側にいる彼女は
鼻先を通り抜ける風のように云う
「髪を洗うとぜんぶ忘れる」
と、左に座った彼女は
凛とした瞳で明日を見て云う

左右の耳に刻まれた週末の合い言葉

片耳にしかない2つの小さな穴に
フランスから到着したばかりの彼女から渡された
2つの紫の花のピアスを刺してみた
重なりあって揺れて
銀の泡が弾けた優しい音がチリリとする

生え際を刺激する風の神の手先によって
愛を育てる彼女たちの地肌から生まれる温かな調べ
調和をこの耳で確かめながら、愛の詩を書こう
皮膚の向こうからは、透明な光に包まれた美しい男が
ゆっくりと近づいて新しい言葉を届けてくれたから

「夢の男は、吐息まじりに心音を耳に響かせて何度も名前を呼んでくれる。そうして静かに内側から皮膚をつつくのです。私はその信号を髪の先で受信し、愛にならないように気をつけながら、皮膚の中で彼を泳がせたいのです。嬉しく、こそばゆく、仮想の幸せの中で、ふたりで遊んでいるのです」

こんな夢を甘噛みして
私はまた彼女たちとおしゃべりする
髪の奥と耳の奥を磨いている
草原の花に囲まれた2つの日のちょうど境目
嬉しく、こそばゆく、うつつの幸せの中で
互いに花冠に友情を編み込みながら

mardi, novembre 25, 2008

ペルセポリス★★★★☆



完全に平和ぼけだということに気づかされる。
子供時代から青春期にかけての私たちは、政治で汚職事件があろうとも“痛くも痒くも”なかった。
親が「明日、死ぬかもしれない」なんて恐怖を持って子供を見つめていたとも思えない。
恐怖なんて、小さい頃に味わった記憶もない。子供時代の私の恐怖のレベルとして思いつくのは“虫”とか“おばけ”くらいのもんだった。食べるものも豊富だったし、何か食べたいとか言ってると、おばあちゃんの手作りお菓子(炭酸まんじゅうとか)なんかが出てきたり、それ(炭酸まんじゅうのことだけど)を前に“なつかしい”なんて言ってる母と一緒に(戦争の話が出ても)“そうなんだー、ふーん”なんて言ってその悲惨さなんて知らずにもさもさ食べてた。その炭酸まんじゅうのありがたみさえも大して感じず、外では売ってないなーこれーなんてぼんやり思いながら。ただ、ほくほくとしてる祖母と母と娘の温かな思い出だけだ。(多分、祖母と母は違う気持ちでいたとおもうけど)

戦争に対する意識は、国によって、文化によって、その職業や社会的な立場(階級も含む)によっても異なることは明らかだ。(彼女=主人公のマルジャンは中流以上の生活レベルの家庭の子だったから海外に行くんだが、イランに戻って“幼なじみ”に会ったとき、“ヨーロッパにいるイラン人(自分)”の悲惨さより、“国内にいたイラン人(父母や友人達)”はどれだけの恐怖を味わっていたのかを知ることになる)
そしてそれは、いかなる場合であっても良いものを生み出してはいないということも明らかである。

原作である漫画本は、漫画にして珍しいハードカバーの2冊。テーマ同様とても“重い”。
子供のあっけらかんとした視点とイラン人の思春期の(ちょっと変わりもので裕福な家庭の)女の子が、見聞きしてきたものを率直に描いているのが興味深い。悲劇のヒロインにならずに、そのマルジのキャラクターそのものがまっすぐであるが故に伝わってくるメッセージ。アニメなのに、しっかりと伝わってくる。何かをしなければ!と思いながら何も出来ないのがもどかしい。そんな感情をアニメを見ながら抱いたことは今まで一度もなかったと思う。

lundi, novembre 24, 2008

スピード・レーサー★★★☆☆

まだDVD発売されたばかりの「スピード・レーサー」。とってもキュートな映画でした。
映画館で観たいとおもってたのに、いつのまにか終わってしまっていて残念に思ってたので発売を待っておりました!

この原作は子供時代に大変お世話になった“タツノコプロ”から、私の時代よりさらに古い時代の名作『マッハGO GO GO!』のアニメです。今みると、色とか線の太さとか、かなりおしゃれなマンガではないかと思う。



映画はその持ち味をそのまま活かそうと実写にしてるので、文句無しでキレイ! 
独特のサイケさとCGをウマく演出していて観ていて爽快だ。 もちろん「ネオ」なんだけど、このネオ加減はイイと思う。『ははは〜ん!さすが“マトリックス”♪』と叫びたくなるほどの監督らのアクション魂こもった作品だ!
ジェットコースターに乗ってる勢いで酔います。そ、遊園地に行ったつもりで観てください。

おまけコメントだけど、レーサーXがクール! 最初は絶対に人前でマスクをとらないんだけど、主人公スピード(※変な名前だよねータイトルがそのまま名前ですから。。。)の目の前で初めてマスクをとる。するととたんに顔が「甘く」てイイ! その落差、キャスティングの勝利!
ストーリーそのものはもちろん“マンガ”らしいので、かるーい気持ちで「楽しく」「気持ちよく」なれることは間違いない。
こういう映画には「映画批評」の介入は必要ないね。子供も大人も楽しめる。男の子はもちろん女の子も楽しめるんだな。

口笛と自転車とホットチョコレート


この連休は天気が良いですねー♪
長引いていた「咳」もほとんど無くなってきて復活(カラオケとか行ける)の兆し!
ちょっと塞いでいた事情もあったため、ダーが今日はサイクリングに誘ってくれた。
ほんとは気分はうちにこもっていたのだけれど、出かけて良かったです。

ゴディバのホットショコラはおいしくて、しあわせの味だった。
帰りに買ったムーミンカフェのバケットは小麦と塩のちゃんとした味だった。

久しぶりに、楽しいゆうべ。
ダーが作ってくれたシンプルな唐揚げとほかほかのご飯が異常においしくて、なつかしかった。
涙が出そうだった。
なんだ、私、しあわせぢゃん、とか思ったりして。

mardi, novembre 18, 2008

ブエノスアイレスの夜★★★☆☆

苦みの効いた映画が観たければこの映画も良いと思う。
先日、アルゼンチンの旅人が家に泊まっていたということもあって、アルゼンチン関連の映画を探していたらたまたまこの映画にぶつかった。「ブエノスアイレスの夜」

トラウマになるような体験を持つ人もいるだろう。
この物語の主人公の名はカルメン。彼女はアルゼンチンの歴史の影に隠された被害を負う者。心と身体の傷みを封印して生きた20年とは一体どんなものだったのだろうか。セシリア・ロス演じるカルメン。彼女は私の好きな女優の一人だ。スペイン(&南米版)のジャンヌ・モロー的存在だと勝手に思っている。
歴史は大勢の人の運命を左右するだろうけれど、彼女は拷問を受けたことで女として成熟しなければならない段階でセックスと無縁な女性となってしまった。不幸なのか、幸いなのか、身ごもったまま監獄に。
性に対しての屈折した克服と処理。彼女なりの努力とアイデアで生まれたのが扉越しのセックス。
この描写は非常に面白かった。売春“夫”として登場するのは(またしても)ガエル・ガルシア・ベルナル扮するグスタボ。彼もまた中途半端な今時の青年。それがこの彼女との出会いによって、思いがけなく変わる。
二人は、急変し「扉越し」に恋をする。そこまではとても面白い。
その後、とても悲しい二人になってしまう話。

偶然にも、帰りたくない故郷に戻る姉のカルメンとその妹との関係。危篤の父との関係。母との関係。その3人の関係と姉との距離。描き方はとても納得のいくものだった。妹はカルメンの幸せな姿を最後に、(父母に拷問のことを聞かされていたかどうかはわからないが)なぜ故郷に帰らないのかを探りたかった。嫉妬するほど美しかったに違いない。いつまでも故郷から離れられない自分のことを姉のせいにしていたのだろうというところも後からわかった。
その妹と医者との関係も不思議なものだった(一番理解し難いところ)。
人物の描き方がとてもうまかった。

最後に向かうストーリーは残酷な愛の物語。真実を知った若者が、どう行動するのか、どのような心の変化があるのか。手に取るようにわかった。彼は普通の若者だったに違いない。決して特殊な人物ではなかった。

人間の影は運命を大きく左右する瞬間がある。人にその影響をもたらす発言もある。
グスタボもまた、悲しいトラウマを抱えて人生を乗り越えなければならない。彼に重くのしかかる罪。
抗争の中の暗い監獄でのリンチを受けたカルメン。その人生のそれからと、彼女を取り巻く、家族や全てが某かの影響を受けていた。結局、人が人を裁くことの、抗争の、戦争の爪あとは、深く重く、そして細く長くも残ってしまうということを感じた。

dimanche, novembre 16, 2008

おくりびと★★★☆☆



納棺夫日記を本木雅弘が読んで、いまでは漫画化までされているらしいのですが、全くそんな情報を知らず、昨日の昼過ぎに友人Yと観に映画館に足を運ぶ。

感想。面白かった。・・・だけではあまりに素っ気ないか・・・。
いや、チケットを下さった義弟に感謝!(ほんとはその兄である夫と行きなさいという2枚のチケットでしたが)
一言で言って、映画館に観に行っても(日本の映画にしては)良い映画であると思う。びっくりしたのは、満席で次の回を待って観ることになってしまったということ。(それくらい満員御礼でしたよ!亘くん、すごい!)

それはそうと、本編について。
山崎努はとても良いです。あーゆー納棺夫なら説得力がある!と思った。田舎町で、小さな社会の中で、あのような仕事をやっていくのは近所の人の目から見れば「人の死でまんま食ってる」と言われることも然り、それを承知で、ある程度のあきらめや通過点を幾つもくぐってきた人らしい風采は彼にしかできなかったのではないかと思う。
本木雅弘もすごくイイ。まだ結婚して間もなく、どこに身を置き生涯の仕事をしていくのかを迷っている青年。彼の見るからに真面目な風貌がぴったりの役回りである。のち、天職と思えるほどに化けるその様も真面目で美しい青年だからこそ、死の場面を神聖に彩る技のように見えてきた。まるで「神の使い」のようでした。
他に、余貴美子も良かった!設定にもキャラクターも彼女の作り出した世界を感じた。 
けど、キャスティングにひとつだけ文句がある。H末R子。あの人、今もあれを演技と思っているのだろうか?あのなんとも言えないアイドルの笑顔や作った憂い顔をやめて欲しい。その瞬間を見せられただけで映画が三流に思えてくる・・・(悲)。
でも、きっと製作する側の男達の心をくすぐっているには違いない。ううぅ(泣)。。。それがなおさら悲しくなる。
あぁ、切ないなぁ。日本の映画は“カワイイ”女優がすっかり主流になってしまっている。女優はかっこよくあって欲しいと切に願います!
昔の女優のほうがよっぽどかっこいいのだ。(例えば、原節子とか岸恵子とか、あんな顔は作らなかったと思う!)
日本の映画を語ると、こんなことをつい言いたくなるので、そしてとても熱くなってしまうので、この辺で。
H末ファンの人、まことにすみません。TVやCMではもちろんかわいいので良いんですが、やっぱりフィルム向きではないと思うんです。
ま、しかたないか。。。

さまざまな職業があり、さまざまな現場がある。
昔、ご飯がやっと食べられるくらいの、夢を追っていた時の自分の姿が主役に重ねられた。
いろいろなバイトをやった。いろいろな「役」を演じた。(長くやっていたらもっとたくさんの役をやっていたかもしれない)
その間に、葬儀屋さんのバイトをしたこともあった。この経験は、バイトといえどもとても良い経験をしたと思っていた。
それを裏付けるような映画であったことは確かだ。
職業によって、外側の人間に差別され、偏見を持たれるということもあるだろう。
でもそれは、決して内側から観た判断ではなく、そして責任のある判断でもない。
どんな仕事をしていても、自分を見失わないということ、それに向かう姿勢が確かであることのほうが大事だということをこの映画は伝えようとしている。

dimanche, novembre 09, 2008

バッド・エデュケーション★★★★☆


ペドロ作品の中では、★4つ。というのは、完全に好みって点での判断です。「女性」が登場しない。。。というのが理由の1つ。この監督の作品の中でかっこいい女だったりかわいい女だったりという存在が何かエロティックなものを提供してくれるというのが常であるが、今回はそれを男性に演らせている。
さっき、ノンフィクションと書いて、いまうちのひとに「ちがうよ」といわれたので書き直すけど。フィクションと思って借りた映画(DVD)だったんだけど、見終わった後にまるでノンフィクションのように描かれていたので、すっかりだまされてしまった。それも彼ならではなんだろうなぁ。しかも自虐的だ(笑)♪
例によって、ストーリーも伏せてただ観た感想だけを記し、好きな監督、好きな役者、だからといって評価を高くしたのではないということは断っておきます。

見所は、ガエルが3役(2役)やるというところ。中でも“サハラ”の役。楽しそうに演じているのも良いし、彼は反面「ダサイ」「田舎臭い」ところを持っているというのが素敵な役者だ。顔も表情もイイ役者だが、演技の種類もとても潔くて(ラテン系らしく判り易く、それでいて大雑把ではないところなど)とても好きだ。彼の持ち味が活かされている映画だと思う。

監督の狙い所がまた憎い。
彼は人間の心の弱さを描くのを得意としているが、それが(ラテンの人らしく)とても判りやすくて嬉しくなる。
悲しいけれど、それは宿命ともいえるような“あきらめ”にも似た昇華されたもので、自分自身をさばいている神様を常に思わせる。
こんな状況の中で、人はどう判断し行動すべきなのか?
こんなに辛い状況ならやむを得ないのかどうか?
という自問に、勝てる自分を持っているか、イメージできるかどうか?
などを試されているような。
映画監督という使命を通して、これから観客に何を提示すべきかを良く判っている仕事人だと思った。

samedi, novembre 08, 2008

多事争論の偉業

筑紫哲也の多事争論はもう更新されないのだろうか。
この人の偉業はあらゆる分野に及んでいるため、私なんかが語ることなどなにもないのだけれど、しばらく感じないほどのショックを受けたため、私事としてメモしておく。

彼は死なないと、すっかり信じていた。
私にとって、社会の灯台のような人。遠くにあるけれど、じっと冷静に居場所を教えてくれていたような気がする。
ジャーナリストという職業を、唯一“縁遠い”と思わせなかった人。
都会に来てまだ思春期だった頃、オトナになりたくないと思っていた頃、オトナになることもなかなか良さそうだと思わせてくれた、信じられる大人だった。それも変わらずいつもソコにいて・・・その人が旅立ったことを知った。
大好きだったスターが亡くなった時よりも、ショックである。穴が開いたような力の抜けて行く感覚。
私たちに、論じることなんてし続けることができるのだろうか。
マイノリティを恐れないで発言し続けることができるのだろうか。
医学は進んだとはいえ、まだ財産とも言えるほどの人物を救えないでいる。批判ではなく、不可能なことを可能に変えることはやはり困難なことなんだと、当たり前ながら感じる。

人が死ぬとき、要するに「身体を」失って放たれたとき、魂みたいなものや形跡を、残された人によって凝縮されて、まるで良くなかったことは全部空気中に蒸発してしまったかのように語られる。

そう言えば、5年前くらいだったかな。一度だけ、広尾の駅付近で信号待ちしていたら隣に筑紫哲也が来たことがあった。ぼうっとしていたのに、隣を漂う空気の振動が存在を気づかせた。そう、普通のおじさんであって、普通ではなかった。やはりなにか光を放っている綺麗な人だった。

綺麗な人。形のことではなく、身体を失ったときに綺麗でいられるよう、そのときが来るまで、最後まで気を抜かないで仕事(この世における)をやっていこう。今日は格別にそれを感じる。仕事(使命)を貫くことは並の力では出来ないけれど。。
さて、鉢巻きゆるんでいたので少し絞め直すとするか。

vendredi, octobre 17, 2008

SAYONARA/トウキョウデイズ


「ラ・マレア横浜 ペンソッティ演出の路上展開パフォーマンス at 中区吉田町」の様子


3週間ほど前から、家にアルゼンチン人がいる。
アムステルダムの住人で、日本に留学(?)中。


縁ってふしぎなのね。

アムステルダムのダンスフェスティバルでダーの公演を見に来ていたらしい。
その2ヶ月後に再会。うちに住んでいる。
お茶の水女子大はここから自転車で15分。彼はそこに通う。
そして今日が本番の日。
パブロ・フォンデヴィラ/New Dance Creation 'Japon' お茶の水女子大学モダンダンス部とのコラボレーション

明日は、アーキタンツの講師。
パブロ フォンテヴィラ/コンテンポラリーダンス

この3週間はほんとうに愉しかった。
そして学ぶことが多かったように思う。
例えば、彼は典型的なラテン人。(差別抜きの話だが、私はラテン系の人の方が気が楽だ♪)
家族をとても大切にする。

今まで、インド人、ドイツ(スウェーデン在住)人、などがステイしたことがあったけど、一番楽だった。
以前は面識のある人だったけど、今回は会ったことの無い人。フランス語も、英語も中途半端すぎる私にとって、最初から知らない人は大変だった。
けれど、コミュニケーションってことばじゃないんだよね。何とかなるもんだ。。。
フランス語も少し彼は知っていたし。

神楽坂を案内したり、一緒にお料理(アルゼンチン料理とか)したり、十二社温泉行った帰りに土方専門店に行ってニッカボッカを買うのにつきあったり、横浜にパフォーマンス観に行った帰りにプリクラをみんなで撮ったり、流鏑馬を観に行ったり、DVDを観たり、初カラオケにみんなで行ったり、タンゴの話をしたり、スペイン語と日本語の話をしたり、髪を切ってあげたり。。。たくさんの思い出ができた(明日は初メイドカフェの予定)。




いつまにか、すっかり「弟」のように居座った彼が、明後日には離れるとなると少し寂しい。
いつもシャイなロイもすっかり慣れていたのに。

mardi, juillet 29, 2008

8月1日(金)リーディング/下北沢

近々の告知にてごめんなさい。
来られる人は、ぜひきてね♪
あたらしいの、いまから書きます。。。(汗

みなさんにお会いできるのを楽しみにしています!!


◆◆「piece of formant vol.5」〜周波数のかけら達〜◆◆
8月1日 (金) @下北沢 piece of 8  
http://po8.jp/index.html

OPEN 19:30 START 20:00
Charge: 1,500円(1D付き)


朗読
・ZULU
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2861855
・後藤理絵
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1076868
http://www.cw2.jp/2006-06/0001/goto0628cw2/


演奏
・Hiro(安藤博光・ギター)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1737009

・たろう(バリトンサックス)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=7372281

vendredi, juillet 25, 2008

jeudi, juillet 24, 2008

ハイフィンが、跳んだ。。。

2年前くらいから買いはじめたのがメダカの仲間、ハイフィン・ヴァリアタスという熱帯の種類なんですが、数日前に水槽掃除をしてボールに半日引っ越ししている最中に、先代(うちで産まれた稚魚から大人になったもの)のツガイの1匹が亡くなってしまいました。多分、そうとう暑かったのに・・・午前中に陽が差し込む場所だったことも原因だったのかもしれなくて。。
それで、仲間を(これまたツガイで)買って来たので合計3匹になった。あまり大きくないのですが、この水槽には同日購入の仲間(名前が覚えられなかった)ツガイ2匹とオトシンクルスが1匹。水槽の中には計6匹になる。

今日の昼頃のこと。
水槽をじっと見ていたら先日買ったばかりのハイフィンがいない。浄水装置の裏もくまなく探したが見当たらない!
どうしたんだろう。もしかしてダーは死んだのを黙って(わたしが悲しむので)こっそり鉢植えのどこかに埋めたのか?と、メールしてみる。・・・返信が無い(たぶんその時間いそがしかったのだろう)。

暫くして、肌がけ布団が出ていたので、仕舞おうとして退かしたら、、、、その布団の下からハイフィンが・・・からからになって出て来た。。

今日の、いちばんのショック。

いや、しかし水槽からその場所までは約1.5メートル。小さな、あの身体で跳べるとしたら、それは奇跡とも言えるほどの跳躍。
どうしたんだろう。ほんとうに。

ハイフィンは体長約3.5センチほど。背びれが長く後ろにたなびかせて泳いでいる(雄の方が長め)。今回亡くなったのは雄。
推理しても、全くわからない。水温は特に熱くなってはいなかった。

だとしたら、やっぱりテレビ横の設置が悪いのかもしれない?!
もしかしたらバイオハザードの変な音が影響したのかもしれない?!
謎は深まるばかり。

ハイフィンに、名前は付けていない。死んだときに悲しいから。
でも、ほんの数日しかいられなかったことに対して、とても悲しかった。
本当は、何年か生きられるはずなのに、ベストな環境を用意してあげられなかったことが悔やまれてならない。
残りの子達は大丈夫だろうか。。。心配。。

インドカレーとフリスビーな人たち

日曜日の夜、フリスビーで日中に汗を流してきた人たちが元気な顔でわが家へ〜♪
ようこそ! つねちゃん、せたくん、すがちゃん、たなみくん。それからりんだと(打ち合わせあったのに後から駆けつけてくれた)たろーちゃん。。。もう、ほんとにおひさしぶりの面々。(おーやまさんははじめましてだったね♪)

午後、いろいろと野菜などを買ってダーが久しぶりに本格インドカレーを作る。
わたしにはちょっと辛かったけどおいしかった〜♪

なんだかみんなの顔を見て自分も日中にフリスビーをやってきたかのような気分に。(実際は、wiiのヨガメニューを全てやって一汗流した午後だった)
みんなも家人もわたしもなんか楽しくて時間を忘れてしまっていました。
ふと気がついたのは午前3時くらい?
それから,少し片付けなどしていたけど少しの間テンション高めで眠れなくて、ダーはバイオハザードⅣを。。。
あーあ、益々テンション上昇。
結局、連休最終日もダラーッと良い感じに過ぎていきました。

そろそろ、梅を干さないと。。。
と、思いつつ。。。

今週末は恒例の神楽坂祭り♪ 友人たちがうちに遊びに来てくれることになっていて、夏はほんとに楽しいコトだらけー♪

mardi, juillet 15, 2008

初夏、卒業したきみへ

卒業の日に


ある冬の寒い日
明るい表紙の絵からきみはぬけだしたように
突然あらわれた

四つのひざ小僧
かたいガラス窓にこちんとぶつかるので
ぼくたちは同じ色のトレンチコートはおってた

春になると
四つのひざ小僧は
それぞれ二つずつ向き合うようになって

夏になる前に
はなればなれになった

季節はうつろう三回目の節目で
三月ではないというのに
「卒業」とよぶ、この日に
夏はまだおわらないとあぶらぜみは啼く


きみによく似たデパートのマネキン人形は
きみによく似た髪型で秋の服をはおる

その凛々しい前髪のように
たがいのひざ小僧あわせてさわやかにお礼をする


********
3年前に書いた詩をちょっと整理してみた。
詩集の制作の頃に、書いていたものだったろうと思う。
「卒業」とあるが、後輩が会社を辞めたときに作った、ある意味贈る言葉のつもりで書いたのを覚えている。
彼女は、美しいきりりとした姿の人だった。いま、何をしているのだろう。
その頃の会社は、社員たちが必死になっていろんなことをしていた記憶がある。
それなのに、なぜ、うまくまわなかったのか、ふしぎでしょうがない。
少なくとも、わたしのまわりにいた社員たちはいつも良きライバルで良き仲間であった。
みんな、みんなうまく「卒業」できてる今、あらためて思い出してみた。
自分も、うまく卒業できたのだろうか。
わたしはいまだに、あのとき作れなかった本のコトを気にかけることがある。
仕方のないことだけど、それだけ思いのつまった宝箱みたいなものだということも知っているから。

みんなに、ときどき無性に会いたくなったりして、ときどき同僚たちと食事を囲んだりしている。
輝いた笑顔の卒業生たち!カンパイ!

ブーゲンビリアと誕生日のゆうべ


風になびく花は葉っぱの延長みたいな脈が見える。
その花色はとても鮮やかで真夏の太陽に良く似合う。。

昨日、わたしの誕生日のためにこの暑い日差しの中、娘さんの七緒海ちゃんを連れてやって来てくれたかおり。
「ありがとう!」その言葉しか告げられなかったけど、わたしのベランダは一気に華やいだよ。

インドのバンガロールの公園に一人で訪れたときのことを思い出した鮮やかな花。
渇いたホコリっぽい街の中のエントランスの沿道をぎっちりと飾っていた。

旺盛に咲いてほんとゴージャスなんですが、来年もちゃんと咲いてくれるのか!?と、いまから不安になっている。
かおりは「ぜひ来年も咲かせて欲しい」とひとことあっさりと残したけれども、確か2年前の夏にマダガスカル・ジャスミン(けっこう丈夫そうなんですが南国の花なので冬越しできなかった)とか、去年のパッシフロラも花が咲かずに死なせてしまったことを思うと、かなりのプレッシャー。。。

どうか、どうか死なないで来年も再来年も咲いてくれますよーに!!と、願いを込めて、「行灯仕立て」になっていたツルを丁寧にほどいた。



かおりと七緒海ちゃんを駅まで見送るとめずらしく早く帰宅すると早速ご飯を作ってくれるというダーから電話。
帰ってからおいしくケーキまで頂きました!












おっと、忘れておりましたがキッシュ。。。あ、今日も食べてなかった。。。
明日、大丈夫かな。。

lundi, juillet 14, 2008

le 14 juillet / 母と顔色


モノクローム


生まれる前の世界は
モノクローム

ある日の夕暮れ
空は青に橙のグラデーション
陽は紫から濃い紺色に
やがて暗闇のカーテンが
降りてくる

わたしの産声は
闇を裂く赤の色

命輝く桃の肌の下に
隠した虹色




*************
誕生日には、母のことを思う。
母は、わたしを約十ヶ月もの時間をかけて、多大なるエネルギーを注ぎ、準備してくれた。仕舞には、最後の力を振り絞ってこの世に生み落としてくれた。
考えてみると、それは大変な労力であって、このわたしはいまだに経験をしていないという未知の仕事である。
そんな仕事を買ってでもしたいところだが、これまた神さんのみぞ知ることでもある。

母は、か細い身体(当時は)で産んだ子供が、あまりにも大きな声で威勢良く泣き、また産婦人科の先生に「ピンク色のキレイな赤ちゃんですねー」と、婦長とその他のスタッフみんなに褒められた(それは多分お世辞だろうが、その辺良いところだけ聴こえてくることも母らしい)らしく、誕生日にはいつもその話を聞かされた。

考えてみると、悩み多き中学時代は「あなた顔色悪いわよ!?大丈夫??」と、廊下ですれ違う保健の先生にはいつも腕を掴まれていた。「顔色いいですね」なんて、産まれたときしか言われたことがなかったんじゃないか?と、思うほど。。
母は色白で、年をとった今でもファンデーションはわたしより明るいトーンの(しかもオークル系ではなく、日本人に珍しいピンク系)ものを使っている。
つくづく母に似たかった、と思春期のお化粧品をそろえるころには思ったりした(父上、申し訳ない)。

ま、とにかく、親というものは子のことを一番に思い、その子が幸福であってほしいと願っているに違いないのですが、それにわたしはちゃんと応えているのでしょうか? 今年も一年、健康ではありました。ありがとう。
それと、フランスの革命記念日ですね。ニュースではパレードの放映とかいまだにしているのでしょうかね。
(写真は、数年前のパリの夜撮った写真/画質悪いです。。。)

さ〜て、明日(今日)は、何をしよーかなー。
日曜は午前中からガーデニングに精を出してみたが、また有意義な一日にできますように♪

vendredi, juillet 04, 2008

かみさまのかぜ

お陽さまのおかげで
背中が暖かかったのに
夕方から急に
寒くなったベンチ

神さまのくしゃみが聴こえる

拍子に胸から転げ落ちた大きなペンダントには
手が届かなくて
そのままにしてたよ
あたし

ときおり
木陰のポニーテイルが風に揺れてるのをみて
時計の針が過ぎるのを確かめる

うしろの神さまは調子っぱずれのギターかき鳴らし
「あしたはあしたの風が吹く」とか唄っている

この腕時計は骨董市場の戦利品
ひびが入ってるのにちゃんと針が動いてる

mardi, juillet 01, 2008

ICE CREAM

アイスクリームがすきです。

特に、しょっぱい味がすこーしだけするような。。。

例えば、ミントアイス。
すっごく甘いのに、ミントの味とチョコの間に、ほんのすこしだけしょっぱさを感じる。

そういう複雑な味わいがたまりません。

塩アイスとか、塩キャラメルとか、酢豚にパイナップルとかハンバーグにパイナップルとか
そういうたぐいの味にすごく惹かれる。

もしかしたら、それはいろいろなものの好みにも当てはまって、人を好きになるのも、映画の趣味も、本の趣味も、自分の作る物も、ずっと、そんな「味わい」を求めていたのかもしれない、なんて思ったりして。

アイスクリーム。
甘い中の、つめたーい中の、わずかな塩気を、求めて・・・今日もいただきまーすっ!

lundi, juin 30, 2008

フランネル・フラワー


神楽坂にある一年くらい前にオープンしたかわいいお花屋さんでこのお花を買いました。
セリ科の植物で、花、葉ともに起毛で覆われていて、尖った白い花びらの先だけみどり色になっています。

2年くらい前から存在が気になっていたんですが、そのころはまだ希少で、ネットなどでチェックしてたけど少しだけ高価で手を出していなかったのですが、約1000円だったので。

いや、実はわたしのかわいいベランダのお花たちはバラ以外は全て安価で手に入れて育てて大きくしたものばかりなのです。

ハーブの類いは大概150〜300円台でそのほとんどがふたまわりくらい大きくなっています。

大きく育つと、ウチの子になったという実感が湧いてすごく嬉しい!それがガーデニングの醍醐味なんでしょうね。
ほんとは「鉢」「コンテナ」なんてものではなくて地植えしてあげたらもっともっとすくすくと育つんでしょうけど、仕方がないですね。
バラのアーチは雑誌で見てあこがれを抱くのがもっぱら。果物も育てたいし。。きりがない。

今回は、格安で小さな苗木のくちなし(あまりもののように店に置かれていた)と、このフランネル・フラワー。
どちらも、白くてとても美しい花たち。

白くて大きすぎない可憐な花、大好きです。

samedi, juin 28, 2008

君とボクの虹色の世界/moi, toi et tous les autres★★★★☆


ミランダ・ジュライ初監督作品。
女性の監督、それだけで賛否を語られそうだけど、この人なかなかのセンスの持ち主です。
そしてチャーミングなキャラの持ち主。
主演女優かつ監督を見事にこなしているし、生き方や恋愛に不器用な女性にはグッと心をつかまれるような描き方。勇気が出ます。恋愛に無頓着だったり、自分の感覚やセンスに自信が持てなくなったとき、ぜひ見て欲しい作品。

女であるから描けた作品というと男性にひかれそうだけど、ちょっと感覚の鋭い男性ならきっとくすぐられてしまうこと間違い無し。そして、女性なら、どんなことも少しの勇気があれば、なんとかなるんではないかって気がしてくる。

登場人物すべて、カッコ良くはなくていわゆるフツー、いやどちらかというとなにがしかの“事情”と闘いながら日常をおくっている人々。生きていることは、儚くいつ壊れてしまうかわからないきわどいものであって、だからこそ愛おしく大切にしたいというメッセージも監督ミランダから発信されている気がした。

生きているキラキラ感を、この作品から感じ取れる人がたくさんいますように。。。

ほぼ日のインタヴュー

mercredi, juin 25, 2008

ヨガ講師と女優

わたしの古くからの友人で女優という仕事をしながらヨガの講師になった人がいる。
よーく考えてみたら、出会ったのは約19年前。わ、、そんなに長いこと??ということは青春を共に。苦楽を共に。。。たしかに彼女のマンションに転がり込んで、“同じ釜の飯”も食った・・・んだった。。。
考えてみたら、一番参った時はいつも彼女の胸を借りていたわたし。よく「年をとったら茶飲み友達」「葬式にはどちらがいくことになるか」「旦那に寝取られてもあんたなら悔しくない」とか、ブラックな話をしてたっけ。。落ち込んだ時は(一緒に住んでるのに)一緒に風呂に入って垢擦りで背中を流したり。。いまでも、彼女との距離は(離れていても気持ちの上では)あまり変わっていない。そして何よりも、いつも幸せでいて欲しいと願っている人だ。

最近は、時間ができて彼女と会える時間も増えた。ここ数年、忙しいとかって言いながら、時間の調整できなかったこともあるし、そう距離の遠い場所に住んでいた訳じゃなかったはずなのに「いつでも会える」と思っていたのかも知れないね。

ヨガブームが一段落、というような今頃になって(むかーしブームになるまえの20年前くらいに齧ったことはあったけど)あらためて情報を聞いて、彼女も受講してみたいという、ある有名な先生のところへ行ってみた。それが月曜日。
この前まで、いくつか選択肢があって、ほんとはwiiを買って家でやる、あるいはコアリズムを買って家でやる。外でやるなら、以前やっていた太極拳、またはフラメンコかってところだったのが、彼女が講師だったことを思い出して。。。
実際、ヨガ教室って多すぎるし、なんかだれでもやってる的なところに魅力を感じていなかったんだけど、身体にいいことはわかっているので身近に先生がいるということでは心強い。

月曜日の昼、荻窪駅待ち合わせ。その日はもちろん体験コースなのだが、充実したメニューだったし、何よりも先生のオーラ?というかカリスマ性が感じられたことが満足感に繋がったのかもしれない。月曜は深夜まで彼女と一緒にいて、夜ライブを見せてもらった。月曜の充実のおかげで、たった一日間が空いただけなのに、身体がなまったような感覚に。
ヨガって不思議な麻薬のような魅力があるんだなぁ。以前やってたときは、芝居の稽古前、ストレッチとしてやっていたので、それこそ毎日のようにやっていたので、そんな「効果」に気付いていなかった。とにかくトレーニングに忙しかった日々だったから。。

そういうわけで、以前から気になっていた近所にある"ホットヨガ"の体験コース(キャンペーン価格)に行ってみた。ホットというのはわかるけど、こんなに汗の量が違うなんて。。。ほんとにビックリ。ボトムのスウェットは“洗濯中の脱水前”くらいのびしょぬれ加減。す、すごい。。。1リットルの水をたったの1時間で飲み干すわたし。

そうね。。近いからって理由ではホットヨガの方だが、先生という点では圧倒的に前者のヨガ教室に魅力を感じる。遠くても行く価値があるようにも思う。
うーん。もう少し、彼女の話を聞いてから考えるとして、一緒に体験コース巡りを楽しみたい。

明日は、彼女の次の住処になるかもしれぬ物件を見におつきあいを。ちょっと遠くなるので寂しいけど、昔ほど「遠い」とは思わない。場所が遠くても、ずっと近い人。まぁ、そんなことも含めて、俳優業を離れた今、また別の“共通の趣味(=ヨガ)”があるとうれしいし、互いに健康であるといいなって、漠然と願っている。

リスボン物語 ★★★★★

リスボンへはまだ行ったことがない。
この映画を観て、ポルトガルに旅したくなった。

映画を語りながら、詩的で音楽的(ヴェンダース、またしても恐るべし)。
あらゆる感覚を呼び覚ます。

「だれでもない人」には、だれもが当てはまる。

ロードムービーをお得意とする彼ならではのセンスとユーモアをもって、全神経を「仕事」に注ぐ。

冒頭部の車内からの視点で南仏を抜けてスペイン通過、リスボンに入るカメラワーク、主人公は途中でやっと顔を見せる。
映り込む主人公はすぐにそのキャラクターが見て取れる(さすがのキャスティング)。かなりお間抜けな録音技師。
でも、とても情の深い人物であることも同時にわかる。“足のギブス”という演出で(ヤルな)。それでも、嫌味のないキャラであることがさらにすばらしい。
骨折した足を引きずりながらも仕事仲間の突然のSOSの絵ハガキの中のリスボンに向かう。それも、おんぼろ自動車で。
音。映像。絵。なにかを「創造」するということは、自らを迷路に導くようなそんな時期はあるだろう。
友人の映像作家の"SOS"とは、“非常にまずい状況”だったわけだ。さまよい、漂流したまま戻れないかもしれない、そういった状態にあった。
友情を描きながら、芸術を追求する苦労、貫くことの困難をも見事に描いている。
途中、街の音、音楽、友人のヒトリゴト、虫の飛ぶ音、など音に敏感な彼(主人公)でこそ気付ける要素が鏤められているということなど、演出の繊細さと愛すべきアイディアに満ちている作品だった。
マドレデウスの音楽も美しい。

映画の違った楽しみ方をしみじみと感じさせる。
映画の良さを(押し付けるでもなく)、「映画を通して」教えてくれている映画。

dimanche, juin 22, 2008

fete de la musique

曇ってたけど、今日はKayoとYuとWataruとItaruと午後は日仏学院の音楽祭に。
Fredとかって、旅する一匹狼(?)シャンソン歌手が来ていて、それまでちょっとご機嫌がななめっぽかったItaruはノリノリで、以来元気になった〜!不思議な歌手のアルバムタイトルは気になったままだけど。。。(「俺の種子」だって!?)
よかった、いつもの愛らしさ炸裂。その後、雨が降り出したのでうちまでみんなで歩いて夕ご飯。
Itaruくん、キミの笑顔に大人たちみんな癒されたよぉ。
(久しぶりにあったKayoも家族に巻き込んで♪)大人数で食べるご飯はおいしいねー♪
大家族な感じでうちで続きのプチ・フェットゥ〜♪

夏至。
いまは、大雨。
梅雨って明けたんんじゃなかったんだね?
湿気。湿気。

明日は晴れるかなー?!
カラッと晴れた日曜日がいいよねー♪

mardi, juin 17, 2008

アメリカ、家族のいる風景 ★★★★★

評価、甘いかな。ヴィム・ヴェンダース監督には。。。

英題で、「Don't Come Knocking」実際、このタイトルのほうがしっくり来るのだが、観てからは邦題も悪くはないと思えた。
「パリ、テキサス」の名コンビ(脚本:サム・シェパード)。

「家族」というものは、血のつながりだけでもないのではないかと思うのだが、人と人との間には、目に見えない小さな約束事がたくさんある。「家族=社会」でもある。それは血が繋がっていようと、繋がってなかろうと関係なく“一人”の個体としての意識の中に、どれだけ相手を、受け入れられるのかってこと。互いに、別の人格を持っているということ。それを理解しながら(例え子供であっても)全てを受け入れるというのは簡単なことではないと、大人になって今更ながら考えてみる。だから、血の繋がりのない相手と密接になれることは希少だ。

結婚というものは、1つの制約でしかないのだと思うのに、それがいつしか絆のように硬く繋がれていくと思えるのはなぜだろう。自分が大人になったからだろうか?それとも、鈍く、そう思う方が楽だからだろうか?
そういうテーマも隠れている気がする。
サム・シェパード扮する西部劇のかつての人気スターが、撮影現場を馬で逃走するところから展開する。彼の今まで考えてきた生き方と、老いていく自分をふと振り返る分かれ道が、そのシーンから伺えるのだが、展開の仕方が明るく楽しげなのに、何処か滑稽で悲哀を醸しているところがこの作品の最初の見どころだと思う。

何にも束縛されないこと。それを自信としてやりきる手前、振り返った時の恐ろしさ。
両親にさえ自分の居場所を教えることなく30年もの長い時間を一人でいた主人公が、「家族」を求めて旅する様は、まるで年を取った子供のようでさわやかだった。「いまさら」というくらい時間が経ってはいたが、今それができるなら、と、観客に許すスキを与えている演出になっていた。

青年になった息子をじっと待つ時間。
大切な自分に目覚める時間。
かつての恋人に、自分の複雑な気持ちを整理できずにぶつけるシーンは(元恋人:ジェシカ・ラング)月日を物語る重さを見せていた。
最後の、娘からの父に贈る言葉、はっきりと覚えているがここには書かない。

すがすがしくて、軽快で、明るく、じっくりと熟成された感動を与えてくれる作品だった。

dimanche, juin 15, 2008

吉本興行。常磐線。横尾忠則。安藤忠雄。副都心。トウキョウex。

先週の金曜日(6/6)夜にはじめてよしもと観に行って、目からウロコ、興奮覚めやらぬまま(6/7)土曜の早朝に上野から常磐線で水戸に。午前中の法事のために向かったが、なんだか実際のお経と説教はかなり簡略化されていて、有り難さの意味では随分物足りない感じではあった。けれど、なかなかお会いできない人たちと顔を会わせるのは悪くない。雨のふらない梅雨の週末にも感謝。濃厚な一日を終え、日曜夜に帰った。

実はその・・・今まで・・・お笑いのブームとか、お笑いファンの人に対して、少し冷たい目線でいました。ごめんなさい。
金曜夜のルミネでの初よしもとは、笑ったし、感動した。(目当てだったはんにゃは案外あっさり終わってしまって、いつものへたれキャラ炸裂でした。)
テレビでのお笑い番組はイントロでしかない。そう思った。舞台の緊張感、観客の空気、仲間でありライバルである他の芸人たち・・・この環境で日々のスケジュールのご多忙なんてなんのその、「今この瞬間」をつかみ取れと必死な芸人たちを目の前に笑わないなんてできない。本気で笑わしてくる。本気で笑った。
舞台に立ったことのある人ならわかると思うが、あそこに立つことの緊張感はハンパじゃないと思う。けれどそれを全く感じさせずに、観客の心を(水面下で必死に)くすぐりに来てくれた。「がんばらなきゃ」って元気も、心の中が溶けていくような優しい気持ちにもさせてもらった。

ここにまとめて書くのも気が引けるようなメンバーもいらっしゃいますが、単にまとめです。

横尾さんはよく「科学では解明できないもの」が見えてしまう方で、その“天然”ぶりは周知のことですが、やっぱり目に見えないものを絵にしているんでしょうね。それは、昔からなんだと思います。ただ、今日、あらためて思ったのは、彼は生まれる前の記憶も記録しているということ。
エロ・グロ・ナンセンスって言葉を思い出させた。非日常的な絵図に彼なりのリアルを記録している。夢を記録している。夢こそが現実、現実こそが夢。そう思えてくるような錯乱を起こす。それは、多くは色とコラージュやデッサンの「狂い」「外し」というトリックによるものではないだろうか。さすがに冒険王(ほぼ日)!《こちらも素敵な→横尾アニメ

以前、服飾の勉強をした頃「色彩学」なるものを学んだことがある。
色彩を扱うためには、学ぶということはもちろん大切だと思うが、ある意味先天的、あるいは刷り込みのような磨きをかけるものが一番で、色を学ぶことは、そこに2割増しするくらいのものだと疑った。
学ぶことって、種類によってはほとんど役に立たないことがある。(基本は大事なことが多いけど)
一方、学ばなければそこから先には進めないことも事実である。

横尾の世界は、ほとんどが先天的なものに突き動かされていると感じた。
画家にいつも感服してしまうのは、学んだことの「エキス」だけを自分のものにできるということだ。
とりわけ、色に関して、その才能だか、センスだか、エキスだか。。。ふつーの人から見たら「この人は色音痴か」と思うくらい強烈に圧倒的な自信を見せつけられた。

帰り道、そんなことを考えながら今日開通となった副都心線の渋谷駅を通って半蔵門線に乗った。
渋谷改札を入って行く向こう側には宮崎駿のラピュタに登場するオームの中に潜り込むような造りに「さすがザ・トウキョウ!」と外国人感覚で思ったりした。近未来でもないし、いかにも「トウキョウ的」だった。(通称「地宙船」というらしいけど、なにか生きているものか、架空の船か得体の知れない感じが、特に)
清掃が大変そうだけど、白くて、その曲線が美しかった。安藤忠雄作。

今日は、「忠」の付く人の作品をたくさん見た。

今朝は、水戸から大量の納豆が送られて、そのなかの「しょぼろ納豆」は、大手デパ地下の特産品展とかでないと手に入らないくらいなので、シュゥエット! 白い炊きたてのご飯のときに。感謝して頂こうと思います。(乾燥納豆もすてき)

mardi, juin 03, 2008

昔の仕事:「あの日の"わたし"がいる!?」

中西保志 「UNFINISH~あの日の君がいる~」。。。のPVです。

こんなのあげると、そうとう自分のことが好きな人だと思われるだろうけど、あんまりなつかしかったのと、まさかYouTubeで拾えるとは思ってもみなかった(アナログな時代の制作)ので、ちょっと公開させてもらっちゃおっと。

じつは昨夜、マイミクさんがテレビ(歌番組)に出演されるというので観ていたら、なんと突然中西さんが出演。ってことで思い出してもしや。。。と思いました。すぐに出て来てびっくり。やっぱりわたし、若い、かも。(年月とは。。。没)

lundi, juin 02, 2008

告白/コクハク

わたし、イハンしました

ケイヤクに、
土足で横切るような

あの、工事ゲンバで
耳を、切り、落としました

血が、
このノートを濡らしました

開くと、中まで濡れて
ぐしゃっと、紙はいくつかの塊に

メモに何を書いたのか
何を残しておきたかったのか
わからなくなりました

もう、何を書いたのか
いや、書いたときに
終わったことだったのかもしれない
すでに

血は、
アカじゃない
アカじゃなかった

血には、
言葉もない

血は、
静寂の後
硬く、硬く
まるまって
そこに、根をはる

わたし、イハンをしました
ケイヤク書に血を、落としました

わたし、の、心臓には
穴が残りました

そこには、ひとすじの風が吹いて
涼しい、気持ち
躯が、軽くなった

穴は、もう、もとにもどらなくて
けど、
その穴の形を、指でたどって
はじめて、
後悔の涙というのを流しました
生まれて、はじめて

太陽
ひかり
あたたかい
感じる

コク、ハク、
わたしは、まだ、
死んでない

わたしは、まだ、
死なない

ケイヤク書に
穴は
空いたまま

わたしは、はじめて
自分の力で

そこから
生まれたばかり




この詩が生まれたのは、昨日。
海賊船をイメージしたという店内で、詩人のZULUとケイコが詩を読むというリーディングライブを訪れたとき、お店の目玉である「肉の塊」と薄暗い店内の中、ZULUさんが「せっかくきたんだから、なんか読みなよ?!」という、なかばプレッシャーをかけられ生まれて来た詩に、読むためではなく、あらためて書き言葉として記してみました。

このごろ、若者の心に「死」の匂いが後を絶たず、消えることなく伝染して行くのを黙ってみのがしてしまうのは心苦しい。
とは言え、鬱とはとても怖いもので、いったん支配されたら自分を取り巻くすべてが呑み込まれてしまうのだ。
体験者であれば、たったひとりでも、「誰か」を救えないだろうかと、試行錯誤しながら様々な表現をしている人を、わたしは数人知っている。(詩人ZULUも、その1人)

友人を「鬱」によって失ったら、悲しい。悲しいだけじゃない、ずっと心に何かの意識がつきまとう。

この中にある「穴」も、自分で無理に埋めようとせずに、「穴」があいた人はいっぱいいる。
だから、穴のあいた、すこしポンコツな自分こそ、愛してあげようよ!
そういう祈りと、メッセージを込めて、この詩が生まれたんだと思う。

ありがとう。

決して完成度の高いものではなかったけど、伝わったと、感じてくれた人がいたので、ここにのせてみた。

ランド・オブ・プレンティ★★★★★

なにも言うことがありません。
映画というものをこんなにもシンプルに素直に観せてくれる人。
映画というメディアに真摯に向かう人。ヴィム・ヴェンダース
ずっとヴェンダース作品は観て来た。私の中ではずっと注目している数少ない監督の1人。

以前、夜中のスカパーで通りすがりに最初の何分かを見逃した作品をあらためて拝見。
ドキュメンタリー映画も撮れる彼が「ドキュメンタリーにはしたくなかった」作品ランド・オブ・プレンティ。構想、脚本、キャスティング、撮影時間すべてで約2ヶ月だったという、恐ろしいスピードで作られた。そのフットワークの軽さにも驚くが、クォリティーには度肝を抜かれる。敏腕の撮影監督、若手でエネルギーあるスタッフの力で結集したというが、監督の統率力にあっぱれと言いたい。

9.11の事件以来、さまざまな作品が映画化されてきた中、ひと味違う角度から描こうとしたところに彼のオリジナリティが活きている。
ヴェンダースは自身で「僕の作品の中で、唯一“政治的要素”の強い作品だ」と語っているけど、私の思うところ他の作品にも政治的要素は見え隠れする。彼の意識としては“正面”から向かったという意味だと捉えた。

素朴で天使のように心美しいラナはミシェル・ウィリアムズでなければならなかったし、ジョン・ディールの抑えたイカレ具合も良かった。ふたりの微妙な関係と、一目見ただけでキャラが観客にわかるという点で、せわしなく決めたキャスティングには全く見えなかった。

やはり、この監督は、真の美しさ清らかさを描き続け、押し売りせずに魅せることが極めて長けているキワモノだ。

終盤の、ラナとポールの会話はひとつひとつがとても大切に「ランド・オブ・プレンティ」の意味に向けられている。
(ネタバレはしませんので、ぜひ、観てください!Land Of Plenty

jeudi, mai 29, 2008

ブロークン・フラワーズ★★★★★


映画を遡ってコメント書いているのも変な話なんだけど、先の2つを書いたら「なぜ、これを書いとかないの?」って自分に気付いたので、おすすめとして書きます。

この映画の切なさったらない。ジャームッシュの久しぶりの大ヒット作。ジャームッシュ作品はデビュー作からの4作まで映画館に並ぶほど楽しみにしていたが、ある時からふと見たくなくなった。それは「ミステリー・トレイン」以降。あの作品の半端さが当時の自分には許せなかった。なんだったんだろう。今見てもいやな感じはしないのに、ジャームッシュは面白くてモダンでシュールな監督と勝手に思い込んでいたのだけれど、あれはどれにもハマらなかった。以来、がっかり来てしまってジャームッシュ離れしていたんだよね。

でもこの映画で完全にジャームッシュお帰り!って(勝手に相手を近づけさせるという高慢さ)感じだった。実にシュールでクールだった。ピル・マーレー万歳!俳優としてもう申し分無い!おもしろすぎる。なさけなさすぎる。へたれ中年を演じるなら今右に出るものはいないだろうね。タモリと同じくらい好きです。

つぎつぎに出てくる演技派大物女優たちも見物。最近ずっとミッシェル・ゴンドリーとか言い続けて来た私ですが、80年代に活躍してた監督も頑張ってるので、応援したいです。忘れていてすみませんです。はい。

インサイド・マン★★★★☆


ちょっと遡って、面白かった映画を紹介。
才能ある監督に対して★で評価するのは苦しいが、単純に「たのしめた」という目安でしかありませんのでお許しを。
決して、上から目線ではありません。

スパイク・リーの作品で特に好きなのは「Get on the Bus」、「SOS(Summer of Sam)」、「Jungle Fever」・・・と、思い起こせば90年代に光る作品が多かったように思う。なんとなく久しぶりの彼の作品だったから、やっぱりいいなぁと思ったのです。“正統派”の要素に、彼独特の香辛料が利いている。

この映画の特徴はただの「ドラマ」に終わらないところだ。あくまでも冷静なカット割り。脚本。観客の緊張感を高める目的とか、スピード感が売り物って種類の映画には仕立てられていない。
銀行強盗というとんでもない悪事が起こっているというのに、本当の「悪」ってなんだ?と観客が動揺するような作戦を監督が企てているように思った。

この映画を観て「狼たちの午後」というアル・パチーノの映画を思い出した人も少なくないと思う。スパイクも昔観たんだろうな。だけど、そのままじゃ何のひねりもないじゃない?って、遊び心が彼にはある。

銀行強盗は、良いことをするために働く「口実」だった? 
そんなことで正義を貫くなんてリスクが高すぎて誰にも真似できないよ。。
爽快な映画であることは間違いない。

mercredi, mai 28, 2008

ハードエイト/4、4のぞろ目★★★★☆

名前占いとか星座占いとか・・・あんまり見ないけどときどき見たりすると昔から必ず書いてある「ギャンブル運良好」の文字。
そんなギャンブル運があるにもかかわらず、運をムダにして全くギャンブルに手を出さない私ですが、ギャンブルものの映画には結構好きなものがあります。そしてラスベガスが舞台になっている映画で面白いのもいくつかあります。ジョニー・デップ主演の映画も然り。いや、この映画はもっともっと「大人」の感覚で見られる映画です。
人生そのもののギャンブル性を実際のギャンブルと重ねて描くポール・トーマス・アンダーソン。この映画を作ったのが26歳の時。って、初監督作品で(親の七光りでコネがあっても)大先輩を操る力量は、まさに天才的!奇才!と言えるんじゃないでしょうか。。。どの評価もとてもいい作品です。

彼の描く「人生」ドラマには、いつも目を見張るものがあります。
人物の描き方の緻密さと寛容さ、なんとも言えないバランス感覚・・・絶妙です。
窮地に立った人の滑稽さや愚かさを、嫌味なくフィルムに収める。

人との関わり方に「賭」をする一人の老人の男。
台詞の1つ、動きの1つに彼の経験が滲み出る。
ま、あまり書かないでおこう。
話の筋でいけば起承転結の「転」の後・・・結局、そうなるのか?以前も、そうだったのか?おいおい。。。と、笑っちゃいけない、けど苦笑いを誘うシーンがあるんだが・・。そこから終盤にかけてがまたそっけないのに味わいがあるんだよねーぇ。
観客に「想像」させる、いわゆる観客任せの終末ではあるが、最後のだめ押しがないところ、引き際の潔さに、感嘆した。

まさに、ハードボイルド=ハードエイト。
ゾロ目が出るかどうか、その確率は低くても引くに引けない勝負時ってあるんだ。
渋くて、すごく苦い、決してカッコ良くは終わらない男の物語だった。

人生は決して「キレイ」なもんじゃない。
生き抜くのは決して簡単なもんじゃない。
逃げないで、勝負しよう。
例え確率が低かったとしても。。。

ところでまだゼア・ウィル・ビー・ブラッドは、上映してるかな。。。映画館に、観に行きたいけど。。。

mardi, mai 27, 2008

まだ、みどりいろ。


まだまだみどりいろです。
あくは強い。
ほとんど「毒」です。
部屋中広がる強い香り。
存在感は強烈。
これから黄色くなって、
そして赤く柔らかくなる・・・予定。
キレイな大粒の青梅たち。
はち切れんばかりの中身まで硬い粒たち。
はやくおいしくなぁれ。

lundi, mai 26, 2008

ちいさな花たち




オリーブ2種(マンザニロ/ネバディロ・ブランコ)、プリべット・シルバー、夢乙女(指の先ほどの小さいバラ)、すずらん
ひとつだけ、名前の判らない花があります。紫色の小さな花で、葉が白い斑のあるものです。
どうやらバラ以外はウチには小さい花が多いみたいです。集めたら、そんなベランダになっていました。ミニバラも結構多いですが、写真の夢乙女は作者は日本人で、指のツメの大きさでほんとにかわいい小さなミニバラです。最初に花をつけたものが白だったのに、途中からピンクの花をつけました。中央が少し白みがかっています。
どれも、ちいさいのに一生懸命咲いています。目を凝らして良く見ないと、そのつくりは判りにくいのだけれど、ちいさなお花には独特の品格が感じられます。

dimanche, mai 25, 2008

ヤモリは「しあわせ」の使い


金曜夜、久しぶりの友人に会った。
1年半ぶり?
私たちにしてはずいぶん長い間会ってなかったなぁ。

彼女は、随分前、どうにも動きがとれなくなったときに、なにも言わず助けてくれた人。
同時に、俳優を夢中でやっていた頃の唯一の「ライバル」でもあった。(正しくは養成所の先生に互いに仕掛けられたのが先)
彼女の名は滝沢涼子。今もなお女優としてキャリアを着実に積んでいる。とても不思議な魅力を持った人。そして、ヨガの先生でもある。

私たちは以前から良く笑い、良く食べ、良くケンカをし、良く討論をしていた。問題となる討議の結果はどうであれ(意見があってもあわなくても)、ケンカして気まずくなってもすぐにケロッと忘れて一緒に風呂に入って背中を流しあったりした。

写真は4年くらいまえに見つけて衝動買いしたハワイアン・ジュエリーの「ヤモリ(ゲッコゥ)」のペンダントヘッド。
昨夜はそれをつけていた。

一応“金”でできてる。
金製のモノはあまり買ったことが無かったけど、一目見て気に入って、大きさも小さくてかわいかったのでお財布を見ながら検討。結局、出会いを感じてもう一度戻って買ってしまった。
それが、見合うチェーンがずっとみつからずケースに眠っていた。
一年前、ネットで見つけた大安売りのブラウン・ダイヤのプチネックレスに金のチェーンのものがあった。そして、しまわれているこのヘッドのことをを引っ張りだしたのだ。じつは、ずっと“トカゲ”だと思い込んでいた。
(当時、お店の人は確かちゃんと説明してくれていたとは思うけど・・・)

彼女はそれを見つけて「かわいい〜」と言って「ヤモリは幸福を呼ぶんだよね」と教えてくれた。あ、“ヤモリ”であることと一緒にね。ヤモリは、家に幸せをもたらす使いらしい。
こんなとき女の子同士の会話って、ほっとする。
いち早く目がはしって、気に入っているものを見つけてくれる。
ガーリーな夜のささやかなよろこび。(この際、一生“ガーリー”って言葉をつかってやる♪)

昨夜も、(私も彼女も)漠然とした「しあわせ」の話。
久しぶりの食事の間に近況を報告しながら、しあわせとの距離を確認しあった。
いまだに、互いに、そんなことを語りあっているんだけど、私は「友」には恵まれているんだろうとあらためて実感した夜だった。少なくともそれを「しあわせ」者と言える気がした。

そういえば、プーケットに行ったとき、わがコテージに小さなヤモリがいた暑い夜を思い出した。

jeudi, mai 22, 2008

meとか。herとか。(拝啓はんにゃ様)



このごろ、テレビはとってもお笑いのひとだらけ。
タレントと呼べる分野もなにか「面白い」ことができないとだめなんだな。
「面白いことができる」か、もしくは「ばか」をあからさまに出せるひと。
もしくは、「ばか」なことが出来るのに、じつは「雑学博士」みたいなひと。
俳優も昔とは変わって来た気がする。二枚目は二枚目だけではダメなんだよね。
女優も同じ。
芸能界全体がそういう傾向にあるのかなぁ。。。
だとしたら、カッコ付けてるだけのヤツで成功してるヤツは誰か??
思いつかない。
もしかして、キムタクあたり。彼はきっとスマスマなんかでコントやっても
ピーちゃん(プードル犬)はかわいこぶってて、80年代のオヤジ風でもある。
マジシャンなんかはかなりママなきがするな。。。
彼はもう、あまり服を脱がなくてもちょっと「面白い」風なことをするだけでいいことになってるんだと思う。
あーつまんない。

テレビってどんどんつまらなくなっていくんだね。
私はもともとNHK派なんだけど、コマーシャルが無いからついつい見てしまって、気がつくとトイレもご飯も忘れてるってことがあるんだよね。サイエンスものとか歴史物とか旅ものとか趣味もの。。。もう、見出したら、おもしろいこと。。。。

そう言いながら、最近になってたまたま見たお笑い番組で気になってるコンビがいる。
ああ、わたしもとうとうハマったか。
まだ、それほど露出は無いけれど、近いうちに大ブレイクを予感させる面構えだ。
それは。。。「はんにゃ」だ。
一目見たとき、何もしゃべらなかった彼に狙い撃ちされた!ツラが良すぎる=シビレる!
いや、どちらかというとひょっとこのような顔をしたまま固まっていたのを見ただけなので「かっこいいー」ってハマったわけじゃないんだけど、、、いくつかのコントを拝見、、、すると、結構二枚目だった。愕然。
こうやって、わたしはまた「結局、面食いなんだから〜」って言われるんだろうな。残念。
ここで、どうせミーハーと言われ、面食いと言われるなら、わたしの中で「いい男」というのをはっきりさせておきたいと思う。(何のため?)1位:タモリ 2位:野村萬斎 3位:ジョニー・デップ ・・・・(4位〜7位まで該当無し) 8位:阿部ちゃん、高橋克典(同点)かなぁ。なんだ、洋画をかなり観てるのに外国俳優って1人?!おかしななぁ。
で、はんにゃについては、まだまだ未知なのでわかりませんが、金田さん(相方川島さんは予想だと台本を書いてる?これからの台本、個性の開発に期待です。・・・生かすも殺すも台本ですもんねこの世界。。。バランスも◎。でもやっぱりわからないなー)はこれから人気上昇する可能性はありますね。しかし、面白さ、繊細さ、しなやかさ、頼りなさ、二枚目なのかちょっと不味いのかわからない顔であるところも◎いろいろ持ち合わせて微妙なバランスを保っているということが一番理想的なんじゃないでしょうか?!
バスター・キートンを思わせるような(褒め過ぎか?)金田さんのオーバーな表情とアクションもお気に入りです☆
応援したい!ここまでお笑いのひとを応援したいという気持ちになったことは無いんだけど。。。

久々にミーハー気分で、小学生のように笑い転げた〜♪

mardi, mai 20, 2008

詩のゆうべ

はじまって間もない頃に出演させてもらったJET ROBOTでの
リーディングでしたが、もう23回も開催していたなんて。。
久しぶりにみなさんにお会いしてなんだかとてもとても
「ほっ」として、音が耳に心地よく入ってきました。


新作を2つ。
他、「ア・ビアント じゃ、またね。」から幾つか。
新しいのはまだ出来たばかりの新鮮さもあるし、読むときは
まだ緊張感がある。
古いのは、読み慣れているけど、読むその時によって違う。

また、みなさんにお会いしたいし、読むことも書くことも
いっしょだな、それぞれダッシュの瞬間に似てる。


さて。
詩作もがんばらないとな。


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ロックはいりませんか?



いつまでも変わること無く
やる気とやる気の無さと、
根性と、根性の無さと
開放感と、矛盾した世の中への不平と

はじけるつもりが、
どこにぶつけていいのか
判らずじまいで血管が浮き出る

生死をさまよい、
精子をぶちまけ
生きる喜びを死ぬことで示す

いつもいつも変わること無い
整理したい心の複雑さを
誰かに共感してもらいたくって
誰にも共感してもらわなくったって

ほんとはそんなのおかまい無しで
一人で生まれて来たとか
神の子なんじゃないかって
思いつらぬく

それでも、乗らずにはいられない
弾かずにはいられない
なりふり構わず、ファッションとスタイルと
意思の継続の危うい魂の
身体を抜けでた
あれを、
あれを、

「もしかして無関心?」
「せめて、感じてみよう?」
「ん?」

ウーーーーー
ロック、ロック
ロックはいりませんか?
辛くて、甘くて、ときどき苦い
ロック、ロックは
好きですか?

mercredi, mai 14, 2008

★「JET POET vol.23 」〜即興の音楽と詩の朗読の宴〜★

予告はしておりましたが、詳細がわかったのであらためて...
(ご連絡くださった方、ありがとうございます!)
当日、会場にてお待ち申し上げております♪

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5月19日(月)@原宿JETROBOT
http://www.jetrobot.com/live_cafe_jetrobot/main.html
原宿駅 竹下口から約30秒
JET ROBOT 東京都渋谷区神宮前1-19-11(原宿アッシュビル1F)


OPEN 20:00 START 20:30
Charge: 1500円+1ドリンクオーダー(500円〜)

出演
朗読:
・後藤理絵
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=79617
http://de-rie-n.blogspot.com/

・ケイコ
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=780880
http://kotobatokoeto.seesaa.net/

・tak
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2516103
http://ameblo.jp/inakajikan

・ZULU
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2861855
http://blog.goo.ne.jp/zulu19660509


演奏:
・Aimax (g)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=938888
http://www.myspace.com/akiraishiyama

・ひら (cajon, percussion)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3028025

・浅野廣太郎 (baritone sax)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=7372281
http://www.myspace.com/koutarouasano

・小西徹郎 (tp)
http://www1.odn.ne.jp/birdsound/
http://www.myspace.com/tetsuroh

・小池実 (b)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3556540
http://www.myspace.com/dummymk


※出演者は都合により変更になる場合があります。

dimanche, avril 20, 2008

濡れた時間

濡れた時間

目をつむったまま
濡れた髪で駈けぬける
薔薇とすみれと水仙の
妖しく咲き競う森

白いうさぎは濡れている
わたしはくだらない会話を
するために彼の後をついて
いたずらをたくらんで
一週間先まわり

そんなに急がなくても
雨はまだ止まないと
教えてあげる



ーーーー

最近、雨が多いですねー。まだ梅雨にはなってないけど。
なんかへんな事件、事故も多いですね。。。
世の中からバターも無くなるし。。。
牛さん、いつもありがとう。生き伸びてます、私たち。
自然には感謝。今日はベランダの野菜をお皿の上に載せました。

jeudi, avril 17, 2008

雨からの手紙


「きみは、
おぼえているだろうか」

晴れの日は、背中のぬくもり
雨の日の、お揃いの長靴

体温と空気中の温度の間に
湿り気のあるもっとも輝いた瞬間を
皮膜を剥ぐように
いま、ゆっくりと確かめているよ

「あした、
晴れるだろうか」

車輪のはがれるアスファルトの音楽
それは雨からのやさしく誠実な調べ

ポストは遠くて
傘をさしても、この封筒は濡れっぱなし

郵便の赤い自転車が
ジリリン、目の前のカドを通り過ぎる

やっと辿り着いた郵便局では
「重量オーバーです」
涙を含んだ重さを、すこしあきれ気味に
たやすく、簡単に
これ見よがしに、計ってみせた

「あしたも、
雨だろうか」

投函したばかりなのに
きみの返事を待っている

雨のせいで、少し長くなった首が痛い



Photo:なにかと話題の中国は北京での風景。
   早朝に、煉炭を運んでいるおじさんたち。
   近くはオリンピックのために舗装や工事が盛んなのに
   とてもちぐはくな風景でした。
   詩には関係ないけど「自転車つながり」のカット。
   ☆画像クリックで見やすくなります。

samedi, février 16, 2008

レース編みと着物



今までが今までだけに、急に一人で考える時間がたっぷりあったりして・・・持て余し気味。
時間の使い方が安定してない日々を送っています。

んで、以前からやってみたかったレース編みを。
手芸って実はかなり好きで、小さいときすごくハマった覚えがある。
レース編みを選んだのは場所が必要じゃないし、失敗も大きくないと思って。

先日は実家に久しぶりに帰ったので学生時代の着物などを持ってきた。
着物着付けをしていたので、思い出しながら着てみようかなって。

学生の頃のいろんな趣味を掘り起こしたみたいな感じだな。
もともと趣味が豊富?なほうだけど、思い出したらいろんなこと手を出してるんだなぁとつくづく感じた。

mercredi, janvier 09, 2008

ありがとう。辛さが目に沁みる。。。

「実は、年明け4日から出かけてないんだ・・・」
そんなことをメールに書いてしまい、心配をかけてしまった。
仕事が終わって友が最寄り駅まで来てくれた。

それまでは出かける気分じゃなかったし、特に外に用事もなかった。
ニュースが気になって仕方なく、そこいらのネットの書き込みも気になった。
「ほどほどにしなよ」と家族に言われる。

ビョーキ?!
麻痺してくる感覚。イタさも、甘さも、ちゃんと感じていたい。


外の世界を知らないということは、本当に恐ろしいことである。

「ラストエンペラー」「マリーアントワネット」「さくらん」
家の人が久々にビデオを借りて来たと思ったら、すべては世間を知らない隔離された世界で生きていた人たちのおはなし。
ムゴい。ハッピーエンドなのは最後のひとつだけ。
それでも、いいところで終わってるけど、その後が大変そうなんだよね。

それはそうと、友達の顔が見られて、心の底からほっとした。
今日こそは、ちゃんと寝よう。

年末から吹き出物のような湿疹が、まだ出来続けている。
あ、しまった。。。辛いもの食べたんだ。。。

写真はティーヌンで頂いた、年始の品2点(ストラップ、トムヤム味のプリッツ?)。

samedi, septembre 08, 2007

【緊急告知】プルシャルタ/インド(アタカラリ)



横浜赤レンガ倉庫ホールにて、昼と夜やります。

家人が、ここ数年、ヴェネチアだの、モナコだの、フランクフルトだの、アムステルダムだの・・・
ヨーロッパの主要都市を回った作品「プルシャルタ」が初めて日本で公演することが決定しました。

わたしは、ヴェネチアとインドで見せてもらいましたが、自信をもっておすすめします♪

インドの若いダンサーたちも今回日本に初めて来るようです。がんばっています。
その都度、パワーを増し、土地柄にあわせて試みも変えているようです。

日本初公演「プルシャルタ」です。
公演情報
ジャヤシャンドランによるワークショップ情報

世界で注目を浴びるジャヤチャンドラン・パラジー(振付家)率いるダンスカンパニーAttakkalari center for movement arts -アタカラリ-と、のメインダンサーたちのダンスパフォーマンス。

松尾邦彦(ディレクター/メディアアーティスト)のデジタル技術を駆使したインタラクティブな映像と、
松本充明(音楽家)のライブエレクトロニクス音楽、
濱中直樹(建築家)による白色LEDを使用したオリジナル照明装置。
といった、いわば“マルチメディア・パフォーマンス”作品です。

インドと日本の友好のためにも、また伝統だけではなく新しいものへの挑戦を垣間見る愉しさとしても、
ぜひ一度、体験してみてください。(限定、一日しかないんだけどね)



■■日本初公演「プルシャルタ」とは—■■
 プルシャルタ(Purushartha)とは、ヒンズー哲学の重要な4つの概念であるダルマ (Dharma)、アルタ(Artha)、カルマ(Karma)、モクシャ(Moksha)を総称する。

 2005年、ジャヤチャンドラン・バラジー氏(振付家)と松尾邦彦氏(メディアアーティスト)との構想にはじまったコラボレーション・パフォーマンス「プルシャルタ」は、同11月、ノッティンガムでプロトタイプ(試作品)を公開した。
 その後の約2年間、ヨーロッパ諸国の主要都市であるヴェネチア、ボローニャ、フランクフルト、ミュンヘン、ボン、デュッセルドルフ、ルブリン、モナコ、アムステルダムそしてインドはバガロール(順不同)などのフェスティバルに参加公演し、ヨーロッパだけではなく、世界各国の演出家、評論家に注目されつづけ好評を博した。
 「マルチ・メディア・ダンス・パフォーマンス」と呼べるこの作品は、各都市を飛び回っている間に形を少しずつ整え、都度洗練されている。

 2007年、インドと日本の友好年の折り返し地点である9月。
ヨーロッパで注目されたこの「プルシャルタ」は3年目にしてようやく初めての日本公演となる。

===== ===== ===== ===== =====
 日時:2007年9月24日(月・祝)
     昼の部/14:30開場 15:00開演
     夜の部/17:30開場 18:00開演

  会場:横浜赤レンガ倉庫
    http://www.dance-media.com/purushartha2007

  ディレクション:松尾邦彦 / ジャヤチャンドラン・パラジー
  振付:ジャヤチャンドラン・パラジー
  音楽/映像:松尾邦彦
  ステージデザイン/照明デザイン:濱中直樹
  演奏/映像:松本充明
  照明:トーマス・ドッツラー
  ダンス:DEEPAK / RAKESH BABU / HEMA BHARATHI
DILSAGAR / MIRRA / SHOBHITHA YELURI
  SATYAJIT RAVINDRANATH / HEMA SUNDARI
  JAYACHANDRAN PALAZHY
       アタカラリ(Attakkalari Centre for Movement Arts)       
        http://www.attakkalari.org/

  主催:Dance and Media Japan
     Indian Council for Cultural Relations
     インド大使館
     CMprocess

===== ===== ===== ===== =====

■パラジー氏と松尾氏
 2004年1月、松尾氏の話によると「インドからお呼びがかかった」と少々冗談めいて語るのだが、実際はさらに以前からの知人で、インドのバンガロールに拠点を置くアタカラリ(Attakkalari Centre for Movement Arts)というダンスカンパニーを率いて各国で活動する振付家パラジー氏より、突然の連絡を受けたことからプロジェクトがはじまったという。
 パラジー氏は、カラリパヤット、バラタナティヤムをインドでマスターしたのち、ロンドンで西洋のダンスをも学んでいるカリスマ的存在である。
 一方、松尾氏はもともとnest(主催:石山雄三氏)にて、身体の動きを研究しCMprocessというオリジナル・システムを自ら築いた。自らもダンサーとして活躍しつつ、その頃から舞台演出分野である映像、また音楽にも積極的に取り組むなど、舞台を中心に世界で活動して来た数少ない日本人のメディア・アーティストである。
 彼らはそれぞれ違った背景を持ちながら、身体を置く3次元の限界に挑戦すべく、全く別の角度から、全く別の文化や歴史からある地点で合流し「プルシャルタ」を形成するに至ったと言える。
 この作品では、テクノロジー上の新たな哲学と、最もシンプルでアナログな身体の動きとを交差させ、歴史や文化に対しても敬意を払いながら互いの能力が融合を導いている。


■松尾氏&パラジー氏による具体的活動
 2005年、バラタナティヤムのマスター達のインタビューとデモンストレーションを100時間撮影し、デジタルアーカイブをDVDにまとめ  るプロジェクトに参加。(9月現在はDVD未発売。近日発売予定。)
 アイデアや資料を幾度となくメール(インド⇔日本)でやりとりしながら、濱中直樹氏(建築家)と 2005年10月にバンガロールへ渡印。 
 約二週間にわたり、インド人と日本人、文化や宗教観の違いを乗り越え、また、産みの苦しみを分かち合いながら制作を進める。
 この段階で、15分のプロトタイプ(ソロダンスバージョン=試作品)が完成。
 
 2005年11月、初めて生演奏に松本充明氏を迎え、松尾氏とパラジー氏の3人で、イギリスはノッティンガムにてデジタル・カルチャー・ラボ(学会/講義)に招待される。15 分バージョンのプルシャルタを上演。

 2006年2月、松本氏と松尾氏が再びバンガロールへ。10人のインド人ダンサーとオーストリアからトーマス・ドッツラー氏(照明家)を招いて、45 分のプロトタイプ㈼を二週間で整え(完成させていた振り付けのシークエンスを、一度バラバラにして再構成)上演。
 ここで、現在のプルシャルタの概要が形成された。
 次月(3月)にはパラジー氏が来日。京都西部講堂で15分のソロダンスバージョンを上演。

 2006年5月、インターネットを介してコミュニケーションしながら60分ジャストの完成バージョンを作り上げ、ボン・ビエンナーレ2006(ドイツ)でワールド・プレミアに至る。

 その後、少しずつブラッシュアップをしながらヨーロッパ各地で公演。(ほぼ全ての公演でチケットはソールドアウトする。)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 そしてついに、念願の日本公演となる今回は、横浜赤レンガ倉庫にて。
日本の観客に向けて変えること無くヨーロッパで公演したものと同じものを。日本人とインド人が、インドと日本とヨーロッパで格闘した成果のままを公開します。
乞うご期待。美しいインド人ダンサー達にも乞うご期待。

それでは、赤レンガ倉庫でお会いできることを楽しみにしております。
観に来ていただけるかたは、
ダンスアンドメディアジャパンの予約フォームか、
http://www.dance-media.com/res/reservation.cgi
松尾にメールやら電話やら、このコミュニティーに書き込むやら、何らかの方法で知らせていただければ、チケットをご用意してお待ちいたします。

残念なことにパフォーマンスは二回だけです。お早めにお知らせください。

lundi, septembre 03, 2007

バリのイルカ


































































出会いました。
念願のイルカたちの群れ。
ちょっと遠かったけれど行った甲斐があった。
ジャンプした瞬間くるりと回った図はうまくは撮れなかったけれど、
親子かな、カップルかな?こんなふうに二頭連れがおおかったなぁ。
とにかくざっと見ただけで二、三百頭くらいいたのではないかしら?!船の周りに沢山いました。
感動。生まれて初めて見た野生のイルカに出会えたことにとても感動しました。

dimanche, juillet 15, 2007

マエアシ用とウシロアシ用



7月14日は、パリ祭ですけど、わたしの誕生日でもありました。
14日になる少し前に、友人から「趣味をよーく知っている」プレゼントをもらってスゴく喜んでいたら、カウントダウンで友人から、妹からと立て続けにメール。嬉しー。そして、母の声。これもやっぱり嬉しくて。。
切ったとたんに、海外からダーが電話。彼は今回オランダにいる。電話口には、インドと日本の友達がハッピーバースデイトゥューを合唱してくれた。これも、一人でうれし泣き。

うって変わって寝て起きたら、、、雨が降ってるよ。。
わたしの誕生日は、立夏の後だから、通年、晴れてることが多かった。
そうして雨の中辿り着いた歯医者では麻酔されて削られて、唇が膨らんでるような錯覚。そのまま雨の中をふらりしてました。
神楽坂の相馬屋さんでペンを購入。パイロットのボールペンと赤ペンとシャープペン(パイロットなのに)が一本になったという画期的(?)アイテム。ほんとは相馬屋の原稿用紙を買おうかと思ったけど、まだあるのでやめました。
この「2+1」みたいな名前の商品シリーズは3年くらい手帳に挟んで使ったのですが、スゴく書きやすくて外国生まれの友人には気になる様子で、いつもとられちゃいます。結局、2代ともそうとう使い込んだ後なのに、その友人の外国のお宅にもらわれていきました。前回は2代とも赤だったけど、今回は、新しいデザインが出ていたので緑色のものにしました。うん、なかなか素敵な色です。

それから戻って、駅の中のラムラで、春から欲しかったサンダルを見ていました。バーゲンで安くなってる。。。
その横にはもうひとつ、欲しかった長靴。。。。迷う。
けど、両方買っても、普通の靴の3分の2くらいの値段!?じゃ、いっちゃお。と、買ってしまった。
後で、家の人に「足は2本しか無いのに」と言われたら困るので、前足にサンダル。後ろ足には長靴。ってことで。

必要なモノです。わたしにとって。うん。

両アイテム、ともに違う色があったのに、今回はなぜか「白」ばかりを選んでしまった。

lundi, juillet 09, 2007

カフェ


いまは咲いて一段落中のカフェ。
また咲いて欲しいです。

vendredi, juillet 06, 2007

仔羊の耳☆ラムズイヤー



という、ハーブです。
買った時は苗も弱々しく一房、というような感じでしたが、どんどん成長しこんな花をつけています。
これは切ってドライフラワーになりましたが、株が大きく育ちどんどこどんどこ耳をつけています。

触った感触がたまりません。
ウチの猫のようです。
 


写真の後ろ姿は、ウチの大切な家族でロイと言います。
もう、15年も生きて家を守っています。
夏なので、毛を梳いてあげた後の様子です。うっとり。。

mercredi, juillet 04, 2007

アイス。あいす。しょっぱいアイス。



スイカの次にスキで、欠かせない夏アイテムは「アイス」です。
で。
今、大スキでハマっているのがこれ。

甘いのとしょっぱいのと微妙なバランスで。

うまい。

おいすぅい。

お試しあれ。

mardi, juillet 03, 2007

タネ違い。ドリアンを探して?

ここのところ、めっきりガーデニングにハマっている訳で。
育てている苗やら植物の種類はそろそろ把握できない数になって参りました。

ラベンダー、ラムズイヤー、キャットニップ、オジギソウ、コモンタイム、ハゴロモジャスミン、ブルーベリー、スズラン、品種名のわからないミニバラ(黄色、白、紫、ピンク、赤の5種)、コケ、アジアンタム、アイビー、オレガノ(ロダンダフォーリア)、ピエール・ドゥ・ロンサール(バラ)、カフェ(バラ)、ブラックティー(バラ)、レトランジェ(バラ)、スプレーウィット(イタリアンスプレーローズ)、オールドファンタジー(イタリアンスプレーローズ)、なんとか乙女というミニバラより小さいつる性のバラ、グリーンローズ、サンショウ、黒松、パッシフロラ・ラケモサ(トケイソウ)、ゴーヤ、獅子唐、唐辛子、月桂樹、オリーブ(ネバディロブロンコ、マンザニロの2種・・・実を付けるため)、プルーン・マルガリータ(赤いプルーン)、オオヤマレンゲ、ハイビスカス、睡蓮、ヒイラギ、シルバープリペッド、ミント、バジル、三つ葉、大葉、コリアンダー、ルッコラ(今は花が咲いて食べられません)、アーティチョーク、ダンデライオン(食用)、ベルガモット、カモミール、フレンチタラゴン、サルビア(ディスコロール)、スープセロリ、ディル、ってココまでで50種・・・もう、思い出せないけどその他ハーブなど。

そして。ショックなことを発見。
ドリアンが好きで、ドリアンのタネを植えたのに、一緒に入れてしまったカボチャ(橙色)の苗を育てていてずーっとドリアンだと思い込んでいた。
ドリアン、もう一回食すべし。

lundi, juin 18, 2007

22世紀リアリティ・・・できれば。

先日、3回目の原稿を書かせて頂きました。
折り返し地点かと思いますが、よろしかったらぜひ読んでください。
「コトラジFM 51.0」というタイトルです。

ラジオパーソナリティが、昔、ヒトリゴトでお手紙交えて話していた記憶。
あれは誰もが経験有るとおもうんだけど、夜中のしーんと家族が寝静まった
ころにイヤホンとかヘッドフォンとかそういうものつけて聴いていたのが、
わくわくした。あの感じ。

それを、一人芝居的にやっています。

連詩のようなものを2編。それを挟んで言葉を少々。

もしも気が向いてくださったなら、ご登録でもしていただけると嬉しいです。
テツさんという編集人が発信してくださいます。


  • 「22世紀リアリティ」
  • (主催運営/編集:水野哲氏)運営サイトにてメルマ配信の詳細が記載されています。

    dimanche, juin 10, 2007

    魚の形で子を産むハイフィン

    メダカのなかまのハイフィン・バァリアタスをつがいで飼っているのですが、
    おなかが大きいので、どうなんだろう、いつうむんだろうか。。。
    と、思っていたところ。。。今日の夜、産んでいました。
    スゴい、ちいさーい。かわいいやつです。

    2時間後には、親と少し似てオレンジ色の部分が。。。

    成長がたのしみです。

    睡蓮もひとつ購入したことと、メダカもそろそろ引っ越しかなぁ。
    ということで睡蓮鉢も購入しました。
    ビオトープの準備。
    ベランダも夏模様。
    先週からやっと芽が出始めたハイビスカスと共に。。

    明日は明治公園でフリマなのに、なぜか興奮して眠れない。。いや寝ます。

    jeudi, mai 31, 2007

    大山蓮華(もくれん科)


    オオヤマレンゲはもくれんの仲間。

    この苗は、先日の薔薇の祭典で手に入れた戦利品です。

    薔薇の苗、バロン・ジロー・ドゥ・ランを手に入れようと勇んでいたわけですが、ひとつとしてその苗はみつからなかったので、他の(例えば紫系の薔薇)苗を購入しようと人の流れにまかれていたところをおじさんに声かけられ(最後の一個だから)安くするというので買いました。日本の庭園にありそうな、超古典的葉っぱをつけ、たまごのようなつるんとした蕾をいくつか備え、ひとつだけ、それも俯きがちに花を咲かせていました。

    薔薇だらけの園に、なにやら不思議なやさしい佇まいのその花を、なぜか即買い。。。(あれ?バロンとか、フランスの名前のついた薔薇は?・・・)

    というわけで、わが家にやってきたオオヤマレンゲ。なぜか縁あって、到着して一週間でつぎつぎにたまごの蕾から美しい白い花をつけ、さわやかな香りまで楽しませてくれました。


    薔薇は、花を摘んであげないと次の花が咲かない。
    またハナガラを鉢の中に残してはいけないということで、
    毎日その様子をうかがっては、花を切り部屋に置いたりしているのが習慣となっている毎日。

    先日、そのいきおいで、思わずオオヤマレンゲの花をちょき、ちょき・・・あ?!
    もしかして、オオヤマレンゲは実をつけるのでは__
    と、ひとつの萎れた花を残し、ネットを検索・・・
    しらべてみると、オオヤマレンゲは幻の花を咲かせる、とか、茶室や生け花、寺院の庭に植えられるものらしく「実」をつけるっぽいことがちらりと書いてありました。
    でも、詳しいことがほとんど明記されているところはなくて、生態がいまひとつわかりません。
    わかっていることは、薔薇のように剪定が必要なく、香りが強い。山に根を張るために冬の寒さに耐え得ること。
    またシーボルトがその英名に関係しているということ。。。らしいです。

    それはそうと、日本の花は美しいんですね。
    ほんとに、うっとりという言葉がぴったり。存在感がすばらしいです。
    薔薇はたしかに種類があって楽しいのですが、オオヤマレンゲには、独特の野生の気品のようなものがある気がします。

    しばらく薔薇にハマっていましたが、オオヤマレンゲの影響で少し変わりました。
    先日は、睡蓮を買ったので、平らなポットに浮かべてみたいとおもいます。
    次は、めざせビオトープです。

    そして、父の日のプレゼントも。。。(届く頃にまたアップします。)

    mercredi, mai 23, 2007

    バラの祭典と髪の剪定



    あまり野球に興味をもったことがない人生で、西武球場にいったのは初めてでしたが結構広いスペースにバラが・・・
    庭の芸を競い合うその傍らでバラのハンギングや鉢植えの品評会。ガーデニングショウは結構面白かったです。
    いろんなご趣味の方がいるんだなぁーと思いました。
    ばらばらばら・・・匂いの濃度も高かった。不思議なバラの園でした。
    で、美しく撮れたのでバラの写真を一枚。

    それから、髪を切りました。約25センチほど。
    それは数字にしたらかなりのものだけれど、イメチェンになったというコトでもなさそうです。
    5年くらい前にこのくらいだったかな。しばらく長いままだったので、ミディアムは久しぶりです。
    もっと、切ってもよかったかも。

    遅いので、また次回アップします。

    vendredi, mai 18, 2007

    ローズなガーデン


    はじまりは、3月。母の日の贈り物を選んでいる最中に薔薇の鉢植えに心惹かれた。
    いまになってみるとなんと言う名前だったのか、良く覚えていない。

    花の色は赤のくすんだ・・・確かコーヒーにちなんだ名前がついていた。
    その薔薇の鉢は約5千円くらいだったような記憶。(プレゼント用なので少し割高)

    ほかに、たくさんの花を見て・・・結局プレゼントに選んだのは、
    2007年に初めて青いカーネーション(ムーンダスト)が発表されていることを知り、あまりにきれいだったのでそれに決めました。実際、先日届いた様子で、すごく珍しくて驚いたと、評判もよかったようです。

    花にはいろいろな名前があって、3月になって少しあたたかくなってきたことも手伝って
    うちのベランダを緑や花でいっぱいにしたいなぁー、と思った。
    それで、むずかしいと言われていたけれど思い切って薔薇を育ててみようと。。
    安くて扱いやすいものはないのかと、ネットを探索しているうちに
    火がついた。今は少し落ち着いたので、こうしてブログを久しぶりにアップ。

    はや、3ヶ月。

    購入した薔薇の鉢数は6鉢になり、そのうち5鉢は花を一通り見ることができた。
    残りは、一番期待している「ピエール・ドゥ・ロンサール」という名前の花。
    葉の色が一番輝かしい緑色である。

    はやくさかないかなぁーー
    今週末は、薔薇の祭典に行くつもり。

    ああ、あこがれのローズだらけの庭(ただのベランダ)。。。

    つづく。(写真;5月17日に咲いた「ブラックティー」)

    mercredi, avril 11, 2007

    手にはいらないもの

    ほんとうに欲しいものは
    手に入らない

    最近、私はネットで薔薇を買って
    薔薇を育てようかと思っている。

    いろいろなものを育ててみたい。
    それが「願望」で、ほんとのところ
    大変なものほどうれしいのだ。

    子供がいない人はいいわね。
    そう、言われることが悩ましい。

    すこし、難しいことをしたい。
    それが、いまの願望。

    vendredi, mars 16, 2007

    連載

    春、らしくなって来たとはいえ、まだ寒いですな。
    このたび、お誘いいただいたので、連載をはじめます。
    メルマです。

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  • 「22世紀リアリティ」
  • (主催運営/編集:水野哲氏)運営サイトにてメルマ配信の詳細が記載されています。

    原稿、書きます。
    すみません、先に 告知まで。

    jeudi, mars 01, 2007

    3月に



    納品される詩集の色校があがってきました。

    ほんとに素敵な詩ばかり。

    デザインは永野ヒロコさん。

    ほんといいんです。

    3月中旬には納品、それ以降は注文できます。
    4月には全国書店にて購入(注文も)できます。

    「武井君」(風野耕二著)